皆さん心身の不調はいくつぐらい持ってますか?
10個ですか?
100個ですか?
皆々様それぞれ各々ありますでしょうが、腰痛や肩こりってのがあります
で、私はやったことないのですが、鍼治療もあるとのことですが、お灸もあるんですよね?
注射が大嫌いな私からすると「鍼って…」となりますが、それはひとまず置いといて、お灸。
いつから直接的な良き行為とされ始めたかは分からないですが
"お灸を据える"
という言葉がありますから"湿布を貼る"とはまったくニュアンスが違ってたはずです。
おしおき、しつけ
西洋の子息はお尻を鞭打ちされるイメージですが、それの和タイプということで間違いない。
日本では大人までその対象な気もしますが、日本人は若く見られますから。
ニホンジンカワイイネ
つまり
ですよ
おしおきだったものが時代と共に治療になった
これぞ歴史のダイナミズム。
仕置人がやってきて「据えてやる!」と首肩腰にお灸を仕置く
悪代官は「ぐわぁ〜」とは言うものの、仕置人が満足気に帰っていったのを確認したら
「きもてぃ〜」
とほっこりしてたわけですよね。
しかしそれを家政婦がこっそり見てて
「あれじゃあ、悪人はいなくならないよ」
と井戸端会議で話します。
もちろん井戸端だけで留まるわけもなく、マスコミの耳にも入りまして
記者会見を開かなければならなくなり、もの凄く詰められて
「いや、あのぉ、でもいままでずっとそうだったので…」
と、しどろもどろ。
情報公開制度により内部文書を求められ、ベッタベタの黒塗り文書を出します
本来の"黒歴史"はこれを指しますので、現在一般に言われているのとは別です。
こちらもダイナミズムそのもの。
しかし
当時は今ほどあっさりしてませんから、そこで終わらず問題解決を図る公儀もいます。
司法取引などをして罪を不問にするかわりに代官から事情聴取をして詳細を知ろうとする
(同僚と言えば同僚ですしできることも多いでしょう)
「最初は相手の勢いもあって、やられた感を出してたし実際やられた感じはしていたんですが、翌日なんか調子が良かったんですよ」
と代官は話します。
あとから見ればどこにその効果があるかを見定めるのは選択肢が多いから難しいわけです。
季節なのか時間なのか場所なのかその日食べた何かなのか相手なのか自分なのか罪なのか罰なのかたまたまなのか
幾人もの悪代官の事情聴取を重ね、辛抱強く丁寧に調書を見てくうちに
「お灸か?」と辿り着く。
仮説を証明するために実験をしたいわけですが
やる方も技術が必要でしょうし、やられる方も必要な人じゃないと駄目ですよねきっと。
これも今から見ればどうってことないですが、罰とされているものを「ヤらして」と言うわけですから大変です。
洗濯板のゴツいやつの上に正座させられて腿に石板を乗せられてゆくアレ
それを「きっと気持ちいいからヤらして」と言ってるのと同じですから、相当なスキモノでないと「いやですよ」となります。
当たり前です。
まぁ、でもやられる方はそのままお代官様に被験者になってもらえばいいわけですが
やる方
人を縛り上げるのもプロじゃないと危ないわけで、というか治療、医療にも資格が必要なのは昔からで
素人が手を出すと危険なわけです。
(なんでもそうです)
当の仕置人は長年の経験から自然とお灸の高等技術を修得してましたが、しかし彼はもう執拗なまでの言葉の袋叩きにより精神を病み、辞任し、その後行方不明
なんとか居場所を突き止めたらそこはお寺
出家していたのです。
切腹していないだけマシでしたが、果たして今さら俗世界のことに関わるかどうか…
三顧の礼を尽くし話を聞けることになり、しかし禅問答のような答えしか返ってこなかったが言葉、所作の端々から本質を見極めた某公儀
娑婆に戻り、杉田玄白みたいな人と元悪代官とあーでもないこーでもないと研究を重ね、長い年月をかけ、某公儀の孫にあたる人物によりお灸の基礎が体系化され、日本中に広まっていったのです。
10個ですか?
