今月は4冊。ここ1~2年の中では良いほう。
1.ローマ人の物語32 迷走する帝国(上)
2.ローマ人の物語33 迷走する帝国(中)
3.ローマ人の物語34 迷走する帝国(下)
塩野七生さん。新潮文庫。
久しぶりにこのシリーズの続編が出ました。
3世紀の話ですね。カラカラ帝からディオクレチアヌス帝の直前まで。
高校程度の世界史では、一般にはあまり扱っておらず、衰退するローマ、というひとくくりで済まされている部分かとおもいます。
フランク、ゴートなどの蛮族や、ササン朝ペルシャに対するローマの外交防衛戦略、内政では疫病や自然災害の続発、市民の権利と義務の問題、そして次の世紀で公認されるキリスト教の当時の状況などですね。
重要なのは、前の世紀とくらべた場合、ローマ市民のよりどころになっていた共同体への信頼がどんどん落ちていき、自信がもてなくなるという点です。いろんな政策のミス、そして継続性の失われた状況で、組織単位でだんだんだめになっていく過程ですね。ゆでがえる的ですが。
一番心に残った言葉を引用します。
「不幸や逆境にくるしんでいる人々にとって、最後の救いになり慰めになるのは希望であると、最盛期時代のローマ人であったセネカでさえも言っている。そのローマ帝国も三世紀後半になると、帝国内に住む人に対して「平和」(パクス)をあたえることができなくなったがゆえに、「希望」(スペス)も与えられなくなってしまったのだ。この人々に対して、かたくなな信心よりも自由な理性の働きを重視すべきという、哲人皇帝マルクス・アウレリウスの言葉は効果を期待できたであろうか。
キリスト教の勝利の要因は、実はただ単に、ローマ側の弱体化と疲弊化にあったのである。ローマ帝国は、自分自身への信頼という、活力を維持するには最も重要な要素である、気概までも失ってしまったのであった」
・・・
実は会社で、これと似たシーンに遭遇しました。
若いのに、絶望に満たされている人。
今も、未来に対しても、希望がないというのです。
手を変え品を変え、どんな小さいことでもいいからチャレンジする気概をもとうというメッセージを送っても、絶望感でみたされた人の心にはひびくことがありません。
その人の過ごしてきたであろう過去(絶望にいたった長い経緯)を考えると、涙がでます。きっとつらかったのでしょう。絶望することで心の平衡を保っているのでしょう。
なんとかしたい、きっかけを与えたい、と思っても、絶望している人に対してはなにもできることがないだろう、とも思います。絶望を救えるのは宗教的なものだと考えるからです。私にはその資質はありません。
自分は、どんなに小さくても希望を感じてくれる人、探す人といっしょにすすんでいくほうをとります。すすむことが幸せにつながるかどうかはわかりませんが。
4.子どもは公立に預けるな!
和田秀樹さん。ソフトバンク新書
精神科医兼受験評論家(カリスマ)として知られる人ですね。
そんなに今の公立はだめなんだろうか、と考えてしまいます。
筆者の指摘するように、教育課程は昔と髄分と変わってしまっています。親世代の受けたものとはずいぶん違っているのですが、具体的に算数の学習内容を見るとほんとびっくりですね。あまりにも軽くなっているというのは筆者の言うとおりだと思います。
ひとつの考え方としてですが、
公立でいろんな人と過ごしながら、自分の適性を考えつつ、こういうことをやりたい、そのためにたとえば進学したいとか留学したいというように、本人が自発的に自主的に考えるように育ってほしい、と親が考えていたとしても、果たしてそれが可能なのか、
ある程度本人の適正を見ながら、私立である程度似たような生活環境の人とすごしながら、面倒見のよい環境ですごしていけるように、先にレールを引いてしまうべきなのか、
それとも第3の道があるのか、
いろんなことを夫婦で考えていく必要があると思いますが、そのためには今の教育課程、学校事情などを知る努力をしないといけないという筆者の指摘ももっともだと思いました。
先の話だと思っているとあっというまだと思うので、ぼちぼち情報収集です。
ただ、この本については、センセーショナルな話も多く、ほんとうにこんなにひどいのかな、と疑問に思う部分も多々あります。
