孤独な男どもよ、メシに「欲張りすぎるな!」
山田五郎×久住昌之 僕たちの好きな男飯
2009年6月25日 NB ON LINE
男の一人飯は「ひとりだから気楽」だ
久住 どうも、こんにちは。
山田 元気にしてました?
久住 元気です。ごぶさたです。『純情の男飯』読むと、いい店、行ってますね、いっぱいね。
山田 久住さんほどじゃないですよ。
久住 いやいや。
山田 紹介しているお店も、町の定食屋さん的なところが基本だし。
久住 でも、ボクから見るとさりげなく洒落た店ばっかりだったな。
――『純情の男飯』は、当サイトの中心読者、まさに「働く男」の一人飯のお話ですよね。どうして私たちは一人飯というのがかくも好きなんでしょう?
山田 いちばんの理由は、気を遣わないでいいからじゃないですか。
久住 そうだよね。
山田 特にサラリーマンの場合、仕事で取引先や上司と食べざるをえない場合もあるわけで、たまには誰にも気を遣わず一人で食べたいときもあるんじゃないかと。俺も会社員時代には、そういうときがありましたから。
久住 会社員の人って気を遣うもんね。
山田 仕事関係となると、たとえ相手が同僚や部下であっても、無意識のうちに気を遣ってるんですよ。
――今は、むしろ上司が部下に気を使っていたりして。
久住 俺なんか、会社員をやったことがないから、基本が一人飯だと思うんだよね。一人で食べることが多い。
山田 一人で食べることに特別な理由はいらない、と。
久住 お昼になってわざわざ誰か呼び出すのも面倒だし。
――できることなら、誰かと一緒になんていうことは全然考えないですか。
久住 それだと気を遣うからね(笑)。俺はウマいけど相手はどうか、とか。映画とかも人と見るの、すごく苦手なんですよ。「この人は面白いと思ってないんじゃないか」とか気になって。
山田 あ、分かる。俺もそう。
久住 それが嫌なんだよね。
山田 ということは、やっぱり気を遣うのが嫌だから一人で食べてるんじゃん。
久住 そうか。あまり考えてませんでした。
山田 自分がお店を選んで誰かを連れていくとなると、相手がおいしいと思ってくれるかどうかとか、いろんなことが気になっちゃいますからね。
――つまりおふたりの一人飯は、自分へのご褒美とかそういう感覚じゃないんですね。
久住 ない。
山田 まったく違う。
久住 でも、この本は会社員や俺みたいな「一人飯」派にものすごく親切。「ほら、こんなイイ店、こんな場所にありますよ」って。
――安いしうまいし。
久住 そうそう。飯を外したくない人にはものすごくいい本。
――実際、これを見て何軒も行っちゃいました。
久住 でしょう。俺もそう。これは使える本だなと思って。さすがだな。
山田 そんな急にヨイショされても……(笑)。どこが「さすが」なんだか。
自分の「うまい」は、基本的に自分だけのもの
久住 俺はできない、こういうことは。
俺、一番最初に書いた食べ物の本が、とある1軒のラーメン屋さん、そこのことだけ書いたんですよ。その中で何度も何度も、「これは一般的にはそんなにおいしくはないよ」って言ってるんだよ。もう噛んで含めるように。それなのに、みんなそこに食べに行くんだ。それで俺に文句を言ったりするんだよ。
だって書いてるじゃん、そんなにおいしくないって。でも、このお店はその町の人にはすごく愛されていて、俺なんか、まずいとか、おいしいとか考える前の子供の頃から食べているから。だから、俺は本当においしいんだよ。たぶんいわゆる「おふくろの味」なんだ。
俺の考えるおいしいものは、そういうのなんだよ。根っからマイナーなんだ。食べるとき他人のこと考えない。神保町とかだったら、ラーメン屋だったら「伊峡」(いきょう)とか好きとか。
山田 「そんなにおいしくない」のに好きなのは、込んでないからとか、そういう理由?
