減価する通貨が導く近代超克への道

自然破壊、戦争、貧困、人心の荒廃・・・近代における様々な問題の根本に、私たちが使う「お金の非自然性」がある

増殖する通貨・近代経済システム批判の元ネタリンク

2007-05-25 15:06:52 | Weblog
>>ろろ様

>「減価しない通貨が諸悪の根源」という視点に敬服します。これは、なかなかない目の付け所です。

ありがとうございます。しかし、これについては上に紹介したリンクも含めて、多くの先人がいて、私はせいぜい編集しているだけなのです。

一番初めのインパクトは真名さんの「Speak Easy社会」の経済シリーズです。
http://blog.livedoor.jp/manasan1/archives/cat_10013514.html

その次に「晴耕雨読」のあっしら経済学です。
http://sun.ap.teacup.com/souun/699.html
http://sun.ap.teacup.com/souun/338.html

それで連山の橘氏のエントリー「ハイパーインフレ対策としての地域通貨」を見て、
http://www.teamrenzan.com/archives/writer/tachibana/post_205.html

その先のリンクで「エンデの遺言」や「シルビオ・ゲゼルの理論とオーストリアの例」を知ります。
http://www3.plala.or.jp/mig/will-jp.html

で、これらの実践を目指した「自然主義経済」を提唱する平和党を知ったという経緯です
http://www.heiwatou.com/
http://blogs.yahoo.co.jp/seitouheiwatou
(平和党という名前から、はじめはちょっとあっち系かな、と先入観ありましたが、議論を通してむしろその深い本質を諭されました)

また石橋湛山が戦前掲げた「小日本主義」について、経済面からその欠陥を指摘している記事をどっかで見たのが、それがずっと気になっていたのですね。で、これがろろさんの戦前「大東亜共栄圏」⇒戦後「企業の海外進出」の指摘を見たときに、ああ、それかぁ、と思ったわけです。非常にするどい指摘だと思います。

>私ははっきり言って通貨制度に対して無知ですが、

私もです(笑)経済理論の一つもまともに理解していません(そもそも理系ですから)。というかこの話は、ガチガチの経済理論をマスターした人の方が気がつきにくいのではないでしょうか(脱洗脳していない自称「コスモポリタニスト」のように)。

私がこれらのことについて考え始めたのは、循環型社会の推進に付きまとう漠然とした矛盾の正体は何かということからでした。倫理だ、価値観だ、教育だ、とか色々言う人がいますけど、どれもピンとこない(昔から人間は全員が聖人君主などではない)。経済だ、という人もいますが、結局そういう人も政府主導で再配分すれば良くなると思っているので、系全体としては何も変わらない。

すべては非自然的に増加する「バーチャルな通貨という概念」に合わせて、現実側の価値を決めようとするから歪が起きるのです。これは、インフレ率がどうこうで収まる話ではない。そもそもインフレやデフレ、国家破産や「金が金を生む」イカサマができるシステムそのものに欠陥があると思う。
シルビオ・ゲゼルのロビンソン物語

近代というのは本来マイノリティーだった金貸しが、国家や国際企業・組織を乗っ取っておおっぴらにやれるようになったという時代なんですね。あまりに「おおっぴら」だから、皆が常識だと思ってますが、本来、そうではないわけです。

私のような凡人にもそれがわかるくらいですから、逆に言うと彼ら側はもっとその限界に気付いていると予想します。そして次の手を打つ際にスケープゴートとして「儲けすぎた」連中を「また」槍玉に上げて、本家はその延命を図ると予想しています。

>このシステムの操作側にいる人間と戦おうとすると、ナチスのように破滅する運命にあるということはわかります。ナチスは、政府の所得再分配機能という武器を使って、減価しない通貨を支配するユダヤ資本と戦ったのではないでしょうか。しかし、結局敵の作ったフォーマットの上でバグを起こすしかできませんでした。

