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鮎川玲治の閑話休題。

趣味人と書いてオタクと読む鮎川が自分の好きな歴史や軍事やサブカルチャーなどに関してあれこれ下らない事を書き綴ります。

埋もれた軍歌・その29 馬と兵隊―英徳攻略戦―

2014-10-16 17:51:25 | 軍歌
今回ご紹介する軍歌は「馬と兵隊」。といっても東海林太郎の歌唱で1939年4月にレコードが発売されたあれではなく、南支派遣軍報道部による雑誌『へいたい』の詩歌欄に投稿された歌です。作詞は前回ご紹介した「行李の進軍歌」の作者でもある荒川部隊の高木喜三郎。副題として「―英徳攻略戦―」とあるのは元の雑誌に掲載されている通りですが、これはもしかしたら既存の「馬と兵隊」との混同を避ける意味で付加されたのかもしれません。


馬と兵隊―英徳攻略戦―
                 荒川部隊 高木喜三郎
                 麦と兵隊の曲

旦(あした)に映ゆる白雲山も
和平甦(か)へりし広東も
暁まだき冬空に
墨絵の如き名残かな
駄馬よ往くんだ英徳へ

道なく橋なく田圃も畔(あぜ)も
泥濘(ぬかるみ)山路(くまみち)戦車壕
繕(つくろ)ひ進む追撃に
己が塵埃(ほこり)を煙幕に
兵は語らず馬嘶(な)かず

水の渇(かは)ける北江磧(かはら)
砂漠の如き洲(す)を蹴(け)つて
淵(ふち)に架(か)けたる鉄舟橋
暮れる夕闇躓(つま)づくな
影ぞうつれり居待(いま)ち月

峻(けは)しく狭(せま)る香爐の峡(はざま)
淵(ふち)は絶壁藪(やぶ)つづき
竹を押しわけ擦りわけりや
瞬(またた)き仰ぐ銀河系
闇の足もと駄馬(うま)よ来(こ)よ

駄馬を背後(うしろ)に杣徑(そまみち)ゆけば
巡る彼方の銃声(つつおと)が
足の痛みに鞭打ちて
登る峠は巖(ゆは)の路(みち)
明日は陥(おと)すぞ! 英徳を



元の掲載誌では一番の「旦」の振り仮名が「あし」となっており、また五番の「そまみち」の漢字も「柚徑」となっています。いずれも誤植と考えられるため、ここでは以上のように改めました。また掲載誌版では歌詞中に読点による区切りがありますが、今回の文字起こしにあたって削除しました。
副題にもなっている「英徳攻略戦」は、恐らく日華事変中の1939年12月から翌年1月にかけて行われた翁英作戦の一部を指しているのではないかと思われます。前回の「行李の進軍歌」と同じく、前線の戦闘の様子ではなく馬による輸送任務の途中と思われる情景が描かれています。

埋もれた軍歌・その28 行李の進軍歌

2014-10-05 21:52:25 | 軍歌
前回に引き続き『へいたい』第二号からのご紹介です。雑誌に掲載された文章では冒頭に「私の実感です共鳴下さい 愛馬進軍歌曲に合はせて」とあり、また詩の後に「他の隊では第五番の第二三句を次の様換へて下さい」とあります。自分の所属する隊だけではなく、南支派遣軍の他部隊でも通用する「軍歌」となることを作者が念頭に置いていた事が伺えます。なお、この「他の隊」バージョンの歌詞は以下の場合(カッコ)に入れて示しました。