久住 俺にとってはまぎれもなく味が好きなの。伊峡の味が好きなの。だけど、万人にとってはウマいものじゃないかもしれない、くらいのことはわかるようになった。そういうのが好きだから、こういう役に立つ本は書けないなぁ。
山田 『男飯』の場合はマス向けの雑誌で連載してたから、なるべく万人受けしそうなおいしさのお店を選んだだけのことですよ。俺自身は、他人がまずいという店でもわりと平気だったりするわけで。
久住 いや、まずいものがすきなわけじゃないよ。でも俺がおいしいって書いても、誰にも通じるってもんじゃないだろうとつい思っちゃう。
山田 ああ、なるほど。
俺も他人に対して「これが絶対うまい!」とは言い切れないなぁ。久住さんがいうような味覚の個人差の問題もあるし、なんか恥ずかしさみたいなものもあって。ご飯って、腹が減ってるときに食えば、たいていのものはうまいですよね。それ以上の部分でおいしいとかまずいとかいうのは基本、贅沢なわけですよ。贅沢なことをことさらに言い立てるのって、なんか品がないじゃないですか。
久住 品がないよ、本当に。それはそうだと思うよ。
山田 おいしきゃおいしかったで、ごちそうさま。まずくても、ごちそうさま。それでいいじゃないかって。
久住 いいじゃないね。
山田 だから本当は「これがうまい!」とか言いたくないんですよ。世間では味にこだわるのがいいことみたいに言われてるけど、こだわりすぎるのは品がないし、面倒臭い。
――そうはいっても、「同じお金を使うなら、うまいものが食いたい」なみたいな感じの、非常に虫のいいというか、欲張ったというか、そういう気持ちもありませんか。
山田 あるでしょうね。でも、まさにそういう気持ちこそが、飯を食うことを面倒な作業にしてしまっているわけですよ。『男飯』は、むしろそういう煩悩から解放されて、もっと気楽に食いたいっていうのがコンセプト。世の中、そんなにうまいものに対して貪欲な人ばかりじゃないでしょう? 俺みたいに、普通に牛丼屋やファミレスで満足してる人も多いはず。そういう人たちが何も考えず気軽に食えるお店を紹介したかったんですよ。
久住 それはこれを読んでいて、すごく思いましたね。「知る人ぞ知る安くて激旨の名店をお教えしよう」というグルメっぽい本じゃない。評論家の本でもない。
――お得とか、元を取ろうとかもないですか。
久住 いや、そういう感じはすこしはある(笑)。
山田 お金を払ってまで不愉快な思いをさせられたんじゃ、気楽に食べられませんからね。最低限の「元が取れてる感」は必要ですね。
久住 サラリーマンでも昼飯に食えるもので、1人で食うのに3000円もするのはおかしいじゃない。荻窪にあったラーメン屋さん、あそこがさ、一番下のラーメンは750円なんだけど、チャーシューワンタンメンの大盛りが1850円なの。
山田 そんなにするんだ。
久住 200円ずつ上がっていくの。で、そうなっちゃうんだけどさ。ラーメンだよ。それが1850円って、これは絶対、おかしいじゃん。メニューを見たとき、目を疑ったもん。1850円だったら何、食べられるだろうって感じだよね。
山田 安ければいいってもんでもないけど、やっぱり値段も快適さのうちですよね。おいしさは同じでも、500円か5000円で、期待値も満足度も当然、違ってくるわけだから。
――お二人が意識してしまうのは・・・「適正感」ですか。
久住 そうそう、そういう感じ。俺は適正がわかんないから。
山田 値付けでも味付けでも、「まともさ」って大事ですよね。気楽に食べられるかどうかを左右する、すごく重要な要素だと思う。
久住 そうそう、この本は選ばれているお店にも、本自体にも適正感がある感じがしたな。だから、これは都内で働いているサラリーマンの人にはうれしい本だろうと。
山田 それでもまだちょっと高めかな、と思うことが多かったんですけどね、俺としては。
――1000円から1500円でしたっけ。
山田 うん。本当は昼飯で800円までにしたかったんですけど。
久住 でも、それじゃ店が集まらなくて本にならないよね。連載も難しそうだ。
食うことは恥ずかしい。ましてそれを語るのは
久住 まず俺はご飯を食ったりするのは、基本的に恥ずかしいことだと思うんですよ。
山田 その通り!
久住 ものすごく恥ずかしいことなんだよ。だから、女の子で初めてのデートで「人の前で食べるのとか苦手」とか言ったりする子、いるじゃん。でもそれは分かるじゃん。
山田 食べるって、本質的に浅ましい行為ですからね。
久住 気取ってたって、腹が減るんだよ。グーッとか腹が鳴っちゃうんだよ。だから入れるという。動物じゃん。高い餌でしょう。ご馳走ったって。口に物を入れて、ぐちゃぐちゃ噛んでドロドロにして飲み込むんだよ。
そういう行を、何かものすごく知的なことをしているみたいに、べらべら語るなんて恥ずかしいんだよね、俺。だから、「これはどこの何とかの食材で」とかいうやつって、見ていて恥ずかしいんだよ。
――俺のセックスはどうでこうでみたいなことを自慢げに語るような。
久住 似てる、似てる。基本的に同じだと思うね。
山田 どちらも動物的な本能ですから。人として自慢すべきことじゃない。
久住 食べることは排泄の裏返しだから。形がよくて、色もきれいな立派なのが出たとか、とくとくと話すような。
――・・・そういう自慢する人、たまにいますね。
久住 とにかく食べるって行為は、恥ずかしいんですよ。俺がマンガで描いているのはそこ。食べる自分の自分の滑稽さを描いてるんです。
飯を食うとき、弁当を食うときに、無意識に食べ進む順番を考えながら食べちゃったりする。
カレーを食べるときに、ルーと飯のバランスとか、ああ、ルーが減ってきたらから、ご飯を多めに食べないととか、ご飯が多すぎるから福神漬けとかで減らしてとか、そうやっている自分って滑稽じゃない。食べ物なんか食べたいように食べればいいのに、ぐじゃぐじゃ考えちゃう、そういうオノレの馬鹿馬鹿しさを描いているだけなんだよね。
――味がどうでもいい、ということでもない?
