長距離

2008-02-08 | Weblog
ここんとこツアーのなんやかんやで日本各地にメール、電話、郵便をする機会がもっさりですが、便利な世の中になりましたね。
通信発達は世界を変えます。
未だに「電報」のシステムが分かってないんですが、メール、電話、郵便ではできないことがそこにはあるのでしょうか。不明ですし、一生使わないと思いますが。
イメージとしては「メールを郵便する」なんだけど、あってますでしょうか。

似たようなことですが、ご当地というのはもう消えてると思います。
そこでしか食べられないものとかは特に。というかそんなのもはや無いでしょう。
特産とかはいかに全国に置くかというよりも、できるだけ県外に出さないようにするという方向になるはずだ。
あそこでしか味わえないってのありますか?
景色だっていまは綺麗なテレビあるし。
しかしまぁ、景色くらいかな。「大きさ」って移動するの難しいし。
でもいまどき景色なんて写真撮ってブログに載せて「行ってきたよ~」と書くために存在してるわけだからご当地景色もどうでもいい扱いである。
だからここんとこはもう外国行っても有名なところよりどこでも紹介されてない普通の下町やらに行った方が面白いなんて風潮になったりなのか。ご当地を求めて。
まぁ、あそこに行かないと食べられない感ってのは地域が出さないで各店舗が出せばいいということだろう。

と、食も旅行も興味無い純朴17歳の意見でした。

興味無くはないんだけどね。
「何が食べたい」と聞かれれば言いますし、「どこにでも不具合無く行ける権利を得たらどこに行きたいか」と聞かれれば答えられます。
つまりここから分かるように、僕ちゃん旅行に関しては不具合無く行きたい人間であって、それはもはや旅行とは相反するニュアンスであり、外国を視野に入れると不可能となってもおかしくない流派となります。
ってかねぇ、例えば「東京からNYに行ったけど荷物はカイロに行った」とかいう事態は僕のしっかり者感覚からしてみれば有り得ないことなんですよ。どういう神経でそうなんだよと。

コンビニでアイス買うべくレジに行ってお金出したら店員さんが食べ始めた。

ってぐらいなんだけど、それが実際有り得てるんだから有り得ないの!
もちろんそういう体験もどちらかというと面白い、そういうのを含めて旅だよねっていうマゾヒスト全開な人の感覚も分からないでもないしもちろん否定するほど興味もないわけで。


しかし異文化に触れることは大切である。
宗教勧誘する人にはもっと触れてほしい。
「自爆する方法もあるんだぁ!」とかにはなってほしくないけど。


それにしても日本の政界って暗殺無くなりましたよね。
江戸時代らへんはもちろん、それはもう明治の頃から昭和のころまであった気がする。
もちろん政治家の暗殺なんて許されたものではないですが、そのぶんみんな真剣だったようにも思えます。だったって言っても見てないから知らんけど。
命を賭してる感があって、時代背景もあっただろうけど。
平成に「激動」と呼べる期間があったか。政変と言っても大したことないし。クーデタレベルの。
答:平和になったから。
これに尽きます。いや、本当に素晴らしいと思いますよ。

そうそう、暗殺で思い浮かぶのが、大化の改新の正当性だね。
中大兄皇子と中臣鎌足だっけ?
後の天皇が暗殺をして、それがどっちかというと正義の鉄槌扱いということで小学校で習うわけなんだけど。これクーデタだよね。
昔の天皇の積極的政治参加という面がいまから見て面白いですし。
違いが面白い。もはや別の国の話に近いけど。


こういう政治の血潮感。


たぶんなんだけど、今はなんだかんだ言ってかなり最先端民主主義になって、政治家の力でどうこうしにくくなってるのがあるんだろうな。特に個人のカリスマで。
今の時代に数十年後「まんが歴史の人物」みたいなのに載る人ってあんまいないというか。
一問一答で、この人はこれをした人ってのがないというか。
日本史の試験に出ないというか。

つまりコイツを殺せば諸悪の根源を絶てるというぐらいの権力一人集中って感じでもないし、殺した人がそのまま政治の舵取りできるほど法曹界も国民も寛容じゃないし「やっても損」ってことか。
じゃあ誰が仕切ってるのかっていうと官僚の部分が大きいってことで、一つの権限を誰かじゃなくて言ってみれば省という一法人が握ってるから、ある意味変えるには省を暗殺するしかないし、これならまだ政治家を暗殺するより意味あるとおもうんだよねぇ。もちろんシステム変更ってことだな、省の暗殺は。
それはもう根本から変える感じで。バージョンを変えるとかじゃなくね。
もっと元はOSってんだっけ?
でもそうじゃなくて、別の次元へと。
PS2からPS3に変えるんじゃなく、PSからWiiにするんでもなく、PSからダイソンの掃除機に変えるくらいじゃないと。


社保庁の体質とか「予算を全部使わないと’いけない’」という公的機関の考え方なんて前から沢山の人が知ってたわけで、それが最近ようやくというかなんとういかで「悪いこと」ということになってんだから。
公と私の溝は確実に減ってるよね。
でもそれによって公の部分が減る覚悟はないと駄目でしょう。つまりお金払ってサービスを受けるという形。生活保護とか医療助成とかは気を抜いてるとドンドン減ってくよってことで。これって公と私の溝ってのと多少次元が違うんだけど、まぁニュアンスで。

そこの調整を政治家がして、その政治家を国民が評価して選出するってのが本来なんですが。

どこで歪んでるんですかね?


でもやっぱり基本的にはいい方に向かってると思う。
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