減価する通貨が導く近代超克への道

自然破壊、戦争、貧困、人心の荒廃・・・近代における様々な問題の根本に、私たちが使う「お金の非自然性」がある

地域における必須サービスは目に見ない『コモディティ(標準化・交換可能な必需品)』

2008-11-14 16:00:27 | Weblog
Cheeさんからの質問にお答えする形で、最近の平和党ブログの記事紹介をします。

>エンデの遺言でも紹介されているIthaca Hoursの記事を書きました。
>この地域通貨は、コモディティの裏づけがありません。労働時間が単位になっています。
>公共への労働や物品提供に対して、このタイプの通貨を発行するところから始め、やがてそれを受け付けるビジネス同士のトレードに広げていくというのはどうでしょう?

住民にとって常時必要なサービスというのは、目には見えない形での「コモディティ」であると考えます。具体的には自分が(ほぼ確実に)出来るサービスと他人が(ほぼ確実に)出来るサービスを通貨担保たる「コモディティ」として、とくに地域で必須性の高いサービスの交換⇒自給自足を促していけば良いという認識です。

Ithaca Hoursは現行地域通貨としては良いアイデア・システムだと思いますが、①減価する機能がないこと(よって、流通力に乏しいこと)、②交換リングという方法が一般になじみが薄く、使いづらそうに思えること、(すみません、Ithaca Hoursは精巧な紙幣(減価機能なし)でした。詳細はこちらhttp://www.ithacahours.com/)③サービスの量や質を保証・維持するための合意形成は単にIthacaなどを真似するのではなく、日本なら日本の地域社会の事情にあったものにする必要のあること、などが課題と思います。

よって、まず①についてきちんとシステムを作るときに初めから織り込むことが重要です。言葉を変えていえば、これを理解・許容できる共同体から始めるということです。また②については、何か新たなアイデアとそれを実現する具体的な技術系の確立が必要だと思っています。そういうことが得意な人材を自治体などにリクルートするか、キームガウアーのように地域の学校や専門家などが協力して実現できれば良いと思っています。さらに言えば、そのような『人材のネットワーキング』を可能とする人材がグループ内の企画中枢にいることが重要です。活性のある組織には必ず『人材を活性化させる人材』がいます。
但し、本当に防犯・防災・救急が必要とされる「危急時」には、利便性よりも必需性が優先されて、多少使いにくくても、取引は進む可能性があることを指摘しておきます。

③が実は一番重要だと思っています。目に見えないサービスを担保とするわけですから、実態のあるコモディティを担保とするのに比べ、サービスを交換するための互いの信用が重要となります。また、1対1の信用だけではうまくまわらないのが「人の世」です。ですからとくに初期においては、共同体の代表が自然通貨の発行やその担保となるサービスおよび取引市場を「オーソライズ」する必要があると思っています(このオーソライズを与える部分が日本の場合NPO・NGO主導では色々と限界や問題があると感じています。但し、今回はその理由についての議論をするつもりはありません)。例えば以下で紹介する平和党ブログの記事に出てくる『減価する市税免除券』などは、市税制度というすでにあるサービスシステムを利用した自治体の長による自然通貨市場の「オーソライズ」であると言えます。

目に見えない「コモディティ」を通貨担保とする方式では、まず自治体やPTA・商工会とかの共同体単位で、きちんとサービスの供給量と質を確保するための準備や合意形成を図ることが必要と思います。つまり自然通貨を発行する前に、きちんと自分達の共同体内で自給自足きる「サービスのラインナップ」を確認することです。またその時に、あんまり希望的な企画やラインナップではなくて、まずはとにかく必要で、サービスの時間と質を確実に保証できるもの(=『コモディティ化』できるサービス)からリストアップして、職業分担もある程度決めておくことだと思います(人物の固定化ではなくて地域に必要な役割の明確化と考えてください)。将来的には、多様なサービスを自然通貨で取引できるようになると思いますが、まずは共同体という「体」の基礎である骨(=自治組織やその長による自然通貨市場のオーソライズ化・提供サービスの担保化)と必須臓器(サービスを生み出す人・グループの役割分担と信頼=債権保障)がないと共同体内の「経済」に生命性(持続可能性)が生まれません。一度生命性さえ生まれれば、赤ちゃんが大人になるように経済規模の拡大および取引される財・サービスの多様化、生活空間や取引空間の重なる他の共同体との連携が始まると思います。このあたりの発展はお稽古ごとの「守・破・離」のように順番を追った発展(経験的な積み重ねとそれに伴う規模と質の変化)を意識する必要があると思います。これを逆転させて理想から考えすぎるとやはり途中で活動が止まるか、崩壊すると思います。

