昨日のつづき。もうひとつ。
第Ⅶ篇第二章 在俗信者
第二節 ウダヤ
ウダヤさんというバラモン(当時のインドの階級)の家にお釈迦様が托鉢に回っていた時のこと。ウダヤさんの家に3日続けて行くと「三回もくりかえしやって来て、しつこいなあ」と言われたお釈迦様は答えました。
「 いつもくりかえし種子を蒔き、
いつもくりかえし神々の王が雨を降らし、
いつもくりかえし農夫は田畑を耕し、
いつもくりかえし〔雨を降らす神々の王が〕他の国土にまでも及び、
いつもくりかえし托鉢行者が食物を乞い、
いつもくりかえし施主が施与をなす。
いつもくりかえし施主は施与をなしたあとで、
いつもくりかえし天界なる場所におもむく。
いつもくりかえし乳牛業者は乳を搾り、
いつもくりかえし仔牛は母に近づく。
いつもくりかえし人は疲れ、また苦しみ労する。
いつもくりかえし愚者は母胎に入り、〔迷いの生存をつづける〕。
いつもくりかえし生まれ、また死に、
いつもくりかえし墓場にはこぶ。
しかし智慧豊かな人は、再び迷いの生存に至ることのない道を得て、再びくりかえし生まれることはない」
「輪廻」のことですね。ワタシたちは無明(無知、愚か、悟ってない)からまた生まれる(輪廻する)のです。そして、苦しい生をやり直す(修行とも言える)。ウダヤさんも私たちも悟ってしまえればいいのですが。お布施の機会をもらって有り難いと思えないウダヤさんだから繰り返されたのかな?
勉強でも運動でも、なんでもそうです。わかってしまう、ちゃんと身につくまでは、繰り返し練習なり訓練なり失敗(経験)なりを繰り返す。くりかえすのは苦しかったりするけど、くりかえし励んでいればいつか楽になる。まあ、くりかえしも楽しくやってしまえばいいと思います。
善いことのくりかえしは大事だよね。
というか、アホだからくりかえすのは仕方ないよなあ
くりかえし、くりかえし、、、だなあ。
はやく賢くなりたいものです。
昨日の詩もそうだけど、声に出して音読してみてください。
心に沁みます、、、ワタシは
116 善をなすのを急げ。悪から心を退けよ。善をなすのにのろのろしたら、心は悪事を楽しむ。
117 人がもし悪いことをしたならば、それを繰り返すな。悪事を心がけるな。悪がつみ重なるのは苦しみである。
118 人がもし善いことをしたならば、それを繰り返せ。善いことを心がけよ。善いことがつみ重なるのは楽しみである。 (岩波文庫 中村元訳 ブッダの真理の言葉)