これもとっても鋭いです。まさにその点がナチスが国民に支持された所以です。また、そのナチスのやり方というのはフォード(米国地場産業の成功者)のやり方を真似したものです。フォード自身も当初はナチスを支持しています(http://www.nagaitosiya.com/a/fordism.html)。しかしナチスは攻撃する相手と戦略を間違えたわけです。ナチスの失敗は非常に良い勉強材料です。晴耕雨読にもこれに関連して極めて興味深いエントリーがあります。
http://sun.ap.teacup.com/souun/133.html
http://sun.ap.teacup.com/souun/602.html
http://sun.ap.teacup.com/souun/603.html

>だから、レベルをずらして、管理通貨制度のそとで戦うしかないんですよね。

そうなんです。長いこと悩んできましたが、やっと、戦略らしきものが見えてきました。それにこの戦略が成功すれば、最終的には当の「彼ら」ですら、救われるわけです。結局それが第3の道なのです。

企業の海外進出という「大東亜共栄圏」の失敗を再び犯させないために

2007-05-24 20:14:37 | Weblog
ろろさんへのお返事です。

http://klingon.blog87.fc2.com/blog-entry-222.html#comment2265
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みなさんのご意見を伺いたいと思っていた問題があります。ちょうどコメントの流れが大陸との関係に流れてきたので、恐縮ですが貼らせていただきますね。

  これほど世間で評判が悪いのに売国路線を突き進む安倍首相を見ていると、日中戦争前後を思い出すんですよね。

  近衛文麿首相の諮問機関である「昭和研究会」に尾崎秀美(ゾルゲの仲間で、コミンテルンの工作員だったと思われる)が入り込んで、大陸進出を煽ったという話は、ちゃんと戦前の歴史を学んだ人には有名な話です。彼は華族出身で無垢な近衛を操り、「大東亜共栄圏」という日本を破滅に導く青写真を描きました。
  そして、財閥がこれに乗ったのです。土地も物価も安く、大規模な投資が可能な大陸を、起死回生の場として捉えていたのでしょう。この方針は、権益防衛という形で自分たちの仕事を増やすということで、軍部にとっても非常に都合が良かったのです。

  政党政治の信頼性が低下し、国民が謂われのない雇用悪化に苦しめられ、大企業は海外への進出志向を強く持っており、ボンクラの首相が諮問会議に乗せられて、真の世論に背を向けて突き進む・・・。

  何か、今と似ていませんか?

  安倍政権の雇用破壊はそれだけで国民にとって十分に危険ですが、最も危険なのは、

   「アジアゲートウェイ構想」

  です。
  
  こちらのリンクに概要が出ています。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/asia/point.pdf

  「アジアの成長と活力を日本に取り込み」というフレーズなど、まさに戦前の大陸進出を同じ臭いを感じるのです。安倍政権を操る人間達の真の狙いは、大東亜共栄圏の再来なのではありませんか?

  この流れを止めるには、やはり参院選しかないと思いますが、それを止めても、(親支那の野党が多いため)どの政党も企業の大陸進出を批判できそうにありません。何か良い知恵はないでしょうか?
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私は、大東亜共栄圏もグローバリズムも国家社会主義も共産主義も、結局は資本主義と同じ根っこを持つ「近代経済システム」の亜種だと思います。極端に言ってしまえば、資本主義と社会主義の違いは、利潤を捻出する主体が「民間の投資家」なのか、「国家」なのか、の違いだけです。「減価せず増殖する通貨」を借金し、投資して、なるべく短期間のうちに製品をたくさんつくって売って「利潤」をえようとすれば、その主体が誰であれ(国家であれ)、「資源や労働力は安い方に越したことはない」と思うのです。近代経済システムで「最大の利潤」を上げようとすれば、不当に資源や人を「安くたたく」ことが大前提となります。

