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『生きるための経済学』(安冨歩著)

2019年11月28日 | 政治経済

私たちは「自由」に縛られている

現代社会の生きづらさはどこから来るのか。

出来る限り自由であるために選択肢を増やそうと、
私たちは貨幣に殺到し、学歴や地位の獲得に駆り立てられる

アダム・スミスから現代の市場(シジョウ)理論にまで通底する、

〈選択の自由〉という希望こそが現代社会を呪縛しているのだ。

市場(イチバ)で飛び交う創発的コミュニケーションを出発点に、生を希求する人間の無意識化の情動を最大限に生かすことで

時代閉塞を乗り越える道を探求する (帯より)

 

現在の市場経済学は相対性理論を否定し、熱力学第2法則を否定し、因果律を否定している。そのおかしな市場経済学を信仰していること、それが息苦しさの原因である。

「自由が欲しい。選択肢が欲しい欲しい欲しい」でも「自由だよ、自己責任だよ」と言われれば言われるほど、生きるのは苦しくなる。競争するしかない。ほしい選択肢が手に入らない。

多くの現代人が「自由」がほしい、というときそれは「選択の自由」である(アダムとイブの話に由来する西洋的なもの)。自分の「選択」から「責任」が生じ、間違った選択をすれば罰せられる(神に背けば天罰が下る)。だから常に罰を恐れて生きる。

しかし、そもそも「選択の自由」は実行不可能である。無理。なぜなら、選択は無数にあるから。現実は、いくらか絞り込んだ選択肢を設定(誰が!)するしかない。

生きることを「選択」の繰り返しと考えると苦しい。そうではなく、

生きるとは「自分の道」を進むこと。(道は自分が創り出すもの)
道から外れたと思ったらまた戻ってくればいい。

自分の道を、文字通り「自由」に、自分に由って、自分に正直に、”学習”しつつ進む時、「創発」がある。

創発(気づき、アイデア、創造性、、、など湧いてくること)は、本当の自由、心の自由、子どものような遊び心からしか出てこない。
それが生まれるのは、選択の自由の行使によって形成される概念的な市場(シジョウ)ではなく、
人それぞれ、一人一人の個性、多様性が認められた市場(イチバ)である。
創発は机上にはなく、具体的な場所、現場の中にある。

創発を阻害するのは、「選択の自由」という”牢獄”の中のハラスメントである。

目に見えないシジョウではなく、目に見える生き生きとしたイチバを生きよう。創発による経済発展をめざそう。


超大雑把に、大体こんな感じのことが書かれてたと思います。いや、もっともっと深くて、もっといっぱい書いてあったか、、、??

また、読み返してみようと思います。(ちょっと難しかった 

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