昭和天皇の意思として、発表された日経新聞の記事が「靖国」問題について新たな波紋を投げかけている。
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昭和天皇の意志、明確に——時代の貴重な証言、富田元長官、日記や手帳に。
2006/07/20, 日本経済新聞 朝刊
私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから、私あれ以来、参拝していない それが私の心だ(原文のまま)
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てっくさんのところや色々なところで議論されているように、手帳に記された内容については、かなり疑問があり、作為性を感じる部分が多い。また、仮に昭和天皇が一部の戦犯に対しなんらかの判断をしていたとしても、天皇陛下が靖国神社を参拝するかしないかは、それだけで決まるものではなかろう(宮内庁を介しての総合的判断が必須)。さらに昭和天皇が心底彼らのことを嫌っていたのが事実だとしても、靖国神社に祀られる大勢の英霊に対する参拝を中止する理由にはならないと思える。やはり昭和天皇が靖国参拝を止めた直接のきっかけは、三木首相の「公人・私人」の参拝問題にあると考えるのが妥当だろう。
また、手帳の内容の真偽はともかく、この時期に出てきたことを考えると、この記事の目的は、おそらく靖国神社参拝肯定派、すなわち安倍氏に対する揺さぶりと思える。あるいは逆に後日手帳の内容の嘘を暴くことによって反動を起こすための工作かもしれない。なんとなく民主党永田氏の偽メール事件に似た作為を感じる。いずれにしても、故人である昭和天皇の心情に係ることを利用(悪用)して、「政治の観天望気」をやろうとするその行為は、なんとも不敬であり、心底嫌な気分になる。
しかし、しかしである。
私は靖国神社についての議論は、「この手帳の内容がウソであろうと本当であろうと」、本当はもっと平らな観点からやらねばならないことだと思っている。
つまり、「連合国による東京裁判史観」ではない、日本人自らの大東亜戦争の反省や総括に基づいた「靖国神社」考というものが今求められていると感じている。きっかけが陰謀であろうと、なかろうと、もともと避けて通れない問題だと思っている。いや、陰謀に踊らされないためにも、しっかりとした「靖国神社」についての認識を持つべきだ。
よって、どうしてもここで私なりに述べたいことがあるが、長くなるのではじめに結論を書く。
感情的になればなるほど、「靖国」を政治カード化したい人達が得をするだけだ。今回の記事の狙いはまずそれを狙った陰謀だ。むしろ「靖国」だけを慰霊施設として特別視しないことが、実は「靖国」問題の解決策なのである。
以下反論はあると思うが以前から言いたかった持論を述べる。
「靖国神社」に関する問題は、二重の意味でねじれている。そのうち一つは紛れもなく、「東京裁判史観」であり、それに基づいた中韓鮮の反日プロパガンダだ。しかし、これらは今急速に風化しつつあるように感じる。もともと日本の外交のミスにつけこんだ問題であり、外交が正常なセンスを回復すれば、これに対抗することは当然である。このことについて私は日本政府の対応を評価しているし、今後もしっかりと「靖国神社」が政治カードにはならないことを主張すべきである。
しかし、「靖国神社」に関するもう一つの「ねじれ」は日本人自身の問題だ。すなわち東京裁判史観や反日プロパガンダが、全くなくなったとして、「靖国神社」が、全ての日本国のために身命を失った人々の鎮魂施設として適切かどうか、と言う点だ。靖国神社が国の英霊たちを祀る唯一の施設だと思って疑わない人は、以下の論説をよく読んで欲しい。
「縄文・弥生のハイブリッドシステムを忘れるな」萬晩報2005年06月19日・園田義明
とくに重要な部分を抜粋する。
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1869年(明治2年)に靖国神社は、明治天皇の思し召しによって戊辰戦争で斃れた人達を祀るために創建された。設立当初は東京招魂社と呼ばれたが、1879年に靖国神社と改称されて今日に至っている。
一部に敵味方を問わず国のために身命を失った人々を弔う場とする見方もあるようだが、中国・韓国以前に会津出身者に申し訳ない。よく比較に出されるアーリントン墓地には敗北した南軍の兵士も弔われているが、靖国神社の場合、戊辰戦争の敵方であった会津白虎隊や西南の役で明治政府に反旗を翻した西郷隆盛は祀られていない。
会津藩士族出身であり本物の右翼を自称した田中清玄は、靖国神社を「長州の護国神社のような存在」と切り捨てる。確かに、戦前の靖国神社は長州・薩摩出身者の強い影響下にあった陸軍省、海軍省と内務省が管轄する別格官幣社であり、祭神の選定も陸・海軍省が行っていた。このことは靖国神社にある長州出身の近代日本陸軍の創設者・大村益次郎のいかつい銅像がなによりも象徴している。
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お気づきの方はおられると思うが、これまでのエントリーで「