久住 だからまずいのが好きじゃないって言ってるじゃん(笑)。おいしいにこしたことはないよ。
自分がおいしいと思ってた店の味が落ちたりするとすごく腹が立つ。大好きだった店の味が落ちるともう、あったまくるんだよ。神田の御茶ノ水から降りていったところの、あのカレー屋が大好きだったんだけど。
山田 だめなの、最近?
久住 店を拡張したんだよ。そうしたらとたんに味が落ちた。その後、2回行ったんだ。1回じゃ違うかもしれないと思って。それで、ああ、やっぱりだめだと。
山田 確実に変わったと。
久住 確実に薄くなった、それは悲しい。
山田 店と一緒にルーも拡張しちゃったんだ(笑)。
久住 水っぽくなっちゃったんだよね。
山田 で、そこに腹を立てている自分が滑稽で面白い、と。
久住 滑稽だよね。街のカレーがちょっと薄くなったぐらいでこんなに怒っている俺っていう。馬鹿だ。
―― そういうところを、ハードボイルドの装いで描いたのが『孤独のグルメ』ですかね。
久住 同じことなんだよ。「かっこつけていることって滑稽だ」ということなんだよ。
山田 『孤独のグルメ』を作画した谷口(谷口ジロー氏)さんは、関川(関川夏央氏)さんとのコンビでも、ハードボイルドの裏側にあるペーソスを見事に描き出してますよね。久住さんのいう「滑稽さ」にも、同じようなペーソスを感じるな(※)。
※谷口氏と関川氏は、ハードボイルドコミックの代表作『事件屋家業』を生み出した名コンビ。『坊ちゃんとその時代』などの作品も著名
久住 うん、分かりやすい言い方をするとペーソスだと思う。でも「ペーソス」って、なんか上から目線じゃん。俺は当人だから。わかんないんだ、まっただ中で。「俺は馬鹿かもしれない、たぶん馬鹿」っていうところを、谷口さんが真面目に真面目に描いたから面白いんだよね。だって、もうどうでもいいことじゃん、俺の言っていることなんて。
――女性の編集者に『孤独のグルメ』を読んでもらったら「ああ、男の人ってこういうことを頭の中で考えているんだな」と思ったそうです。
久住 男の人がじゃないと思うけど。「俺が」ということだと思う。
――それにみんなが共感しちゃうから、12年間人気が続いたんじゃないでしょうか。
山田 でも、女の人でも同じようなことを考えてる人はいるんじゃないの。
久住 たぶんあるんですよ、じゃなきゃとっくに絶版です。きっとどこかしらみんなあるよ。こればっかり食べるのが恥ずかしいとか、この中でこれが好きなんだけど、そればっかり食べたら、すごくオシャレじゃないと思われちゃう、とか(笑)。
――おしゃれじゃない(笑)。このイケてるレストランで、イケてるものを食べている自分が、おいしさの中に入っている。
久住 そういう人たちがいるし、それを狙っているレストランもある。というか、多いかもしれない。
山田 多いですね。最近のお店は、食べ物よりもそういう付加価値で勝負しようとしているところが多い。
若い男はラーメン屋にいる
山田 『男飯』の取材中にも感じたんですけど、最近、飲食店で若い男の姿をみかけなくなったと思いませんか? どのお店も、いるのはオヤジと若い女性。主婦が少ないのは当然としても、若い男はいったいどこに行ったんだ? と思ってたんだけど、わかりましたよ。ラーメン屋にいるんです。
話題のラーメン屋に限っては、圧倒的に若い男の客が多い。何時間も行列に並んで、すぐに帰って感想をブログに書いたりしてるから、町で姿を見かけないわけですよ。家にこもって、「魚介系の出汁は枕崎産のカツオ節に長崎産のサバ節を加え」とか、長文のブログ書いてるから。
――あるある。
山田 やや動物系が強めとか、イノシン酸がどうしたとか。お前は保健所の職員かよ、ってくらい細かく分析してる。
久住 いやあ、本当に嫌だよね。
山田 『男飯』の連載中、一応、ネット情報もチェックしてたんですけど、ラーメン店を検索すると、やたらと個人のブログがヒットする。
久住 うん、ある、ある。もう、いっぱい行きたいみたいだよね。ここも、あそこも、あっちも知っている、みたいな感じじゃない。
山田 何とか系だったらここですよとか。
久住 「チェックしました」って感じ。チェック食い。チェック食いって嫌だ。チェック食いブログ野郎、嫌い。
――ひとつのお店に通ってないってことですね。
山田 そういうことになりますね。
久住 そうそう。
山田 つまり、なじみの店がないってことだ。
久住 どんどん新しいのができていく。だからどんどん追いかけていく。それの繰り返しだと思う。でも、そんなのやっていることも書いてあることもぜんぜん、面白くないもん。
山田 別な意味で面白いですよ。変に求道的な人がいたりして。「目の前の一杯の澄んだスープを見て、思わず背筋が伸びる思いがした」とか書いてるの。そんな肩の凝りそうなラーメン、食いたくないよ(笑)。「私語厳禁」みたいな世界になってて、ラーメン食うのも楽じゃないらしい。
