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寿司の世界か世界の寿司か?

2008-08-27 | 食べ物関係!!
インフレなのに価格下落?高級水産物市場の構造不況
2008年8月26日 DIAMOND ON LINE


 「かなりお買い得になっていますよ」――。築地関係者がこう話すのは、カニやウニ、フグなど、1キログラム当たり数千円で取引される、いわゆる高級食材だ。原油高、資材高によって、世界的な食料価格高騰が続いているにもかかわらず、高級品に関しては逆に弱含みというから興味深い。
 先週、日本銀行は10年ぶりに景気判断を「停滞」に下方修正するなど、日本経済はいよいよ不況に突入した。個人消費低迷も顕著で、百貨店や外食産業の業績も落ち込んでいる。
 そんな状況下にあって、消費者が真っ先に削るのは「贅沢品」。全国から築地にやってくる高級食材は、「まるで高値が付かなくなってしまった」と水産卸関係者は頭を抱える。
 たとえばタラバガニやズワイガニは、日本近海の水産資源減少によって、漁獲高がすっかり落ち込んでいる。供給が細っているのに価格が上がる気配はいっこうにないというから、需要減退はそうとうに深刻だ。
 寿司屋の高級ネタの代名詞であるウニに至っては、値段が安くなって採算が合わないため、漁師が獲らなくなってしまった。築地におけるウニの取扱金額は過去1年間で国産品、輸入品を合わせて約94億円だったが、大手卸関係者によれば「15年ほど前の3分の2にすぎない」。
 アラスカ産のイクラのように、新興国の金持ちが高値で買いあさるため、日本人がほとんど買えなくなってしまった食材もある。
 バブル崩壊以降、街の寿司屋や料理屋は減少の一途をたどっており、ただでさえ長期低迷が続いている。そこに景気減速が追い打ちをかけた格好だ。
 7月15日には全国の漁船が一斉休漁、今月もサンマ漁船が操業停止するなど、水産業界は疲弊し切っている。世界に誇る魚食文化は、いまや風前の灯である。

(『週刊ダイヤモンド』編集部 津本朋子)
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ボストンのマグロを、築地でセリして
上海の鮨屋で食べる「スシエコノミー」

グローバリゼーションの断面を世界的に普及する“スシ”という切り口から分析した『The SUSHI ECONOMY』がアメリカでベストセラーとなっている。世界14カ国のスシを自らの舌で味わった著者のアメリカ人ジャーナリストに、スシ経済の醍醐味を聞いた。(聞き手/『週刊ダイヤモンド』編集部 大坪亮)


『THE SUSHI ECONOMY』著者、サーシャ・アイゼンバーグ氏
 今朝(6月23日)、東京・築地市場内の鮨屋でアジを注文したら「外国人なのに?」と驚かれた。“ヒカリモノ”、英語でブルーフィッシュ(青魚)を外国人は好まないことをその板前は知っていた。

 今や鮨はグローバルな料理だが、ネタに対する好き嫌いは各地域でまちまちだ。アメリカ西海岸のカリフォルニアロール(アボカドを海苔で巻いた)は、ブラジルに行くとマンゴー巻きに変わる。フランスの鮨屋では、サケが欠かせない。

 例外はマグロ。世界中どこでもいちばん人気だ。だから、需要量は年々高まり、価格は上がる。

 ただし、江戸時代の日本ではマグロのトロは猫の餌になっていたという。1960年代くらいまではトロよりも赤身が好まれていたが、牛肉では脂身がおいしいというアメリカの食文化の影響を受けて、日本でもトロの人気が高まっていったというわけだ。
 人の好みは刻々と変化しており、鮨ネタの需要が今後どう変わっていくかは予想がつかない。
 供給面も変わっている。1970年頃のアメリカではマグロはスポーツフィッシィングの対象に過ぎず、釣り上げた後は廃棄処分されていた。それに目を付けた日本人が、飛行機で日本に運ぶことを考え出し、以来マグロは空を飛んで運ばれるようになった。

 乱獲防止の漁業規制があるが、産地を隠してそれを逃れる“マグロ・ロンダリング”も発生している。1990年代に養殖も始まった。

 こうした鮨、特にマグロをめぐる需要と供給の動きを追い、世界各地を取材して、『スシエコノミー』を著した。

 鮨がグローバル化したのは、モノとしての新鮮な魚が供給可能になったからだけではない。人、つまり板前の需要も世界各地で起こり、日本から多くの板前が供給された。成功例の代表が松久信幸さんだ(アメリカの俳優ロバート・デ・ニーロらと和食レストラン「ノブ」を共同経営し世界各地で展開)。

