昨日、娘と亡父の墓参りに行って来た。ずっと不機嫌なモラ夫からは花代も出ず。
ゆえに、交通費節約のために沿線の駅まで2キロほど、チャリで行く。
さすがに娘を付き合わせるのは気の毒なので、30キロの娘を乗せて環七を北上・・・。
重い・・・。坂道ではもちろん歩いてもらう。
電車に乗って、郊外の駅に。お花とお線香とお供えを買って、だだっぴろい霊園に。
毎度毎度思うのだが、線香に火がつきにくい。チャッカマンが要りますわ。
娘は何を思ったか、墓に向かってお願い事をしていた。初詣じゃないよ?
私が小学生の頃、家族で転勤先の新潟県長岡市に住んでいた。
夏は花火が有名で、冬は2メートル以上積雪があるところだ。
父は長岡の地が気に入り、母と離婚してからも一人で住んでいた。
ところが6年前の10月の地震。中国に旅行中だった父は、自分の店
(ちいさな飲み屋をやっていた様子)が心配になり、帰国を急ぎ、
兵庫近辺の友人宅から長岡に帰ろうとバスに乗る前に倒れた。
心臓の手術をしたことがあったので。父はそれからその地の病院に運ばれ、
2週間ほどで亡くなった。母が一度病院に行ったときには、喉に管を通され、
話すことは出来ず、意識もはっきりせず、目の動きで簡単な意思を表していたとか。
当時九州におり、娘も幼く、パートとはいえ働いていたたこともあり、
また生前の確執から、危篤だと聞いても会いには行かなかった。
亡くなってから、母が送った娘の写真を父は部屋に飾っていたという。
(これも当時、離婚時の年金分割制度がなく、母が困りかねて分割して欲しいと
手紙を書いたついでに勝手に送ったものである。孫の写真でも見れば
気持ちが変わるんじゃないかという目的のもとに)
それを聞き、娘に一度会わせてやれば良かったかな、と思った。
でも父のことで母が苦労し続けたことや、自分も苦労した事を思うと、
生前は会う気持ちすらなかったのだ。
被害者同盟のつぶやき、、、私も全く同じ事を思っていました。
私はお父様の住んでいた所に住んでいます。
なんとなく親近感が沸いてコメントしてしまいました。
小さい町ですからそのお店に行った事があるかもしれませね。
文章が被害者同盟の管理人さんに似てますね。
ユーモアがあって大好きです。
ありがとうございます。長岡にお住まいなのですか?私は転校先でいじめられたりも
しましたが(結果、新潟大の付属小に転校)犬を飼ったり楽しい思い出もたくさん
ありました。父が毎週、ごそん文庫?図書館に連れて行ってくれたり。今もあるのかな。
花火はいつか母を連れて見に行きたいです。
管理人さんは私などよりもっと知的&タフでステキなお方だと思いますよ。
設備の整った図書館ができましたから
私は子供がいないのでよくわからないのですが、今は付属の方が虐めが凄いらしいです。
私の子供時代は付属は頭のいい子が行くという、そして頭のいい子は虐めなんてしないというイメージでしたが、、、陰湿な虐めなのかなあ
花火は地震以来ますますパワーアップしています。
私は地震の翌年からモラハラにあって会社を退職後に見た花火が忘れられません。
うーん、私の時代も付属に来てたのは、地元の開業医や、大学教員の子が多かったもの。
スキーウェアもブランドで揃えてたり、プチ有閑倶楽部のような。
だから委員長とかして頭のいい子が陰でいじめたりってのがありましたよ昔も。
あの頃のクラスメート達は今どうしているやら・・・。
花火は長岡のを見てしまうと、都会の激混みの花火なんぞ見られるか、と思います。