久住 「道」だよね。
山田 そのくせ、あの手の人たちって、すしは頑固オヤジの老舗じゃなくて回転ずしに行ったりする。しかもその理由は安さだけじゃなく……
久住 怖くないからね。
山田 そう。ラーメンを一方的に語るのはいいけど、すし屋のオヤジと対話するのは嫌なんだよ。自分が傷つかないことしかやりたがらない。それは「道」とはいわないでしょ。
――むしろ求道系だったらすし屋に挑んでほしい。
山田 そう。おやじに「しょうゆ、付けるんじゃねえ」とか怒られながら学んで行くのが、「道」の醍醐味だと思うんだけど。
出た料理の写真を撮るなんて、とてつもなく恥ずかしい
久住 店で写真なんか撮ったら絶対、怒られるからね。
あと、あれも嫌だよ。フレンチとかにカップルで行ってさ、お互いの写真撮り合っているやつら。しかもそれをブログに載せたりして。五つ星かなんかの店に彼女の誕生日に恐る恐る行って、酔っぱらって写真撮り合って、日記に「気取ってなかった」とか書いたりして。
山田 あれ、恥ずかしいよね。
久住 あれは、ものすごく恥ずかしいよ。ものすごく下品。イナカ。
山田 さっきの話でいうと、自分の動物的な浅ましい姿をわざわざ写真に撮って、世界中に公開してるわけだからね。
久住 自分の日記によく載せるよな。撮り合って、彼女が撮った自分の食ってる写真。
山田 家族や恋人以外の人との会食の席でさえ、ブログに載せたいからって、平気で写真を撮り始めるやつがいるからね。食事の最中に。行儀が悪いにもほどがある。
久住 その通り! 行儀が悪い!
山田 ブログってそんなに大事なの?って思っちゃう。自分一人でも恥ずかしい行為なのに、同席者にまで迷惑をかけるわけですよ。
久住 そういうこと思わないのかなと思うね。
――自分の恥ずかしい行為をさらす、という意味でですか?
久住 いや、さっきの恥ずかしいのとは違うよ、これは。全然違うでしょう。
山田 個人的な羞恥心じゃなく、社会的な礼儀作法の問題だよね。
久住 うん。
――う。自分でも時々やってます。普通に見かけるし。
山田 いっぱいいますよ、そういう人。
久住 見苦しいよ。「ちょっと、やめろよ人が食ってる横で」と思う。
山田 うん。親のしつけが悪いよね。
久住 あれ、床につば吐いたりしているようなものだよ。いや、大げさじゃくて、本当にそうだよ。
山田 それでよく人に「たばこ吸うな」とか言えるよね(笑)。そういう人に限って、自分が嫌なことには敏感かつ過剰に反応するから、始末におえない。
久住 そうね。
――でもちょっと気持ちは分かるんです。何で「食事を撮ってブログに載せる」のは、楽しいんですかね。
久住 あれは単純に受けるからだよ。人に何か言ってもらえるという。コメントをもらったりさ。
山田 「こんなにすてきなものを食べている私」を見せびらかしたいんですよ。
久住 そこにコメントがくるとウレシイんだよね。「わっ、食べたい!」とか、「いいなぁ」とか「私も食べました!」みたいなコメントがみるみる付いてくると、ウレシイ。それは読者カードみたいなもんだから、よくわかるよ(笑)。その感覚はあるよね。だけどそれだから、店で食ってる途中パシャパシャ撮っていいのか。
――確かに食い物話って食いつきやすい。分かりやすいし。
久住 検索で出てきちゃうしね。お店の名前を入れると、必ず誰かの日記で書いているのが出てきたりするじゃない。めんどくさい世の中。
山田 急ぎの仕事で調べようとしているときに、ちゃらいブログがヒットしちゃったりすると、泣きたくなるよ。うっかりクリックしてしまった自分にも腹が立つし(笑)。これはもう、義務教育の段階で、「食事とは個人的かつ動物的な欲望を満たす行為だから、むやみに他人に見せるものではない」と、教え込んでもらうしかないかもしれない(笑)。
・・・・・・・・・・・・
これは超上から目線ですねぇ。
あきれてモノも言えない。
こりゃ二人とも消えてく人かな。
昔いた芸人さんで、せんだみつおさんって人がいたけど、視聴者に対して上から目線になった途端に消えましたよね。
思い出すなぁ。
この上から目線には五体満足で喰うに困った事が無い人特有の尊大さを感じます。
少なくとも虚弱で食事制限があり、また貧乏の時代があって塩粥で暮らしたことのある人間には無縁のモノだ。
食べるってのは大事なことなんですよ。
人生の大きな楽しみでもあるし。
自分の商売のタネや読者を蔑んじゃいけないよね。
人間として。
山田五郎×久住昌之 僕たちの好きな男飯
2009年6月25日 NB ON LINE
男の一人飯は「ひとりだから気楽」だ
久住 どうも、こんにちは。
山田 元気にしてました?