 彼が最初に異国の地ペルーで鮨を握った1970年代初め頃までは、板前は独特の階級社会で育てられ、供給数は限られていた。だが、世界各国で鮨の人気が出るようになると、一人前になるまで10年以上かかる日本の職人制度から抜け出し、若い板前が世界の鮨バーを目指した。需要の増加が供給体制を変容させたのだ。
 外国の鮨バーで出される鮨は、日本人の基準には合わないかもしれない。しかし日本でも、1人1万円かかる従来の鮨屋とは基準が異なる1000円の回転寿司が繁盛するように変わってきている。
 情報やカネも世界を回る。ボストンの漁師は釣ったマグロを東京行きの飛行機に乗せるか否かを、築地の相場を通信回線で確認した上で決める。築地には最高級の魚が集まるが、それをセリで落とした卸業者が運ぶ先は上海のレストランということは日常的だ。
 将来マグロは気軽に食べられなくなるだろうか。養殖に期待が集まるが、これも経済の論理で決まる。マグロは気難しい魚で、生きたイワシを自然な形でエサとして与えないといけない。イワシも高騰が続き一時採算面で厳しくなったが、最近マグロの価格が高くなり、再び経済的に見合うようになってきた。鮨は完全にグローバル経済に組み込まれている。

 ただし、マグロにだけ適用される経済の論理というものがある。一般的な経済法則のように、需要と供給が均衡するところで価格が決まり、取引が成立するというのとは少し違うのだ。

 その理由は、マグロは1本ずつ品質が違うことと、特有のリスクと不確実性を伴うことにある。

 マグロは1本ずつセリにかけられる。買い手の仲買人は、僅かに切られた尾から見える魚肉の様子や体型を観察し、長年の経験に基づいて、その1本から取れる赤身やトロの比率、旨みを推測して、買い値を告げる。非常に限られた情報の中で、約1000万円の買い物をするのだ。相当のリスクを負った取引だ。
 しかも、マグロはいつ獲れるかわからないという不確実性が高い。目の前でセリにかけられているのと同様のマグロが、明日セリにかけられるかどうかはわからない。漁師がマグロを獲れるかどうかは、今でも運の世界だ。
 割高なマグロを買わないようにしてばかりいると、顧客の注文に見合った量を確保できなくなってしまう。
 築地の仲買人は、これらのリスクと不確実性を負って商売をしている。だから、時には損をしてでも、自分の顧客のために、一定量のマグロを確保する。一方、顧客のほうも、そういう仲買人の商売の仕方を長年にわたって見ているから、決まった仲買人から買うようにしている。その仲買人が仕入れるマグロは、品質と価格においてリーズナブルであるはずだからだ。
 こうしたビジネスを成立させているのが、“信頼”である。より高く、より多く買えば、よりいい物が手に入るという経済とは少し違う、個々のプレーヤーの人間性が介在するところに、スシエコノミーのもう一つの面白さがある。(談)
 
サーシャ・アイゼンバーグ(Sasha Issenberg)
アメリカ・フィラデルフィア在住のジャーナリスト。5歳の時に鮨に出会って、鮨と鮨が口に入るまでのプロセスに興味を持ち始める。高校時代にニューヨークで3年間、日本語を学ぶ。「フィラデルフィア」誌で記者活動。2005年から1年半にわたり5大陸14カ国を取材し、“THE SUSHI ECONOMY”(邦訳『スシエコノミー』、小川敏子訳、日本経済新聞出版社)を執筆。
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世界の食文化になった寿司。

でも海外で食べるのは、やっぱり何かパッとしない。

むしろ漁港で上がった新鮮なのを買って、自分で作った方が良い。

種類は作れないけど、その方が満足できる。

日本人の板さんが自分でやってる店ならば試しても良いけど。


日本で食べる場合、安心感はあるけど、それでも満足感は別だ。

なんか荒んでる店ってのもあって、そういうトコは不味いから敬遠した方が良い。

今はチェーンの回転寿司の中でも良心的な処があって、不良寿司店を駆逐してるのは大変結構だ。

でもまだまだ一部には個人オーナーの優良店もあって、そういう店で食べる寿司は満足感が違う。

特に漁港の近くでは、古い店構えだけど、良心的でびっくりするほど旨い寿司が食べられることがある。

日本人に生まれて感謝するのは、そんな時だ。


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