我々は戦前から「問題の本質」の周りをぐるぐると回っているだけのような気がします。製造業の海外進出(安価な労働力と市場の確保)というのは、この「近代経済システム」を採用する限り「不可避」であり、むしろ真面目に利潤を上げようとすればするほど、そうなると思います。海外進出を推進する人達はたぶん利潤を上げるということに「誠実」なんです。右派・左派の政治家や役人も「誠実」にそれが国益なると思ってやっている。だから庶民ですらもなんとなく彼らの「誠実さ」に期待してしまう。まさに戦前の「大東亜共栄圏」と同じです。地獄への道は善意で踏み固められているのです。

結局この問題の解決には経済システムの見直しが必要なのです。答えは、資本主義や社会主義の延長にはありません。第3の道である「減価する通貨」を基準とした「自然主義経済」にあると思っています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E7%B5%8C%E6%B8%88
http://www.heiwatou.com/seisaku/sizen.html
http://blogs.yahoo.co.jp/seitouheiwatou/19186581.html

これがうまくいけば、国内では自ずと分散型社会が実現し、地方経済や市場の活性化が促されます。当然企業が海外に進出することもなくなります。最終的には鎖国に近い状態になります。また、この移行に伴って食料およびエネルギーの地産地消が本格的に推進されます。企業や国内研究機関では食料・エネルギー生産のための技術開発が進みます。「減価する通貨」は、ポイントカードのようなもので、使用期限付きのポイントを使うとイメージすれば簡単でしょう。

実は先日の三輪さんのブログのコメント欄に書いた食料の「地産地消」ですけど、
http://klingon.blog87.fc2.com/blog-entry-211.html
残念ながら既存の経済システムでは安定的に存在しえないと考えています。今のままでは地域の小資本が大資本の力を排除して地域市場を確保し続けることは難しいからです。国による保護も、結局は国が国民の税金を使って、保護するわけですから、国民は「差額」を二重に支払うことになります。またその保護政策が崩壊すれば、余計にひどい目にあうことが明らかです。一方、地域市場に自然主義経済を導入するとこの問題は解消します(詳細は上記のリンクを参照下さい)。

また、自然主義経済は、何か従来の経済システムを打倒するためのものではありません。資本主義経済との共存も可能ですし、日銀券の使用も従来どおりです。ただ、それらがうまく機能しない地域や時において自然主義経済の利点が発揮されます。また、結果として、世界全体で資本主義経済が行き詰ったときに、多くの国や地域で類似の方法が採用され、結果として人や環境の過度の破壊を抑えることに役立つと思います。また、経済や移民については鎖国状態でも、知識や情報のトレード、とくに循環型社会の構築に関するノウハウはどんどん交換したら良いと思います。中国についても、中共支配の無力化と同時に日本への難民発生を抑える必要があるわけですから、自然主義経済へスイッチが望ましいのです。

つまり「自然主義経済」を導入すれば、地方の庶民自身が大企業や国の活動に頼らなくても普通に暮らせるようになるわけです。まさに脱中心化・分散化社会の実現です。よって、巨大システムを動かす陰謀家と戦う必要はなくなります。結局、そういう第3の道を歩むことが、企業の大陸進出を押さえ、それ以外の様々な問題も同時に解決する近道になると思っています。

参院選のときに上記の政策を掲げる平和党が出てきたら、私は支持する予定です。

ある偶然の出会い

2007-05-07 21:41:04 | Weblog
出張でオランダとポルトガルに行ってきました。

ポルトガルはなかなか面白い国でした。現状で経済的にうまくいっていない国、しかも長い歴史や文化のあるところから、世界や日本をみる。これは、なかなか勉強になるし、面白いと思います。国内で「もんもん」としている人には、実際に世界に出てみると今の日本のどこがおかしいか、気が付くきっかけになるかもしれません。

私のお勧めは長い歴史に支えられた文化が残っていて、現在あまり経済がうまくいっていない国・地域です。
これまで1週間ほどの短期滞在も含めれば、世界の10カ国以上に行きましたが、この思いはほぼ確信に変わりつつあります。