久住 元気です。ごぶさたです。『純情の男飯』読むと、いい店、行ってますね、いっぱいね。
山田 久住さんほどじゃないですよ。
久住 いやいや。
山田 紹介しているお店も、町の定食屋さん的なところが基本だし。
久住 でも、ボクから見るとさりげなく洒落た店ばっかりだったな。
――『純情の男飯』は、当サイトの中心読者、まさに「働く男」の一人飯のお話ですよね。どうして私たちは一人飯というのがかくも好きなんでしょう?
山田 いちばんの理由は、気を遣わないでいいからじゃないですか。
久住 そうだよね。
山田 特にサラリーマンの場合、仕事で取引先や上司と食べざるをえない場合もあるわけで、たまには誰にも気を遣わず一人で食べたいときもあるんじゃないかと。俺も会社員時代には、そういうときがありましたから。
久住 会社員の人って気を遣うもんね。
山田 仕事関係となると、たとえ相手が同僚や部下であっても、無意識のうちに気を遣ってるんですよ。
――今は、むしろ上司が部下に気を使っていたりして。
久住 俺なんか、会社員をやったことがないから、基本が一人飯だと思うんだよね。一人で食べることが多い。
山田 一人で食べることに特別な理由はいらない、と。
久住 お昼になってわざわざ誰か呼び出すのも面倒だし。
――できることなら、誰かと一緒になんていうことは全然考えないですか。
久住 それだと気を遣うからね(笑)。俺はウマいけど相手はどうか、とか。映画とかも人と見るの、すごく苦手なんですよ。「この人は面白いと思ってないんじゃないか」とか気になって。
山田 あ、分かる。俺もそう。
久住 それが嫌なんだよね。
山田 ということは、やっぱり気を遣うのが嫌だから一人で食べてるんじゃん。
久住 そうか。あまり考えてませんでした。
山田 自分がお店を選んで誰かを連れていくとなると、相手がおいしいと思ってくれるかどうかとか、いろんなことが気になっちゃいますからね。
――つまりおふたりの一人飯は、自分へのご褒美とかそういう感覚じゃないんですね。
久住 ない。
山田 まったく違う。
久住 でも、この本は会社員や俺みたいな「一人飯」派にものすごく親切。「ほら、こんなイイ店、こんな場所にありますよ」って。
――安いしうまいし。
久住 そうそう。飯を外したくない人にはものすごくいい本。
――実際、これを見て何軒も行っちゃいました。
久住 でしょう。俺もそう。これは使える本だなと思って。さすがだな。
山田 そんな急にヨイショされても……(笑)。どこが「さすが」なんだか。
自分の「うまい」は、基本的に自分だけのもの
久住 俺はできない、こういうことは。
俺、一番最初に書いた食べ物の本が、とある1軒のラーメン屋さん、そこのことだけ書いたんですよ。その中で何度も何度も、「これは一般的にはそんなにおいしくはないよ」って言ってるんだよ。もう噛んで含めるように。それなのに、みんなそこに食べに行くんだ。それで俺に文句を言ったりするんだよ。
だって書いてるじゃん、そんなにおいしくないって。でも、このお店はその町の人にはすごく愛されていて、俺なんか、まずいとか、おいしいとか考える前の子供の頃から食べているから。だから、俺は本当においしいんだよ。たぶんいわゆる「おふくろの味」なんだ。
俺の考えるおいしいものは、そういうのなんだよ。根っからマイナーなんだ。食べるとき他人のこと考えない。神保町とかだったら、ラーメン屋だったら「伊峡」(いきょう)とか好きとか。
山田 「そんなにおいしくない」のに好きなのは、込んでないからとか、そういう理由?