1.ローマ人の物語32 迷走する帝国(上)
2.ローマ人の物語33 迷走する帝国(中)
3.ローマ人の物語34 迷走する帝国(下)
塩野七生さん。新潮文庫。
久しぶりにこのシリーズの続編が出ました。
3世紀の話ですね。カラカラ帝からディオクレチアヌス帝の直前まで。
高校程度の世界史では、一般にはあまり扱っておらず、衰退するローマ、というひとくくりで済まされている部分かとおもいます。
フランク、ゴートなどの蛮族や、ササン朝ペルシャに対するローマの外交防衛戦略、内政では疫病や自然災害の続発、市民の権利と義務の問題、そして次の世紀で公認されるキリスト教の当時の状況などですね。
重要なのは、前の世紀とくらべた場合、ローマ市民のよりどころになっていた共同体への信頼がどんどん落ちていき、自信がもてなくなるという点です。いろんな政策のミス、そして継続性の失われた状況で、組織単位でだんだんだめになっていく過程ですね。ゆでがえる的ですが。
一番心に残った言葉を引用します。
「不幸や逆境にくるしんでいる人々にとって、最後の救いになり慰めになるのは希望であると、最盛期時代のローマ人であったセネカでさえも言っている。そのローマ帝国も三世紀後半になると、帝国内に住む人に対して「平和」(パクス)をあたえることができなくなったがゆえに、「希望」(スペス)も与えられなくなってしまったのだ。この人々に対して、かたくなな信心よりも自由な理性の働きを重視すべきという、哲人皇帝マルクス・アウレリウスの言葉は効果を期待できたであろうか。
キリスト教の勝利の要因は、実はただ単に、ローマ側の弱体化と疲弊化にあったのである。ローマ帝国は、自分自身への信頼という、活力を維持するには最も重要な要素である、気概までも失ってしまったのであった」
・・・
実は会社で、これと似たシーンに遭遇しました。
若いのに、絶望に満たされている人。
今も、未来に対しても、希望がないというのです。
手を変え品を変え、どんな小さいことでもいいからチャレンジする気概をもとうというメッセージを送っても、絶望感でみたされた人の心にはひびくことがありません。
その人の過ごしてきたであろう過去(絶望にいたった長い経緯)を考えると、涙がでます。きっとつらかったのでしょう。絶望することで心の平衡を保っているのでしょう。
なんとかしたい、きっかけを与えたい、と思っても、絶望している人に対してはなにもできることがないだろう、とも思います。絶望を救えるのは宗教的なものだと考えるからです。私にはその資質はありません。
自分は、どんなに小さくても希望を感じてくれる人、探す人といっしょにすすんでいくほうをとります。すすむことが幸せにつながるかどうかはわかりませんが。
4.子どもは公立に預けるな!
和田秀樹さん。ソフトバンク新書
精神科医兼受験評論家(カリスマ)として知られる人ですね。
そんなに今の公立はだめなんだろうか、と考えてしまいます。
筆者の指摘するように、教育課程は昔と髄分と変わってしまっています。親世代の受けたものとはずいぶん違っているのですが、具体的に算数の学習内容を見るとほんとびっくりですね。あまりにも軽くなっているというのは筆者の言うとおりだと思います。
ひとつの考え方としてですが、
公立でいろんな人と過ごしながら、自分の適性を考えつつ、こういうことをやりたい、そのためにたとえば進学したいとか留学したいというように、本人が自発的に自主的に考えるように育ってほしい、と親が考えていたとしても、果たしてそれが可能なのか、
ある程度本人の適正を見ながら、私立である程度似たような生活環境の人とすごしながら、面倒見のよい環境ですごしていけるように、先にレールを引いてしまうべきなのか、
それとも第3の道があるのか、
いろんなことを夫婦で考えていく必要があると思いますが、そのためには今の教育課程、学校事情などを知る努力をしないといけないという筆者の指摘ももっともだと思いました。
先の話だと思っているとあっというまだと思うので、ぼちぼち情報収集です。
ただ、この本については、センセーショナルな話も多く、ほんとうにこんなにひどいのかな、と疑問に思う部分も多々あります。