平和党公式ブログ:市町村によるスモールディフェンス
http://blogs.yahoo.co.jp/seitouheiwatou/35465000.html

大坂さんのいうように、まずは地域の治安対策として防犯・防災を分担する人々を自然通貨で雇用するシステムを作るのが良い案と思います。具体的には彼らが地域全体や受益者のために使った「時間×質(役割の困難度)」に応じて給料や賃金を支払い、地域で供給できる他のサービス(あるいは財)と交換できるようにすればOKでしょう(市税免除券というのも市が税金で提供している各種サービスの割引券と同義です)。ただ、ここで忘れていけないのはやはりサービスの「質」の確保だと思います。大坂さんが度々指摘しているように、きちんと心得を持ったプロに、本当に困難な役を請け負ってもらわねばなりません。と同時に、それ以外の人にも自分にできる範囲でなるべく仕事を分担してもらう必要があります。つまり役割(リスク)や技能(スキル)に応じた給金の違いが必要であり、その「市場性」が共同体のメンバーに納得できるよう民主化・透明化されている必要があります。よって、始めは人材雇用および賃金体系に関する取り決めを共同体内で行い、その長の権限でもって「オーソライズ」する必要があると思っています。そして共同体の長が共同体内で交換可能なサービスの量と質に見合った規模の「自然通貨」の発行を保障することで、通貨が担保される仕組みです。

最近の事情を鑑みれば、医療サービス、介護サービスなども地域での自給自足が強く求められると思います。スモールディフェンス構築のための自然主義経済がある程度軌道にのれば、上記の二つについても同じような方式で自給自足を促すことが可能と思います。

目に見えないコモディティを自然通貨の担保とする利点は、現在すでにスキルのある人材(ソフトパワー)をうまく雇用(利用)できればすぐに実効性を確保できるので、財の生産に必要な資源管理や生産・流通・加工手段、リサイクル(廃棄)処理の最適化を考えなくて良いところです。実際の財の生産・管理において最適化を怠ると、経済的にはどんなに理想でも、実生活面でのエントロピー(環境や食品の汚染、資源の枯渇etc.)が増大して、暮らしにくくなる可能性があります(減価する通貨による経済下であれば、最終的には持続・循環可能な思考や手法だけに淘汰されていくと思いますが、その初期には色々と技術的課題も浮上するでしょう)。要するに人材の活用以外に自然の力を活用するための知恵や技術や文化が必要ということです。

但し、本当の本質としては、人間の提供するサービス業は重農主義で指摘されるように非生産業です。至極当前の事実として「人間は食物を食べないと動けない」からです。人間活動も含め目に見える形での地球上の全ての活動力や創造力(系内で増大するエントロピーを減少させ、生命を持続可能にする根源的な力)は、『お天道様』に起源があります(石油だってそもそもはお天道様の力で育った生物が地層の中で化学的に変化してできたものと考えられています)。

ですから、自然主義経済の導入をどこからやるかという短期的目標(目の前の危機への対応)と手段(目に見えないコモディティーの取引)が達成された後に、中期的な目標・手段としての食物・エネルギーの自給につなげていく必要があると思います。その段階で、目に見えるものと目に見ないものが各種自然通貨の担保となり、通貨の流通量および市場がさらに広がっていくと思います。

お天道様の力をどのように受け止め、人間が利用可能な形にすれば良いか。これについてはまたぼちぼちと記事にしたいと思います。ポイントは、再生可能エネルギーの生産業は基本的に農林水産業と同じ一次産業であるということです。それから、微生物・植物から運搬用の家畜までなるべく生物を介在させた方が、太陽の光を人間が効率よく利用できるであろうということです。