西郷隆盛」「
田中清玄」などを出したのは、このことが念頭にあったからだ。私は、戊辰戦争や西南戦争で亡くなった人も、アメリカの南北戦争で亡くなった南軍と同様、立場は違えども護国のために戦った人達であると思っている。西郷隆盛の西南戦争の意義も、史実を追えば、死をささげた強烈な護国のメッセージであったことがわかる。戦争には負けたが、間違いなく、その魂は護国の精神として、「靖国神社」とは関係なく、今の世に生きている、と私は信じている。
先の大戦で戦士した兵士の魂も、「靖国」だけでなく、ふるさとの「鎮守の森」やお寺やお社にも戻っていったはずだ。
私は「靖国神社」に祀られている英霊達を否定するつもりは毛頭ない(A級戦犯であろうがなかろうが)。また現在「靖国神社」を信仰している人を批判するつもりもない。しかし、「靖国神社」が日本の英霊を祀る「平等な施設」であるとは思えない。天皇陛下や首相が靖国神社に参拝するのも構わないが、それでもって戦争で亡くなった人の魂が「全て」報われるはず、と考える人がいたらそれは傲慢な考えだ。
「靖国」以外にいる多くの英霊達は、肝心の日本人からも評価されずに、忘れ去られようとしている。
これが私にとってもっとも「やるせない」と思えることだ。
今回のような問題が持ち上がれば持ち上がるほど、物事の本質が見えなくなり、感情論が先走る。
私は日本という国、風土を心から愛している。天皇がこの国で続いてきたことをすばらしいことと思う。昭和天皇は心から尊敬できる君主であったと思う。
そこに偽りはない。
しかし、英霊達の鎮魂を靖国神社に代表させることには大きな抵抗感がある。これは理性ではなく、心の問題だ。事実、私には蝦夷人の血が流れている。不思議なことに、上記の論説を読む前から、愛国心に目覚めても、天皇は肯定していても、「靖国」だけは肯定できなかった。上記の論説を読んだときは、本当に心が「スッ」とした。
反日プロパガンダに屈して「靖国」を政治カードにしてはいけない。それはわかるし、その努力は今後も続けるべきだ。「靖国」に行きたい人は自由に己の信仰に基づいていけばよい。しかし私にとって「靖国」とはそこまでの対象でしかない。
私はいわゆる「靖国」周辺の「神道」には、どうしても「人為的な」においを感じる。それは私にとって(例えが悪くて信じている人には大変申し訳ないのだが)「統一教会」のようなものである。戦前の「靖国神社」「天皇制」「教育制度」がそんな「神道」に支えられているとしたら、私はそれを受け入れられない。
もし今の政府が、戦前と同様の「神道」を信じろ、というのであれば、私は間違いなく、反政府運動をするか「国家」を捨てるだろう。そして心の中の本当の「日本」を守るため、回復するための努力を試みる。西郷隆盛や田中清玄や高橋是清やわが蝦夷の祖先の魂を信じて。
日本人は「日本人にとっての戦前の反省・総括」ができていない。
左にしろ、右にしろ、目をつぶっている人が多すぎる。
だから、戦後の護国の方針やビジョンが描けないのだ。
だから、その不安定さやあいまいさにつけこまれたり、騙されたりするのだ。
信じるものを心の底から「信じる」強さと自分の頭で「考える」根性がないから、感情的に否定したり、騙されたりして、大きな痛手を食らうのだ。
自信を持って国際社会を乗り切るには、日本人は偏狭な「新興宗教」ではなく、伝統の深層に基づき、かつ現実を裏切らない真の「
ナショナリズム愛国心」を身につける必要がある。
そのためには「ミサイル攻撃」も「悪意のある世論操作」も、良いきっかけに変えて、この際議論をとことん深める覚悟をすることが、今一番重要なことだろう。
で、批判だけでなく、実際に反日プロパガンダに屈せず、日本の英霊達の鎮魂をどうするか、方法があるのか?ということについてだが、実は非常に優れた提案がある。
「小泉訪米の直前、なぜ戦没者墓苑拡充案か」osio.net よむ地球きる世界平成18年6月26日
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・・・したがって、このこんがらがった政治問題を本筋に戻すには、天皇陛下が公的に(という必要もなく)靖国神社参拝を再開されるのが最善のシナリオです。それが実現すれば、続いて諸外国の賓客が慣例として花輪を捧げるようになる。無宗教の新施設など全く必要ないのです。
むしろ、千鳥ヶ淵戦没者墓苑を現状のような無宗教でなく、日本の仏教界の共同所管に移し、神道の靖国神社と一対(いっつい)のような存在にしたほうがいいでしょう。墓苑には海外から帰ってきた日本人の無縁仏35万柱が埋葬されています。お墓はお寺の所管というのが日本の伝統ですから、無縁仏に無宗教では永久に浮かばれません。
その上で、両者を含む広大な地域を「慰霊地特区」に指定する。神社と寺が同居するのは日本独特の精神文化ですから、最も自然な形で同居させることによって、この問題は最終的に解決されるのではないかと考えます。
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これはすばらしいアイデアだと思う。