久住 俺にとってはまぎれもなく味が好きなの。伊峡の味が好きなの。だけど、万人にとってはウマいものじゃないかもしれない、くらいのことはわかるようになった。そういうのが好きだから、こういう役に立つ本は書けないなぁ。
山田 『男飯』の場合はマス向けの雑誌で連載してたから、なるべく万人受けしそうなおいしさのお店を選んだだけのことですよ。俺自身は、他人がまずいという店でもわりと平気だったりするわけで。
久住 いや、まずいものがすきなわけじゃないよ。でも俺がおいしいって書いても、誰にも通じるってもんじゃないだろうとつい思っちゃう。
山田 ああ、なるほど。
俺も他人に対して「これが絶対うまい!」とは言い切れないなぁ。久住さんがいうような味覚の個人差の問題もあるし、なんか恥ずかしさみたいなものもあって。ご飯って、腹が減ってるときに食えば、たいていのものはうまいですよね。それ以上の部分でおいしいとかまずいとかいうのは基本、贅沢なわけですよ。贅沢なことをことさらに言い立てるのって、なんか品がないじゃないですか。
久住 品がないよ、本当に。それはそうだと思うよ。
山田 おいしきゃおいしかったで、ごちそうさま。まずくても、ごちそうさま。それでいいじゃないかって。
久住 いいじゃないね。
山田 だから本当は「これがうまい!」とか言いたくないんですよ。世間では味にこだわるのがいいことみたいに言われてるけど、こだわりすぎるのは品がないし、面倒臭い。
――そうはいっても、「同じお金を使うなら、うまいものが食いたい」なみたいな感じの、非常に虫のいいというか、欲張ったというか、そういう気持ちもありませんか。
山田 あるでしょうね。でも、まさにそういう気持ちこそが、飯を食うことを面倒な作業にしてしまっているわけですよ。『男飯』は、むしろそういう煩悩から解放されて、もっと気楽に食いたいっていうのがコンセプト。世の中、そんなにうまいものに対して貪欲な人ばかりじゃないでしょう? 俺みたいに、普通に牛丼屋やファミレスで満足してる人も多いはず。そういう人たちが何も考えず気軽に食えるお店を紹介したかったんですよ。
久住 それはこれを読んでいて、すごく思いましたね。「知る人ぞ知る安くて激旨の名店をお教えしよう」というグルメっぽい本じゃない。評論家の本でもない。
――お得とか、元を取ろうとかもないですか。
久住 いや、そういう感じはすこしはある(笑)。
山田 お金を払ってまで不愉快な思いをさせられたんじゃ、気楽に食べられませんからね。最低限の「元が取れてる感」は必要ですね。
久住 サラリーマンでも昼飯に食えるもので、1人で食うのに3000円もするのはおかしいじゃない。荻窪にあったラーメン屋さん、あそこがさ、一番下のラーメンは750円なんだけど、チャーシューワンタンメンの大盛りが1850円なの。
山田 そんなにするんだ。
久住 200円ずつ上がっていくの。で、そうなっちゃうんだけどさ。ラーメンだよ。それが1850円って、これは絶対、おかしいじゃん。メニューを見たとき、目を疑ったもん。1850円だったら何、食べられるだろうって感じだよね。
山田 安ければいいってもんでもないけど、やっぱり値段も快適さのうちですよね。おいしさは同じでも、500円か5000円で、期待値も満足度も当然、違ってくるわけだから。
――お二人が意識してしまうのは・・・「適正感」ですか。
久住 そうそう、そういう感じ。俺は適正がわかんないから。
山田 値付けでも味付けでも、「まともさ」って大事ですよね。気楽に食べられるかどうかを左右する、すごく重要な要素だと思う。
久住 そうそう、この本は選ばれているお店にも、本自体にも適正感がある感じがしたな。だから、これは都内で働いているサラリーマンの人にはうれしい本だろうと。
山田 それでもまだちょっと高めかな、と思うことが多かったんですけどね、俺としては。
――1000円から1500円でしたっけ。
山田 うん。本当は昼飯で800円までにしたかったんですけど。
久住 でも、それじゃ店が集まらなくて本にならないよね。連載も難しそうだ。
食うことは恥ずかしい。ましてそれを語るのは
久住 まず俺はご飯を食ったりするのは、基本的に恥ずかしいことだと思うんですよ。
山田 その通り!
久住 ものすごく恥ずかしいことなんだよ。だから、女の子で初めてのデートで「人の前で食べるのとか苦手」とか言ったりする子、いるじゃん。でもそれは分かるじゃん。
山田 食べるって、本質的に浅ましい行為ですからね。
久住 気取ってたって、腹が減るんだよ。グーッとか腹が鳴っちゃうんだよ。だから入れるという。動物じゃん。高い餌でしょう。ご馳走ったって。口に物を入れて、ぐちゃぐちゃ噛んでドロドロにして飲み込むんだよ。
そういう行を、何かものすごく知的なことをしているみたいに、べらべら語るなんて恥ずかしいんだよね、俺。だから、「これはどこの何とかの食材で」とかいうやつって、見ていて恥ずかしいんだよ。
――俺のセックスはどうでこうでみたいなことを自慢げに語るような。
久住 似てる、似てる。基本的に同じだと思うね。
山田 どちらも動物的な本能ですから。人として自慢すべきことじゃない。
久住 食べることは排泄の裏返しだから。形がよくて、色もきれいな立派なのが出たとか、とくとくと話すような。
――・・・そういう自慢する人、たまにいますね。
久住 とにかく食べるって行為は、恥ずかしいんですよ。俺がマンガで描いているのはそこ。食べる自分の自分の滑稽さを描いてるんです。
飯を食うとき、弁当を食うときに、無意識に食べ進む順番を考えながら食べちゃったりする。
カレーを食べるときに、ルーと飯のバランスとか、ああ、ルーが減ってきたらから、ご飯を多めに食べないととか、ご飯が多すぎるから福神漬けとかで減らしてとか、そうやっている自分って滑稽じゃない。食べ物なんか食べたいように食べればいいのに、ぐじゃぐじゃ考えちゃう、そういうオノレの馬鹿馬鹿しさを描いているだけなんだよね。
――味がどうでもいい、ということでもない?