また、誰もが比較的使いやすいような減価する通貨の導入・決済方法などについても調査したりアイデアを練ってみたいと思います。

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22 コメント

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Unknown (Chee)
2008-11-14 21:02:49
本当にありがとうございます。
また私の深く考えないコメントなんですけれど、
まず、②、イサカアワーは交換リングではないです。紙幣です。結構手間かかっています。
日本では地域通貨は交換リングが多いようですね。印象としては、すぐにはじめるのに紙幣を刷るのはたいへんだからかな、と思いました。
①の減価機能をつけるの場合、紙幣の場合はスタンプでしょう?それだと、週2%減価だと大変すぎる、となるとチップを埋め込んで、みたいな話になり、ちょっとした個人的な労働の場合にどうやってそれを使うのさ、となりますよね。交換リングだと、西千葉では、毎月新しい通帳が発行されて、その残高が前の月より1割少なくなるみたいです。意外と減価率高いです。
③私には、日本の特別な事情ってのがわからないんです。同じに見えるんです。もうどっちがどっちの国かわからない時あるくらいで。笑
真似をするというか、長く続いている例ですから、かなりの部分を学べると思います。

確かに、プロフェッショナルの人材は大切だとは思いますが、私の直感では、専門家ばかり過ぎない方がいいような気がします。
学校や既存の共同体に協力を得るのが早道かもしれないですね。
マサチューセッツのBerksharesの場合は、地元の小さい銀行も協力したそうです。だから、本格的な紙幣を発行でき、町の人の信用もあるのでしょう。ithacaもそんな感じみたいですよね。
どのくらいの準備ではじめるか、じゃないですか? 
はじめる際に、ほとんど円を使わないか、たくさん使うか、うんと小さい規模からはじめるか、市や銀行ぐるみではじめるか。

手探りですね~。
良い週末を!

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>>Cheeさん (花ブナ)
2008-11-14 22:21:12
>イサカアワーは交換リングではないです。紙幣です。

ああ、そうでしたか。これは失礼しました。

紙幣式は減価せず、減価するのが、交換リングorスタンプ紙幣(労働証明)というのが多いですね。


①②については技術論です。これこそ直感ですが、私はもっと便利な方法は生み出せると思っています。

基本はスタンプ式ですが、要するにこれを既存インフラや技術、地元の社会システムの特徴を使って安く使いでの良い「減価システム」を作ればよいわけです。

それぐらいのこと具体的ニーズを真剣に掴もうと思えば、すぐにできると思うんです。むしろ先例にこだわりすぎたり、通貨の発行者が地域のニーズを十分把握できてないから、どうやれば自分達向きのよいツールが生み出せるのか発想が出てこないのだと思います。

キームガウワーの例はたぶんそういう「地域を知る心・社会構造に基づいたニーズ」によって支えられています。

まあ、これについてはいずれまた考えてみます。

>かなりの部分を学べると思います。

そう思います。私はそういう点では「節操」なしでOKだと思います。ただ、それを自分達の共同体用に「身体化」しなければ、単なる知識のままで終わるでしょう。

>同じに見えるんです。

そうですか。私は色々違うと思いますよ。日本の中だけでも色々と違いを感じます。

NGO・NPOだけをとっても日本と他国では色々と違いを感じますね。

日本が特別だとか言いたいのではなくて、世界各地の風土にそれぞれに特色があって、それを無視したところに「経済の身体化」というものはないだろうと私は思っています。

もちろん、人間としての共通項(とくに生きるか死ぬかということ)に基づくことはたくさんありますから共通性をきちんと理解して、システムを作ることも重要だと思います。

実はその両者の共鳴こそが本質だと思うのですが

>専門家ばかり過ぎない方がいいような気がします。

専門家もアマチュアも一般人も、全員をカバーするのが自然主義経済です。

>どのくらいの準備ではじめるか、じゃないですか?

そうですね。
すべては地域の事情、とくに深刻な必要性をどうするかが基点だと思います。

そこの把握にエネルギーと時間をかけることだと思います。そのディテールが把握できれば、方法論は自ずと浮かんでくるように思うんですよね。
必要は発明の母というように。
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医療・介護 (大坂佳巨)
2008-11-15 04:33:29
先々を見据えると、医療・介護に詳しい人が党内の人材に求められますね。

何人かめぼしい人はいるのだけれども、イマイチ自然主義経済を理解していない人が多いんです。反対してるわけじゃないんだけど、なんか今一つ網にかからんというか。

厚生労働大臣を早く決めたいところです。

自由連合時代の人で引っ張れそうな人がいるんですがブログは書けないと思う人がいますが。
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Unknown (花ブナ)
2008-11-15 16:22:07
そうですね。誰か欲しいですね。

