尿意の妙意

2008-02-02 | Weblog
大抵「あっ、尿意だ」となり、それが危険レベル1だとするとそこから時間とともにレベルが上がって、5くらいになると「ちょっと先のこと考えないとな」となり、8か9になるともう「どげんかせんといかん」ってなるわけよ。
ほんでそこからはもう自分の中の「犠牲にできるもの」との比較考察を必死でしてどうにかするってのが常識パターン。
まぁ、そういうことなんだけど、なんかここんとこ気が付いたその瞬間がもうレベル6なんだよね。
これってどういうこと?
鈍感になったのか、もしくは長年僕と付き合ってきたために「どうせあんたレベル5くらいじゃなんとも思わないでしょ?」とスレた感じになってしまったのかもしれない。尿意が。
逆に敏感になったのかも。これもうレベル6でしょ!ってのが実はまだレベル1だったという。敏感というかむしろ過小評価というか。
過小評価は駄目だよね。
人間は謙虚じゃないと人間じゃないという持論がありますが、謙虚と卑屈を混同してもらっては困るのです。
そして過小評価は卑屈への近道。
これだと信者になってしまいます。勧誘が使命だと思ってしまいます。
気を付けなければ。

尿意も甘く見て放っておくと宗教の末端構成員になってしまうという良い例ですね。



そうそう、いまどき音楽はCD-Rとかに焼かないでスティックに覚えさせて移動するんです。
はぁ、凄いなぁ。
シャーペンの芯かと思ったらそんな機具だったの。
初めて買った。
初めて触った。
初めて使った。

人間の頭脳に感嘆です。
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