久住 だからまずいのが好きじゃないって言ってるじゃん(笑)。おいしいにこしたことはないよ。
自分がおいしいと思ってた店の味が落ちたりするとすごく腹が立つ。大好きだった店の味が落ちるともう、あったまくるんだよ。神田の御茶ノ水から降りていったところの、あのカレー屋が大好きだったんだけど。
山田 だめなの、最近?
久住 店を拡張したんだよ。そうしたらとたんに味が落ちた。その後、2回行ったんだ。1回じゃ違うかもしれないと思って。それで、ああ、やっぱりだめだと。
山田 確実に変わったと。
久住 確実に薄くなった、それは悲しい。
山田 店と一緒にルーも拡張しちゃったんだ(笑)。
久住 水っぽくなっちゃったんだよね。
山田 で、そこに腹を立てている自分が滑稽で面白い、と。
久住 滑稽だよね。街のカレーがちょっと薄くなったぐらいでこんなに怒っている俺っていう。馬鹿だ。
―― そういうところを、ハードボイルドの装いで描いたのが『孤独のグルメ』ですかね。
久住 同じことなんだよ。「かっこつけていることって滑稽だ」ということなんだよ。
山田 『孤独のグルメ』を作画した谷口(谷口ジロー氏)さんは、関川(関川夏央氏)さんとのコンビでも、ハードボイルドの裏側にあるペーソスを見事に描き出してますよね。久住さんのいう「滑稽さ」にも、同じようなペーソスを感じるな(※)。
※谷口氏と関川氏は、ハードボイルドコミックの代表作『事件屋家業』を生み出した名コンビ。『坊ちゃんとその時代』などの作品も著名
久住 うん、分かりやすい言い方をするとペーソスだと思う。でも「ペーソス」って、なんか上から目線じゃん。俺は当人だから。わかんないんだ、まっただ中で。「俺は馬鹿かもしれない、たぶん馬鹿」っていうところを、谷口さんが真面目に真面目に描いたから面白いんだよね。だって、もうどうでもいいことじゃん、俺の言っていることなんて。
――女性の編集者に『孤独のグルメ』を読んでもらったら「ああ、男の人ってこういうことを頭の中で考えているんだな」と思ったそうです。
久住 男の人がじゃないと思うけど。「俺が」ということだと思う。
――それにみんなが共感しちゃうから、12年間人気が続いたんじゃないでしょうか。
山田 でも、女の人でも同じようなことを考えてる人はいるんじゃないの。
久住 たぶんあるんですよ、じゃなきゃとっくに絶版です。きっとどこかしらみんなあるよ。こればっかり食べるのが恥ずかしいとか、この中でこれが好きなんだけど、そればっかり食べたら、すごくオシャレじゃないと思われちゃう、とか(笑)。
――おしゃれじゃない(笑)。このイケてるレストランで、イケてるものを食べている自分が、おいしさの中に入っている。
久住 そういう人たちがいるし、それを狙っているレストランもある。というか、多いかもしれない。
山田 多いですね。最近のお店は、食べ物よりもそういう付加価値で勝負しようとしているところが多い。
若い男はラーメン屋にいる
山田 『男飯』の取材中にも感じたんですけど、最近、飲食店で若い男の姿をみかけなくなったと思いませんか? どのお店も、いるのはオヤジと若い女性。主婦が少ないのは当然としても、若い男はいったいどこに行ったんだ? と思ってたんだけど、わかりましたよ。ラーメン屋にいるんです。
話題のラーメン屋に限っては、圧倒的に若い男の客が多い。何時間も行列に並んで、すぐに帰って感想をブログに書いたりしてるから、町で姿を見かけないわけですよ。家にこもって、「魚介系の出汁は枕崎産のカツオ節に長崎産のサバ節を加え」とか、長文のブログ書いてるから。
――あるある。
山田 やや動物系が強めとか、イノシン酸がどうしたとか。お前は保健所の職員かよ、ってくらい細かく分析してる。
久住 いやあ、本当に嫌だよね。
山田 『男飯』の連載中、一応、ネット情報もチェックしてたんですけど、ラーメン店を検索すると、やたらと個人のブログがヒットする。
久住 うん、ある、ある。もう、いっぱい行きたいみたいだよね。ここも、あそこも、あっちも知っている、みたいな感じじゃない。
山田 何とか系だったらここですよとか。
久住 「チェックしました」って感じ。チェック食い。チェック食いって嫌だ。チェック食いブログ野郎、嫌い。
――ひとつのお店に通ってないってことですね。
山田 そういうことになりますね。
久住 そうそう。
山田 つまり、なじみの店がないってことだ。
久住 どんどん新しいのができていく。だからどんどん追いかけていく。それの繰り返しだと思う。でも、そんなのやっていることも書いてあることもぜんぜん、面白くないもん。
