減価する通貨が導く近代超克への道

自然破壊、戦争、貧困、人心の荒廃・・・近代における様々な問題の根本に、私たちが使う「お金の非自然性」がある

「思い出すこと」による革命

2007-11-05 22:29:29 | Weblog
長い時間をかけ、日本という「風土」に帰化し、土着豪族のサルタヒコと自らの祖をともに伊勢におまつりし、北方のニギハヤヒ系とも同じ天孫(騎馬民族)の血筋として手を携えて日本を治めていた天皇家(大和朝廷)が、飛鳥以降の「近年」になって半島や大陸からの遺臣・棄民を受け入れて(乗っ取られて)、その性格を変えていった。このプロセスというのは、日本が循環型分散社会から略奪型中央集権社会へと変わっていた転換期に位置づけられると思います(遅れた狩猟採取中心の社会が渡来人の文化によって近代化されたという解釈は恣意的なプロパガンダでしょう)。その過程で、「ヲシテ」のような数千年の歴史に支えられた当時の先進的持続型文化・哲学が失われていったようです。
http://julian.way-nifty.com/woshite/2006/04/post_9a50.html

さらにそれを徹底的に踏み潰したのが、奈良時代以降本格化した漢民族の傭兵を使った地方豪族・住民の虐殺・奴隷化・囲い込みです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E4%B8%8A%E6%B0%8F
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%A4

これ以降、公家や天皇家が「ケガレ」と「祟り」を異常に恐れるようになるのは、内部の派閥闘争の激化に加え、地方民の虐殺に係った罪の意識があったからではないでしょうか。しかし当時、外来の律令的思考に染まった人々には、支配権闘争で滅ぼした地方の犠牲者を神として「祈り奉る」思想はすでになく、蝦夷地に対してはこれまた渡来の「呪術」によって、亡骸の埋めた地面を踏み固め、祟りを押さえようとしたようです。

その名残は、岩手県奥州市の「江刺」(=夷刺・夷裂)という地名と当地に残された祭り「鬼剣舞」の形態に見ることができます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC%E5%89%A3%E8%88%9E
>>>この踊りの独特の歩行に、修験道の鎮魂の呪術のひとつ「反閇(へんばい)」がある。陰陽道で用いられる呪術的歩行のひとつで、「大地を踏み悪魔を踏み鎮め、場の気を整えて清浄にする目的で行われる舞い」・・・<<<

「鬼剣舞」は、被征服者である子孫が征服者の格好(鬼仏)に扮して、殺された先祖に対して「鎮魂の呪術」を行うという複雑な側面を持っています。
しかしながら、この「鎮魂の呪術」は時が経つにつれて自ずと「復活の祈り」に変貌していると見ることもできます。それは例えば、以下のような宮沢賢治の詩から読み取れます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E4%BD%93%E5%89%A3%E8%88%9E%E9%80%A3
>>>・・・菩提樹皮と縄とをまとふ 気圏の戦士わが朋たちよ 青らみわたるこう気をふかみ 楢と椈とのうれひをあつめ 蛇紋山地に篝をかかげ ひのきの髪をうちゆすり まるめろの匂のそらに あたらしい星雲を燃せ・・・<<<

東北の祭りや文学・芸術に、単なる華やかさや優しさだけでなく、地の底から湧き上がるような地霊の唸りがあり、また輝くような清浄さとともに深い「死の影」があるのは、上記のような背景と無縁ではないでしょう。なぜ、「ねぶた」で侵略者である坂上田村麻呂の山車を押して地を踏み跳ねるのか、宮城や岩手には、なぜ坂上氏が創建した「寺社」が多いのか。これを「謎」と呼ぶには、あまりに「あからさま」ではないでしょうか。

日本に失われたヲシテの心を復活させ、循環型の分散社会を実現することが、東北の地に眠る魂を真に開放することと思います。また、そのことが皇室を否定せずに、「本来の姿」に戻っていただくための環境作りになるのではないでしょうか。

そもそも(ヲシテ文献の通りならば)ヒタカミ(東北)のタカミムスビ家は、ヲシテが守られていた頃の皇室の成り立ちに深いゆかりのある血筋です。ならば、子が親を「思い出す」ように「そこ」に戻ることはできるはずです。


全ては「思い出す」こと。そこから革命が始まるでしょう。


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ちなみに、私の祖父の出身地は、栗駒山の宮城県側の麓です(アテルイが坂上田村麻呂と戦った土地にもかなり近い)。
亡き父の遺灰の一部は、栗駒山のとある祠の近くに撒きました。

上記のようなことに気が付くのも単なる偶然や郷土への思い入れ以上のものがありそうな気がしてしまいます。

映画「千と千尋の神隠し」で自分が何者かを忘れた「優しくて、愚かな」龍のハクが本当の名前を思い出したように、これからも気が付く人がどんどん増えれば良いなと思います。

ちなみに、ハクの本名は「ニギハヤミ コハクヌシ」だそうです(あえてニギハヤヒにはしていないところは宮崎駿のウィットでしょう)。

奈良盆地周辺の古墳から出土する琥珀の多くが、岩手県の久慈地方から運ばれたものであることが、最近の化学分析で判ってきたようですね。
http://www.kuji.co.jp/amber/rekisi.html

コハクの道(川)を幸せの道(川)に戻すために、脱律令制の自然主義経済を東北の地で!