オランダとポルトガルの違いで面白いのは、「もったいない」「いただきます」などの意味をあちらの人に説明したときです。明らかに後者の国の人々の方が「受け」がいい。これは、たまたまかもしれませんけど。

で、偶然というのは面白いもので、日本への帰り道、ドイツの空港の乗り換えで、暇を潰していたときに隣の席に座ったのが、アメリカにおけるイスラム文化への誤解や摩擦の問題、環境調和型社会の開発などに取り組む研究者(イラク人のムスリム)だったことです。

http://www.globalexchange.org/getInvolved/speakers/203.html

彼は、現在のイランとアメリカのConfliction(摩擦)を、温暖化対策などの環境問題をテーマに人々の対話を続けるきっかけとし、平和的に解消するべきだと述べ、イランでそのための会議を開催するために、彼の地へ向かう途中だといっていました。

私が彼の主張に同意し、あなたはアメリカとイランを結ぶ大切な「キーパーソン」だ、お体をお大事に(ちょっと体調を崩されていたようなので)といったらとても感動して、さらに宗教の共存やイランの核開発などについて色々と話ました。

彼との話で興味深かったことは、ムスリムの宗教指導者が「ファトワー」として、核兵器の生産・保持・使用を厳格に禁止することを明確に解答しているのに、「イラン」問題などで、このことが全く西洋諸国(とくに米国の人々)に伝わっていない、ということでした。

さらに、アメリカ等のメディアで取り上げられるのは、悪人扱いの大統領ばかりであり、これはイスラム諸国をかつての共産主義国ような「敵」にでっち上げるための「プロパガンダ」だと言い切っていました。

私はこの話を聞いて、やはり日本が今もアメリカ側の「プロパガンダ」下にいることを再確認するとともに、かつての大戦前夜、日本も今のイスラム諸国と同じような「プロパガンダ」の下で窮地にあったのではないかと想像しました。

日本は敗戦後、ずっとアメリカからの情報操作の下にあったことはもう疑いようが無いと思います。
そのことに目覚めない限り、日本人はかつて自分の父祖が味わったのと同様な苦汁をアメリカの属国として、イスラム諸国の人々に知らず味あわせる側になってしまうのではないでしょうか?

かつての戦争で無くなった我々の父祖が何を伝えたかったのか。
やはりどうしても思い出すべきことがあるはずです。

また、冷静にみると、イラク人ムスリムの研究者である彼が、アメリカの大学でポジションとファンド(研究費)を得て、国際的で、建設的な平和・環境活動に身を投じているという事実があります。

このことから言えるのは二つあります。
一つは私たちはアメリカそのものについてもメディアが発信するイメージに囚われているのではないかということです。アメリカの中には実に多様な文化・宗教・民族があって、それぞれの意見や立場をもって活動している人がいるということです。
もう一点は、彼のような姿勢で平和・環境活動をするいわゆる「本当の左翼」が日本にどれだけいるのか、あるいは海外からそういった人を受け入れているのか、ということです。

日本が政治的・軍事的・経済的な自立を目指すことと、排他主義になること、この両者は明確に分けねばならないでしょう。

排他主義に陥らず、本当の自立と連携を獲得するためには、やはり日本人は若いうちに一度海外にでてみることをお勧めします(もちろん、ただ出ればよいというわけでありません。心の「感度」をめいっぱいあげて、物事を吸収し、ときにぶつかってもめげない意志と覚悟が必要です。そもそも私もまだその途上で、未熟なんですけどね)。

それが結果として父祖の言葉の本当の意味を知るきっかけになるような気がします。
人は自分の国や歴史や文化や考え方を一度客観視することによって、初めてその根っこの重要さ、ありがたさ、自他の活用の仕方に気が付くのだと思います。
つまり未来の「白洲次郎」が今の日本には一人でも多く必要なのです。

イラク人ムスリムの彼とは空港でハグをして別れました。偶然の出会いなのに、何か必然を感じました。