山田 別な意味で面白いですよ。変に求道的な人がいたりして。「目の前の一杯の澄んだスープを見て、思わず背筋が伸びる思いがした」とか書いてるの。そんな肩の凝りそうなラーメン、食いたくないよ(笑)。「私語厳禁」みたいな世界になってて、ラーメン食うのも楽じゃないらしい。
久住 「道」だよね。
山田 そのくせ、あの手の人たちって、すしは頑固オヤジの老舗じゃなくて回転ずしに行ったりする。しかもその理由は安さだけじゃなく……
久住 怖くないからね。
山田 そう。ラーメンを一方的に語るのはいいけど、すし屋のオヤジと対話するのは嫌なんだよ。自分が傷つかないことしかやりたがらない。それは「道」とはいわないでしょ。
――むしろ求道系だったらすし屋に挑んでほしい。
山田 そう。おやじに「しょうゆ、付けるんじゃねえ」とか怒られながら学んで行くのが、「道」の醍醐味だと思うんだけど。
出た料理の写真を撮るなんて、とてつもなく恥ずかしい
久住 店で写真なんか撮ったら絶対、怒られるからね。
あと、あれも嫌だよ。フレンチとかにカップルで行ってさ、お互いの写真撮り合っているやつら。しかもそれをブログに載せたりして。五つ星かなんかの店に彼女の誕生日に恐る恐る行って、酔っぱらって写真撮り合って、日記に「気取ってなかった」とか書いたりして。
山田 あれ、恥ずかしいよね。
久住 あれは、ものすごく恥ずかしいよ。ものすごく下品。イナカ。
山田 さっきの話でいうと、自分の動物的な浅ましい姿をわざわざ写真に撮って、世界中に公開してるわけだからね。
久住 自分の日記によく載せるよな。撮り合って、彼女が撮った自分の食ってる写真。
山田 家族や恋人以外の人との会食の席でさえ、ブログに載せたいからって、平気で写真を撮り始めるやつがいるからね。食事の最中に。行儀が悪いにもほどがある。
久住 その通り! 行儀が悪い!
山田 ブログってそんなに大事なの?って思っちゃう。自分一人でも恥ずかしい行為なのに、同席者にまで迷惑をかけるわけですよ。
久住 そういうこと思わないのかなと思うね。
――自分の恥ずかしい行為をさらす、という意味でですか?
久住 いや、さっきの恥ずかしいのとは違うよ、これは。全然違うでしょう。
山田 個人的な羞恥心じゃなく、社会的な礼儀作法の問題だよね。
久住 うん。
――う。自分でも時々やってます。普通に見かけるし。
山田 いっぱいいますよ、そういう人。
久住 見苦しいよ。「ちょっと、やめろよ人が食ってる横で」と思う。
山田 うん。親のしつけが悪いよね。
久住 あれ、床につば吐いたりしているようなものだよ。いや、大げさじゃくて、本当にそうだよ。
山田 それでよく人に「たばこ吸うな」とか言えるよね(笑)。そういう人に限って、自分が嫌なことには敏感かつ過剰に反応するから、始末におえない。
久住 そうね。
――でもちょっと気持ちは分かるんです。何で「食事を撮ってブログに載せる」のは、楽しいんですかね。
久住 あれは単純に受けるからだよ。人に何か言ってもらえるという。コメントをもらったりさ。
山田 「こんなにすてきなものを食べている私」を見せびらかしたいんですよ。
久住 そこにコメントがくるとウレシイんだよね。「わっ、食べたい!」とか、「いいなぁ」とか「私も食べました!」みたいなコメントがみるみる付いてくると、ウレシイ。それは読者カードみたいなもんだから、よくわかるよ(笑)。その感覚はあるよね。だけどそれだから、店で食ってる途中パシャパシャ撮っていいのか。
――確かに食い物話って食いつきやすい。分かりやすいし。
久住 検索で出てきちゃうしね。お店の名前を入れると、必ず誰かの日記で書いているのが出てきたりするじゃない。めんどくさい世の中。
山田 急ぎの仕事で調べようとしているときに、ちゃらいブログがヒットしちゃったりすると、泣きたくなるよ。うっかりクリックしてしまった自分にも腹が立つし(笑)。これはもう、義務教育の段階で、「食事とは個人的かつ動物的な欲望を満たす行為だから、むやみに他人に見せるものではない」と、教え込んでもらうしかないかもしれない(笑)。
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これは超上から目線ですねぇ。
あきれてモノも言えない。
こりゃ二人とも消えてく人かな。
昔いた芸人さんで、せんだみつおさんって人がいたけど、視聴者に対して上から目線になった途端に消えましたよね。
思い出すなぁ。
この上から目線には五体満足で喰うに困った事が無い人特有の尊大さを感じます。
少なくとも虚弱で食事制限があり、また貧乏の時代があって塩粥で暮らしたことのある人間には無縁のモノだ。
食べるってのは大事なことなんですよ。
人生の大きな楽しみでもあるし。
自分の商売のタネや読者を蔑んじゃいけないよね。
人間として。