100個ですか?
皆々様それぞれ各々ありますでしょうが、腰痛や肩こりってのがあります
で、私はやったことないのですが、鍼治療もあるとのことですが、お灸もあるんですよね?
注射が大嫌いな私からすると「鍼って…」となりますが、それはひとまず置いといて、お灸。
いつから直接的な良き行為とされ始めたかは分からないですが
"お灸を据える"
という言葉がありますから"湿布を貼る"とはまったくニュアンスが違ってたはずです。
おしおき、しつけ
西洋の子息はお尻を鞭打ちされるイメージですが、それの和タイプということで間違いない。
日本では大人までその対象な気もしますが、日本人は若く見られますから。
ニホンジンカワイイネ
つまり
ですよ
おしおきだったものが時代と共に治療になった
これぞ歴史のダイナミズム。
仕置人がやってきて「据えてやる!」と首肩腰にお灸を仕置く
悪代官は「ぐわぁ〜」とは言うものの、仕置人が満足気に帰っていったのを確認したら
「きもてぃ〜」
とほっこりしてたわけですよね。
しかしそれを家政婦がこっそり見てて
「あれじゃあ、悪人はいなくならないよ」
と井戸端会議で話します。
もちろん井戸端だけで留まるわけもなく、マスコミの耳にも入りまして
記者会見を開かなければならなくなり、もの凄く詰められて
「いや、あのぉ、でもいままでずっとそうだったので…」
と、しどろもどろ。
情報公開制度により内部文書を求められ、ベッタベタの黒塗り文書を出します
本来の"黒歴史"はこれを指しますので、現在一般に言われているのとは別です。
こちらもダイナミズムそのもの。
しかし
当時は今ほどあっさりしてませんから、そこで終わらず問題解決を図る公儀もいます。
司法取引などをして罪を不問にするかわりに代官から事情聴取をして詳細を知ろうとする
(同僚と言えば同僚ですしできることも多いでしょう)
「最初は相手の勢いもあって、やられた感を出してたし実際やられた感じはしていたんですが、翌日なんか調子が良かったんですよ」
と代官は話します。
あとから見ればどこにその効果があるかを見定めるのは選択肢が多いから難しいわけです。
季節なのか時間なのか場所なのかその日食べた何かなのか相手なのか自分なのか罪なのか罰なのかたまたまなのか
幾人もの悪代官の事情聴取を重ね、辛抱強く丁寧に調書を見てくうちに
「お灸か?」と辿り着く。
仮説を証明するために実験をしたいわけですが
やる方も技術が必要でしょうし、やられる方も必要な人じゃないと駄目ですよねきっと。
これも今から見ればどうってことないですが、罰とされているものを「ヤらして」と言うわけですから大変です。
洗濯板のゴツいやつの上に正座させられて腿に石板を乗せられてゆくアレ
それを「きっと気持ちいいからヤらして」と言ってるのと同じですから、相当なスキモノでないと「いやですよ」となります。
当たり前です。
まぁ、でもやられる方はそのままお代官様に被験者になってもらえばいいわけですが
やる方
人を縛り上げるのもプロじゃないと危ないわけで、というか治療、医療にも資格が必要なのは昔からで
素人が手を出すと危険なわけです。
(なんでもそうです)
当の仕置人は長年の経験から自然とお灸の高等技術を修得してましたが、しかし彼はもう執拗なまでの言葉の袋叩きにより精神を病み、辞任し、その後行方不明
なんとか居場所を突き止めたらそこはお寺
出家していたのです。
切腹していないだけマシでしたが、果たして今さら俗世界のことに関わるかどうか…
三顧の礼を尽くし話を聞けることになり、しかし禅問答のような答えしか返ってこなかったが言葉、所作の端々から本質を見極めた某公儀
娑婆に戻り、杉田玄白みたいな人と元悪代官とあーでもないこーでもないと研究を重ね、長い年月をかけ、某公儀の孫にあたる人物によりお灸の基礎が体系化され、日本中に広まっていったのです。