行李の進軍歌
           荒川隊 高木喜三郎
           愛馬進軍歌曲

一、九段の華に咲く覚悟
 戦く胸と血を抑へ
 断崖巡る三日月夜
 車陣をつくり駒と寝る

二、星の光に鞍をいて
 進む十 十五粁
 越えたあの山この麓
 秣あたへて朝餉炊く

三、舟を連ねて粗朶しいた
 假橋浮かす濁流を
 挑む敵兵壓へつつ
 彼岸に進む勇め駒

四、曠野の草木こがす日も
 塵にまみれてもろともに
 銃聲送る夕まぐれ
 今一息だ進め駒

五、御前を叱り鞭打つは
 紅に染つた傷兵の(弾薬兵糧前線へ)
 治療の任務重ければ(輸送の任務重ければ)
 哭くな果さういとし駒



この作者が所属した「荒川隊」はどうやら馬匹を利用した輸送部隊であったようで、メロディを利用した「愛馬進軍歌」が戦闘部隊としての騎兵について歌っているのとはかなり印象が異なります。敵との直接的な戦闘を感じさせるものは三番の「挑む敵兵…」くらいのもので、あとはひたすら輸送途上のことを歌っています。また荒川隊は負傷した兵士の後送任務にも従事していたようで、五番はそれについて歌っています。
二番の「進む十 十五粁」という部分は実際に口ずさんでみるとややメロディに合わない部分がありますが、もしかすると最初は「進む十粁 十五粁」であったものが編集の過程で脱字となったのかもしれません。また、四番の「銃聲…」も私が見た復刻版では三文字目がかなりかすれており判読困難でした。この部分については文字起こしが誤っている可能性がありますがご容赦ください。

埋もれた軍歌・その27 噫!桑島伍長

2014-10-01 20:45:59 | 軍歌
今回ご紹介するのは、日華事変(日中戦争)中に南支派遣軍報道部によって昭和14年から広東で発行された兵隊向け投稿雑誌、その名も『へいたい』の第3号に掲載された軍歌です。
元々この『へいたい』には南支派遣軍に参加している兵隊が自作の詩を投稿する欄があるのですが、そこで投稿されている作品の中には「○○の譜で」と既存の歌曲のメロディにあわせて歌うことを前提としているものがいくつか見受けられます。作者自身がメロディを指定して歌うことを前提としている以上、これは軍歌として紹介しても差し支えないでしょう。


噫!桑島伍長
           ○○部隊本部 高畠茂稔
           あゝわが戦友の譜

一、地平遙かに陽は落ちて
 月影冴ゆる沼のへり
 手向けし花もしほれたる
 無言の戦友(とも)の墓標(はかじるし)