実は今年の春、私の叔父がなくなったのですが、彼は戦後無医村で開業をした信念の人でした(今は結構大きな病院になっています)。晩年院長を辞してからも、亡くなるまで別の病院の老人リハビリの現場にいました。

叔父ならきっと自然主義経済を分ってくれたような気がします・・・


救急医療ではありませんが、自然主義経済を理解しそうなのは、例の「ゆる体操」をやっている人達にいそうな気がします。予防医学や介護に武道に通じる体の使い方を考えていますから。

ブログを書けない人は、大坂官房長官が代理でアップするのはどうでしょうか。


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こんばんは (しわ)
2008-11-17 21:56:30
花ブナさん、お久しぶりです。
奥山さんのところで、横綱論の議論を楽しく拝見させていただきました。


本題とは逸れるかもしれませんが、

>日本が特別だとか言いたいのではなくて、世界各地の風土にそれぞれに特色があって、それを無視したところに「経済の身体化」というものはないだろうと私は思っています。

これ、とても大切なことだと思います。
また「世界各地」を「日本各地」に置き換えることもできるのではないかと思います。
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>しわさん (花ブナ)
2008-11-20 00:12:52
お久しぶりです。

>奥山さんのところで、横綱論の議論を楽しく拝見させていただきました。

えっ?読まれていたんですか。あれ結構臆面なくコメントしてしまったので、ちと恥ずかしいです(苦笑
でも、奥山さんの懐深いコメントも聞けて、とても楽しかったですね。なんというかまだ判っている人は大勢いるんだと思います。

正直、これから色々と大変なことがあると思います。
しわさんから以前いただいたコメントに「これから2・26のやり直しがあるかも」というようなことを話しましたが、金融恐慌、田母神論文の騒動、最近の元厚生省事務次官に関する事件まで、本当にそういう歴史の繰り返しに向かっているような気がします。(奥山さんのところに書いた「歴史は繰り返す」という意味は要するにそういうことです)

平和党の大坂さんも最近また同じようなことを書いています。
http://blogs.yahoo.co.jp/seitouheiwatou/35577217.html

正直、もうどんな手段や考え方でもかまわないので、とにかくそうした歴史の因果を少しでも犠牲の少ない方向に向けられるようにと思っております。その内容が多少トンデモとかタブーであろうが、まあちょっと趣味も混ざっているけども(笑)、何か結果的に報われればよいだろうと。

そうした究極を考えていくと、自然と「横綱論」や「俺の宇宙論」や仏陀の「自灯明・法灯明」やヲシテの「ヒトナルミチハ トオモチヒ ソノモトハ ロテ」にたどりつくような気がするんです。そしてそれを様々な「状況」にあわせて方法論へとデコードするための柔軟性と実行力、そして多少「おやじ」になる覚悟があればよいだろうと。道途上ではありますが。

>また「世界各地」を「日本各地」に置き換えることもできるのではないかと思います。

激しく同意です。我われは一度、周囲や上方に向きすぎて眩暈を起こしている目を閉じて、自らの足の裏に感じる「感触」を思い出す必要があるのだと思います。
そして新たに目を開いた時、やっと天地の本当の広がりが見えるのだと思います。

目を閉じて、足の裏の感触を思い出すためのきっかけは「外圧」でもなんでも利用すればよいと思い始めています。それが結果として、本当に失ってはいけないものが何かを思い出すことに繋がるのであれば、最終的に犠牲を最小に抑えるはず、そう信じて。まずは自愛と感謝から(笑)
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Unknown (花ブナ)
2008-11-20 00:57:56
元厚生次官に関する事件において、亡くなれた方々に心からのご冥福をお祈り申し上げます。
また、現在も重大な被害を受けご治療されている方々のご回復を心からお祈り申し上げます。
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日常使用品の交換システム (海舌)
2008-11-27 19:44:18
とても刺激的で興味深い記事と問答が続いています。
「貨幣の本質」について、白紙から考える御尽力に、とても共感しています。
哲学の常道として、一度、「エポケー、「判断停止」」する方法があります。

「物々交換」です。

これは、多分、歴史的にも自然な方法だと思います。

日用品の物々交換システムの土壌の上に、「減価する貨幣」システムを乗せる、このような考えについて、どのように御考えですか?
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貨幣とその未来 (花ブナ)
2008-11-28 12:22:10
コメントおよび記事のトラックバックありがとうございます。

