減価する通貨が導く近代超克への道

自然破壊、戦争、貧困、人心の荒廃・・・近代における様々な問題の根本に、私たちが使う「お金の非自然性」がある

エコ経済システムについての批評に回答

2007-12-14 06:09:24 | Weblog
エコ経済システムについて、下記のブログでご紹介いただいていたのを発見!
記事内容にご批判をいただいておりますが、とても重要なところだとおもいますので、ご返答させていただきたいと思います。

闘魂 サバイバル生活者のブログ:エコと地域通貨
http://plaza.rakuten.co.jp/genzou1986/diary/200711250000/

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減価する通貨が導く近代超克への道からコピペ。農家、漁師、商店や中小企業がエコというキーワードで再生する見取り図だ。

生産者中心の視点で貫かれていて、消費者の視点がまったく顧慮されていないので、淋しい気がする。

ハイパーインフレーションや大恐慌を想定しているような感じでもあり、面白いとは思うがこのグランドデザインには都市労働者の居場所がない。

まるで終末論のような感じで、昔、労働党の連中が憑かれたような目つきで日本に革命が起こるとオルグしていたのに通底するものを感じもした。

減価する通貨が導く近代超克への道には賛成だが、自分たち都市労働者が排除されているのはいただけないような気がする。

私たちには労働力しかなく、土地も生産手段もない。独立自営の生産者に転向した上で生きていくには年をとりすぎている。

労働力人口が7千万人、そのうち3分の2がサラリーパーソンだ。さらに65歳以上人口が2500万人。ちなみに青少年が2000万人。彼らは生産者ではなく、消費者である。

これらの人間を排除する訳にはいかない気がする。

まあ、エコと地域通貨には関心があるので、繰り返し読んで、理解したい見取り図ではあるので、コピペした次第。
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都市労働者についてのご指摘ですが、図の中にあるエコ生産者協会に加盟する企業(例えば燃料電池生産企業やバイオ燃料生産企業、エコ商品流通のための流通業者・小売業など)や農林水産業の生産基盤を持っていても生産・管理のための人的労力が不足しているオーナーなどが雇用します。地域で食糧生産やエネルギーを自給するため、これらは既存の自営業者だけでなく、新たに幅広い労働者を吸収しないとなりたちません。また、エコバンクの運営を支えるIT技術やエコマーケット調査およびEマネーによる投資関連事業の企画・マネージメントを請け負う自治体・企業等にも雇用が発生します。重要なことはEマネーは雇用者側にとっても「減価する通貨」ですから、人の労働力という「良質な低エントロピー資源=商品」は、エコマーケットの規模が大きくなればなるほど生産性を挙げたいオーナーにとって間違いなく「買い」になるということです。お金よりも、商品や労働力のほうが「強くなる」これがマイナス利子に支えられたエコ経済システムのポイントとなります。

また、図中で消費者が明示されていないように見えるのは、全ての人々が生産者であると同時に消費者であるということ、それから都市機能というものが、里の農業・工業・商業に融合されて(落とし込まれて)いるとイメージしているからです。完全なる消費者となるのは、介護が必要な老人・病人・障害者で生活保護を受ける人ですが、少しでも働ける人というのは、かならず「減価する通貨」の効果で、何らかの生産活動(簡単なサービスの提供などを含む)ができるようになる(お願いされる)と想定しています(もちろん自分の稼ぎだけで完全に生活が成り立たない場合は、地域における生活保護や雇用保険が利用できるようにします)。つまり老人や青少年など、資本主義経済下では単なるお荷物的消費者とみなしている人々も、エコ経済システムでは、できる範囲でのこつこつとした小さな労働や年少の面倒を見る、誰かの話相手をするなどの活動により、Eマネーを稼ぎ出すエコ生産者となります。すなわち労働者・消費者の排除ではなく、むしろその逆の現象が起こってくるところにEマネーによる経済のメリットがあると考えています。

また、Eマネーは日本円等の「国際通貨」に対する「補完通貨・平行通貨」としての導入を想定していますので、Eマネーを使う地域が外部に対して閉じているわけではありません。つまりこれまでの資本主義経済下にある企業で働きたい人(働ける人)はそのままその企業から日本円で給料をもらうことができます。地域内のエコマーケットで何か商品を買いたいときには、エコバンクで必要な日本円を供託金として預け、同額のEマネーを受け取ればよいだけです(地域エコ自治協会は個人会員に対して常にオープンです)。エコバンクに供託金を預け、Eマネーに兌換する個人は、自動的に地域内のエコ商品や循環型社会の生産基盤構築に寄与する「投資者」になります。何かこの地域内にいるからといって、無理にエコ生産者になったり、理解を示したりしなくて良いわけです。つまり表面上はEマネーに換金するだけで、これまでの消費者らしい消費生活を続けることができます。

>まるで終末論のような感じで、昔、労働党の連中が憑かれたような目つきで日本に革命が起こるとオルグしていたのに通底するものを感じもした。

私自身は労働党って何?と言うぐらいのノンポリ30代の男ですが、そういう感じに聞こえたとしたらひとえに私の表現が悪いのだと思います。
ただ、上記のような経済システムに移るには、おそらくそれなりに現行の資本主義経済(とくに金融資本主義)に限界を感じないと誰もまともに相手にしないだろうなと感じています。オーストリアやドイツなどで地域通貨が成功した例には、すべてそのような背景がありました。革命をオルグしているのではなく、今後そのような状況に自ずとなるときの心構えを述べているつもりなのですが、色々言いたいことを盛り込みすぎたために、背景部分の説明が短絡的・扇情的になってしまったようにも思います。これは反省点ですね。資本主義・社会主義を含む「近代経済システム」におのずと限界が訪れることは、前の記事のイントロ部分のリンク先等を見ていただければご理解いただけると思います。

こういった指摘はホントためになります。感謝です。