二、君が病ひの篤きとき
 友の輸血も二度三度
 手厚き看護の甲斐もなく
 護国の華と散つたるか

三、死なばともにと昨日まで
 語りし戦友よ! 今いづこ
 呼べど答へぬ草の上
 墓標の蔭にすだく蟲

四、弾丸(たま)の霰と降る中を
 真一文字に突き進み
 鉄より固きトーチカの
 一番乗りは君だつた

五、血潮に染まつた日の丸を
 城頭高くひるがへし
 泣いて叫んだ萬歳の
 君のあの聲忘られぬ

六、「譬へ矢弾丸(やたま)に死なずとも
 御国の為だ泣きはせぬ
 お前の手柄褒めるぞ」と
 健気な君の母の文

七、「あなたのお顔まだ知らぬ
 坊やは立派に育てます」
 みどりの黒髪断ち切つて
 位牌に誓つた君の妻

八、白木の柩(はこ)を抱きしめて
 涙も見せずほゝえんだ
 母は銃後のおぎなぐさ
 妻は銃後のおみなへし

九、あゝ! 我が戦友よ大陸の
 山河を染めた紅き血は
 明日の日本の花と咲き
 武勲(いさほ)は永久に薫るぞよ

十、涙に濡れて書き綴る
 拙なきこの歌故郷の
 君が母御も妻や子も
 泣かずに笑つて読むだらう



さて、ここまで読んできた皆さんはきっとこうお思いの事でしょう。「桑島伍長って誰だよ」と。わかりません。
元の記事ですと冒頭に「(亡き戦友の霊に捧ぐ)」と書いてありますので、恐らく作者である高畠氏の戦友なのだろうと思われますが、どこでどのように戦ってどこで死んだのかはまったくわかりません。
歌の題名の形式は「噫中村大尉」や「ああ!空閑少佐」「あゝ梅林中尉」などの軍歌に見られる「ああ+人名+階級」という形式を踏襲していますが、扱われている題材は無名の一兵士の病死です。本来なら決して軍歌にはなりえないような人物の死ですら、「戦友の死」という物語として軍歌となりメディアによって物語化する、という構図がここから見えてきます。この詞が掲載されたのが南支派遣軍報道部による現地発行の雑誌であるという点も注目すべきでしょう。
メロディを流用している「あゝ我が戦友」と比較してみると、三番の詞において「死なばともに」と「昨日まで語り」合っている点(「戦友」では同じ事を「日頃から思いし」としている)などの類似が見られます。一方で「戦友」の方では戦死した友の最後を伝える手紙の内容を思案しているのに対し、この詞では既に家族の元へ桑島伍長の病死は伝えられているようで、死を知った母や妻の様子が描写されています。もっとも「みどりの黒髪断ち切つて位牌に誓つた」とか「白木の柩を抱きしめて涙も見せずほゝえんだ」などの描写がどこまで事実に即しているかは不明で、この辺りもやはり物語的であると云えるでしょう。

埋もれた軍歌・その26 新日本の歌(朝日の巻/桃太郎の巻/花咲爺の巻/浦島太郎の巻)

2014-08-05 17:42:36 | 軍歌
はい、というわけで今回ご紹介する軍歌も底本は昭和5年『新進軍歌全集』です。例のごとく作詞者・作曲者・メロディは不明。


新日本の歌

朝日の巻

朝日かゝ゛やく日の本は
 富士の高峯(たかね)に正気(せいき)みち
わかき生命(いのち)の湧き出でゝ
 栄光(はえ)の歴史に三千年(みちとせ)の
礎かたき新日本(しんにほん)


宏(ひろ)く文化の粋をとり
 世界をてらす御鏡(みかがみ)に
国のすがたの崇(たか)きかな
 神武不殺(しんぶふさつ)の御剣(みつるぎ)に
正義の力漲(みなぎ)れり