宗教の融合に基づく日本の精神文化や平和を願う気持ちを表現するためにも、現在考えうる最良の姿である。
麻生先生の考える靖国神社の改革案がぜひこの線であってほしいと思う。
そして、もう一つ別な結論がある。
それは、日経記事の真偽はともかく、やはり安倍氏は避けるべき人物である、ということだ。
彼は今の自民党でももっとも偏狭な「靖国神社」肯定者である。
そして先のエントリーに上げた全てのキーワードにつながる人物でもある。
彼こそ、その祖父
岸信介や
児玉誉士夫が残した人脈を利用し、アメリカのキリスト教右派やネオコンと通じながら、朝鮮半島の危機をうまく演出して、日本の未熟な土壌にニセの「ナショナリズム」を醸成させ、日本をして「中国との戦争」へ誘導する、アメリカの「エージェント」だ。戦略的にいう「
バック・パッシング」の仕掛け人だ。
たぶん彼は、戦前の「アジア主義」を、中国・米国の関係をひっくり返して「アメリカ主義」へと投射し、その実現を図っている。
その鍵は、戦前の「アジア主義」で満州や中国における利権を手にした岸信介や児玉誉士夫が戦後戦犯で捕まり、釈放されたことにある。その時に彼らはGHQと取引したといわれている。
その内容は、今なら察しがつく。
戦前の満州・中国で構築したあなた達の利権構造を、今度は「アメリカ」のために使って欲しい。
そういう内容だろう。
その後の岸信介や児玉誉士夫の行動、そして現在の安倍氏の行動はその観点で解析するとすごく辻褄があう。
統一教会は、岸・児玉・安倍のアジア人脈の鍵である。これらをうまく使えばマッチポンプで自分へ利益を誘導する工作もできそうだ。
信じれない人は、ウィキペディアで「
岸信介」・「
児玉誉士夫」をよく確認して欲しい。
そして先に紹介した
園田氏の論説の中の以下の文章をよく見て欲しい。
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「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び・・」という言葉を時の首相・鈴木貫太郎に送り、日本を終戦に導いた名僧・山本玄峰の元で修行し、「(陛下は反対であったにもかかわらず)どうしてあの戦争をお止めにはなれなかったのですか」と昭和天皇に直接伺い、山口組三代目組長田岡一雄とも親交があった田中清玄が許せない存在として名前をあげたのが岸信介・児玉誉士夫一派である。このあたりの『闇』はさすがの田中清弦も語るのをためらっているようだ。
いずれにせよ岸信介の孫である安倍晋三が「小泉首相がわが国のために命をささげた人たちのため、尊崇の念を表すために靖国神社をお参りするのは当然で、責務であると思う。次の首相も、その次の首相も、お参りに行っていただきたいと思う」(2005年5月28日)と札幌市内の講演会で発言した背景には、安倍の偏狭な長州史観が実によく表れている。
また、小泉首相が薩摩の血を引いていることを考えれば、現在の靖国参拝問題は単なる薩長史観に国民全体が振りまわされているに過ぎず、薩長連合による靖国参拝が、分裂寸前の中国・韓国を結束させていることを考えれば、意外と裏では『闇』つながりの仲良し勢力が潜んでいるようだ。
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すでに安倍氏に有利な洗脳、プロパガンダが進んでいる。
しかし、歴史に学べば安倍氏の「アメリカ主義」についていくと日本人は大きな痛手を食らうことが明らかだ。ネオコンやキリスト教右派は、東洋の黄色いサルが多少痛い目にあっても、自分の利益を優先させたいだろう。
しかし、それでも今の日本にとってアメリカとの関係は、必要である。
では、どうするか。
安倍氏とネオコン・キリスト教右派の線を今の日本政治から外し、それ以外のアメリカのパートナーと手を組むべきだ。
そして何より、「日本人にとっての国防」とはなにか、ということをしっかりと考え、回りの国にビジョンを示すことだろう。
麻生氏が微妙に小泉・安倍の考えからずれたことを言っていることは注目に値する。
今はもう麻生氏にかけるしかない、と思っている。
しかし、本当に信頼できるかどうかは、今後も見守っていきたい。
以上、反論はあると思うが、ぜひ今こそ「惻隠の情」をもって心の問題を考えて欲しい。
断じて、このエントリーは、特定の人・集団・日本以外の国に利益を誘導するためにかいているものではない。
今までは反論を恐れ、やんわりとしか述べなかったが、今回の日経の記事に陰謀の影を感じ、この問題で余計に問題が複雑化し、昭和天皇や無垢なる英霊の魂が傷つくことを懸念している。
感情的になればなるほど、「靖国」を政治カード化したい人達が得をするだけだ。今回の記事の狙いはまずそれを狙った陰謀だ。むしろ「靖国」だけを慰霊施設として特別視しないことが、実は「靖国」問題の解決策なのである。
また、A級戦犯合祀の議論は、それ以降に一神社の方針として決めればよいのであって、大きな問題ではないと思っている(私は合祀に反対しません)。
私は日本のため、そして多くの人に気づいて欲しくて、このブログを書いている。
異論はあるだろうが、どうか信じて欲しい。