>物々交換システムの土壌の上に、「減価する貨幣」システムを乗せる

基本的にはそのように考えています。
また、「減価する貨幣」が物々交換システムの「土壌」を育てるとも考えています。

物々の中には、上記の記事で説明したように、目に見える財だけでなく、サービスも含まれます。

結局、我々は互いの労働産物を交換しているように見えて、その本質は「労働力」の交換です。さらに労働力の本質は、自分が存在する共同体において自分が「かくありたい(⇔ありがたい)」と思う気持ち(精神性)です。この「かくありたい」は、今日的な「自己実現」と言葉のうわべは上にていますが、精神的ベクトルの向きは逆です。「かくありたい」には気持ちが「利他(=利共同体・利風土)」に向かうことで、「利己」が満たされるという「自他」認識があります。また、「利他」に向かう気持ちの内側には強い自己肯定が同時に存在します。自己肯定の根本は、外部基準ではなく、内なる無償の愛です。内なる無償の愛は、今は亡き世の全て(虚数的世界)の因果を受けて発生します。

自然界に存在する全ての生命はそもそもアモルファスであり、周囲と自ずからホロン構造を形成するものだと思います。経済活動の根本もそうしたアモルファスな個が共同体の中で「かくありたい」と言う気持ち(自我)を発露したときから始まると言えます。

貨幣というのは、突き詰めていくと、共同体内で発生する労働力という見えないエネルギーを「見える化」「身体化」させたようなものです。また、労働力の根源が、形のない無償の愛(虚数的エネルギー)だとすれば「貨幣」は、人間がそのイメージ力を用いて作り出したある種の「擬似生命」といえるかもしれません(ここはPS理論において貨幣がメディアポイントであるとの予測と一致します)。

かつて貨幣のルーツは「奴隷の代替」にあるという話を聞いたことがあります。とすれば奴隷に身をやつしていた頭の良い人が、貨幣に永続性+増殖性を持たせれば、逆に貨幣で人間を奴隷にできると着想に至ったのも無理からぬことでしょう。ならば、今日において貨幣の永続性+増殖性を消してやれば、とりあえず、擬似生命が人間様を奴隷にすることはなくなり、『限りある生命』として人間の生や自然の命とともにあるようになるでしょう。

次に人間側の意識改革といて「使用人→奴隷」という「中央→周辺」構造が絶対ではなく、「中央⇔周辺」であるように「使用人⇔奴隷」という関係が理解されるようになる必要があります。また、そのためには一度、管理者(消費者)→被管理者(生産者)という2者対立構造を解消して、伝統的な[共同体管理者⇔(消費者⇔生産者)]という3体均衡構造を復活させる必要があります。こうした共同体運営イメージの変革と減価する通貨によって「かくありたい(⇔ありがたい)」という力が充分に発揮される世の中になるでしょう。

そうした意識変遷に必要な「判断停止」は、日本においては外圧によって成される可能性が高いと見ています。

その後に生まれる新たな共同体は風土に固定した「体細胞型」の8割と風土を持たずに価値観や技能でまとまる「血液型」の2割が誕生すると思います。血液型の一部は、最終的には神経中枢を作るかもしれませんが、それがいつ頃成されるかまではわかりません。地球という物質の上に人類の作り出したメディアポイントが薄く広がり、その神経伝達物質として「バンコール」を水素兌換通貨として発行し、各地の「地域通貨」とバランスさせれば、貨幣システムとしては一通り完成となるはずです。

ネグリ=ハートの予言した「マルチチュード」というのは、上記のような自然主義経済の発展において誕生するものだと考えています。

そして貨幣の本来の姿が減価するものであるということが「常識」となり、人類が様々な物理的・精神的エネルギーを家族以外とも自由にやり取りできるほどに物的・精神的に豊になったとき、「貨幣」はその役割を終えると考えています。
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即座に参加する用意があります (海舌)
2008-11-28 15:24:22
丁重な説明、ありがとうございます。
実は、同じような考えを持っています。
もう少し深く御話すると、数年前から、この時のために、準備していました。

花ブナ氏の理論を、実際に、「物々交換」共同体で、実現してみませんか?

具体的なプランを「平和党」を通じて、意見交換させて頂ければと思います。



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