今や大道(だいどう)おこるとき
 聖(きよ)き御玉(みたま)のたか光(ひか)り
登る朝日のてらすごと
 仁慈洽(あまね)くかゝ゛やきて
四海は一に帰せむかな

桃太郎の巻

海の国なる日の本は
 島また島につらなりて
世界文化の揺籃に
 桃か桜か栴檀(せんだん)か
双葉にかほる新日本


忠信(まこと)あふるゝ真心の
 凝りてゆかしき大和魂(やまとだま)
金鵄の光かゝ゛やける
 父祖建国の遺図(いと)をつぎ
崇(たか)き希望(のぞみ)に胸は燃ゆ


腰に着けたる吉備団子(きびだんご)
 正義に立ちて雄々しくも
世界教化の鹿島だち
 四海の民を友として
天地(あめつち)ひらけ道のため

花咲爺の巻

桜花(さくらばな)咲く日の本は
 竹の園生(そのふ)も民草も
聖(きよ)き努(つとめ)を励みつゝ
 萬(よろづ)の国と共栄の
花をば咲かす新日本


国に難(なやみ)の来(きた)るとも
 忍慈(にんじゅ)の前に力なく
灰燼(はひ)より出づる鳳凰の
 瑞気は四方(よも)にたなびきて
わかき生命(いのち)ぞ甦る


天の使の舞ひくだり
 花咲爺(はなさかぢぢい)はいさみたち
永久(とは)に栄(は)えよと灰まけば
 萬(よろづ)の民はことほぎて
花かむばしゝ全世界

浦島太郎の巻

恵(めぐみ)ゆたけき日の本は
 天(あま)つ日嗣(ひつぎ)の御位(みくらゐ)の
大地(たいち)とともに彊(かぎ)りなし
 龍宮城の海ふかく
恩愛ゆかし新日本


姫がかたみの玉手筥(たまてばこ)
 開けばかはる白髪(はくはつ)に
既往(すぎこしかた)を偲ぶれば
 天の岩戸に神々の
舞ひにし跡は今いづこ


時のながれの絶間なく
 廻りて茲(ここ)に三千年(みちとせ)の
わかき光の浦島が
 神にも似たる姿こそ
久遠(くえん)の生命(いのち)新日本



はい、長いですね。それぞれの「巻」は3番まであり、「巻」自体は4つあるのであわせて12番まであることになります。
最初の「朝日の巻」では三種の神器を歌詞の中に盛り込んであり、「桃太郎の巻」以下は若干無理やりな感じもしつつ桃太郎や花咲爺、浦島太郎といった馴染み深い日本の童話をモチーフにしています。
桃太郎については鬼と戦いやっつけるという内容から軍事的な宣伝と相性がよく、明治45年に出版された『新編軍歌集』(剣光外史・編)に「桃太郎の歌」が収録されているほか、大東亜戦争期には国策アニメーション映画として「桃太郎の海鷲」や「桃太郎 海の神兵」といった作品が作られています。そういった意味でこの「新日本の歌」に「桃太郎の巻」が入っていることはそんなに珍しくはないんですが、花咲爺や浦島太郎といった然程「軍国的」とも思えない題材が取り上げられているのは面白いかもしれません。
昭和5年という満洲事変以前の時期に出版された軍歌集に載っているにもかかわらず「四海は一に帰せむかな」だの「萬の国と共栄の」といった、後の東亜新秩序や大東亜共栄圏の思想につながる部分が見られる点もやや興味深いですね。

埋もれた軍歌・その25 殉難潜水艇

2014-08-03 06:25:02 | 軍歌
例によって例の如く『新進軍歌全集』よりの一曲ですが、今回は珍しくメロディが軍歌「陸奥の吹雪」と同じものだと判明しています。なお作詞者はいつものように不明な模様。


殉難潜水艇
      (陸奥の吹雪と同譜)


今をさかりと咲く花の
頃しも卯月十五日
君と国とに酬(むく)いんと
伎倆(ぎりょう)を磨く艇とゝも
新島辺(あたらしまべ)の波の間(ま)に
散りにし花ぞいと惜しき


潜(くぐ)りて進む水の底
命のつなと頼みして
閉塞弁の鎖切れ
漲(みなぎ)る潮(うしお)おこる瓦斯
常世のやみに襲はれし
あゝ第六の潜水艇


あはれ呼吸(いき)も迫り来ぬ
今はの際(きは)の束(つか)の間(ま)も
己(おの)が本分守りつゝ
勇士の最後かくなりと
乱れぬ様を世にとゝ゛め
斃れてやみし大和武士


はや是れまでと艇長の
責(せめ)を我身(わがみ)に負ひて謝し
功(てがら)は部下にと帰して揚げ
別れを告ぐる言の葉も
涙と血もて書きし文(ふみ)
読みては誰(たれ)か泣かざらん


十有三の艇員は
心を砕きひたすらに
部署を離れず退(しりぞ)かず
従容自若泰然と
職に殉じて潔(いさぎよ)き
覚悟のほどこそ雄々しけれ


あな勇ましの勇ましの
佐久間大尉を始めとし
花より清き大丈夫(ますらを)の
笑ふて眠る英魂は
天晴(あっぱれ)武士の鑑ぞと
千代萬代(ちよよろづよ)に歌はれん



既に大体の皆さんがお気づきだと思いますが、歌の題材となっているのは1910(明治43)年4月15日に起こった第六潜水艇の沈没事故ですね。
この事故の際に佐久間大尉以下十四名の殉職者が最後まで配置についたまま亡くなり、また艇長が事故の原因や殉職者遺族への配慮などを記した遺書を認めていたことは有名で、大和田建樹作詞、瀬戸口藤吉作曲による「第六潜水艇の遭難」という著名な軍歌も作られています。