さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

しっかりしているんだよねぇ

2010年06月15日 09時29分23秒 | Web log
空手の昇級テストがもうすぐ始まります。

昨日も最後の練習に行ってきました。

わたしのグループは、高校生の男の子が3人とかかとのきれいなダニエルと私。(ダニエルの息子さんが3人の高校生の中の一人です)

高校生といっても、オーストラリアは中高一貫なので、もしかしたら
日本で言う中学生かもしれない。一人はまだ声変わりしてないみたいだし。

わたしは、その子らのお母さんくらいな年齢だと思う。

ま、とにかく、その3人の男の子たち、態度や言動、とてもしっかりしています。堂々としているっていうか、「わたし、ついていきます」ってな気持ちにさせられる。とてもたのもしい。わたしが、間違うと教えてくれるし。

で、情けないですが、実際のところついていけない。

彼らの速さにとてもついていけない。若さゆえか、彼らは飲み込みも早いしね。わたし、もともと運動苦手だし。反射神経、鈍いし。

それはどうでもいいのだけれど、彼らだからしっかりしているのか、それとも育て方の違いなのか。

オーストラリアは他民族国家なので、周りにいろんな人種がいます。で、子供へのアプローチの仕方もそれぞれに違います。

アジア系の親はとにかく、勉強と習い事に熱心だ。共働き夫婦もアジア系に多く、放課後も音楽、公文、スポーツ、語学、絵画教室ととにかく忙しい。

ので、ジョナサンが遊ぶ子は大抵白人の子。

白人系の親は、スポーツは比較的一生懸命だけれど、それ以外に関しては強制を好まない。ジョナサンが遊びにいったライリーのお母さんは『7歳なんていったって、まだまだ子供よ、学校が終わったらゆっくりとした時間をすごさせてあげたいわ』という。

ライリーのお母さんは、大学で音楽を学び、今もあちこちの学校で代用教員をしているが、フルタイムの仕事はもっていない。子供との時間を大事にしたいという。自分のキャリアをとりあえず保留にして、子供と向き合う彼女も偉いなと思うし、ライリーは幸せだよなぁと思う。

彼女が子育てに集中したいと思って、それが実現できるシステムがあるというのもいいことだな、と思う。自分が望めばいつでもフルタイムに戻れるし。

ということで、『アジアVS白人』というように安易に分けてしまうのもどうかと思うけれど、アジア人は競争社会に勝つことを念頭におき、白人は自主性とかその子らしさを重んじる傾向があるようなんだな。

そして、結果(といえるかどうか、躊躇しますが)

高校生くらいになって、白人系の子供たちがとてもしっかりと、大人びてみえるのことが多い。どうしてなんでしょうね。わたしの偏見なのかな?わたしがアジア人だから、白人に対してなんというかコンプレックスがあるからなのかな?

もちろん、アジア系の子にもしっかりしている子もいますよ。

これは育て方ももちろん、文化の違いも背景にあるような気がするのですが。

しかしながら、社会的に成功しているのはアジア系なんですよね。その勤勉さと競争に勝ち抜こうという意識の高さからか、共通試験のようなもので名を連ねるのはアジア系、インド系でして、高級住宅街に居するのもアジア系が圧倒的に多いのであります。公私にかかわらず、有名校もアジア系の占める割合が多く、特に伝統的なある有名私立校では、白人系のプライドのゆえか、白人の子供の入学を優先させるとか。

で、どっちが幸せなんだろう~?

競争に勝ち抜いて、社会的地位とお金を得ることなのか?
それとも、自分のやりたいことをやって、楽しくお気楽に生きることなのか?

今、一生懸命がんばって、後で結果を得ることをよしとするか、とにかく今楽しく生きることが大事なのか?

どっちも『あり』なんだろうけど。

自分にとって大切なことを見失わないようにしないとなぁと思うのでした。

Price と Value

2010年06月13日 11時47分12秒 | Web log
空手の昇級審査での、マスターの一言。

物のPrice(価格)を知るのは簡単だけれど、Value(価値)を
見極めるのは難しい。

『価格』は絶対的なものではなく、とても相対的なものだ。
そして『価値』も絶対的なものではなく、パーソナルなものだ。

価格が市場のニーズとか、材料コスト、工賃等によって設定されるとして、
価値は個人の思い入れが定める。

面白いなと思うところで、オーストラリアの鶏の胸肉。

アジアでは、鶏の胸肉はニーズが低いので安い。
マレーシア人の友人は『胸肉なんて誰も食べないから捨てる部位よね』と
言う。めったに食べないそうです。

が、欧米圏では、もも肉こそ食べないところで、胸肉のほうが高い。
キロで18ドルです。(100g 165円くらいか?)

もちろんマイクも胸肉専門です。

で、価値はパーソナルなもの。

子供のおきにいりのテディベアなんかは、とてもいい例ですね。
どんなに汚れても、くさくなっても、ぼろぼろになってもかけがえのない
貴重なもの。

どんな代替もきかない。

子供にとっては一億円もらっても、譲れないものに違いない。

価値が価格の高さに比例するとは限らない。

そういうものもあるけどね。ポルシェだのBMWだのって価格に比例してすごいんだろうし、乗り心地とかもいいんだろうし、テクノロジーとか、最新のものを搭載しているんだろうし。

でも、わたしは興味がない。同じお金を払うなら、きっとわたしなら海外旅行に行くだろうし。

ある人がいっていた。

貧しいときに、妻と二人で乗り回したおんぼろ車が懐かしい。
ごきぶりがでてくるようなそんな車だったけど。

とまぁ、こういう風に、価格と価値とは全く別の話という場合が多い。

価値を見極めるって簡単で、難しい。

たとえば、これはとても高いものですと言われて、目の前にだされたら、自動的にいいものと脳が判断してしまうしね。

自由を求めつつ、実際は何らかの枠組みとか、規範のようなものがあったほうが、安心できるし、それに応えて生きるほうが本当は楽チンなんだ。

価値判断も「高いからいい」という公式に当てはめたほうが、楽なんだ。

だから、多くの人がそれにしがみつくんだろうし。

でも、宣伝とか値段とかにだまされたりしている部分も実はあったりしてね。

価格を知るのは簡単だけれど、価値を見極めるのは難しい。

考えさせられた言葉でした。

Credo for support ; 支えの信条

2010年06月11日 13時10分46秒 | Web log
変わっているとか、人と違うとか、集団生活になじめないとかいうことが、問題であるかのように考えがちな画一化を重んじる社会で、自分を見失わない、回りにいるすべての人の個性を尊重するために、以下の『信条』は誰にも当てはまる、大事なことなのではないかと思います。


 「 支えの信条 (A Credo for Support)」

ノーマン・クンツ、エマ・ヴァン=ダー=クリフト作
(共に障害者で障害者権利運動運動家)

歴史を通じて、

障害を持つ者たちは、

産声と共に見放され、社会から見捨てられ、


宮廷の道化師として嘲笑われ、
ナチスドイツ時代にはガス室に送られ、

そして今も尚、隔離され、施設に入れられ
「行動管理」という名の拷問にさらられ、

虐待され、犯され、安楽死においやられ、
そして殺され続けている。


今日史上初めて、障害を持つ人々が、
己の権利に基づき、

価値ある一市民としての存在を主張し始めた。
ここに潜む落とし穴は、社会が彼らの叫びに対し、

公平と尊重ではなく、
救済と慈悲で応じてしまうという危険



 
 だから あなたに届けます。




     支えの信条


私たちの障害を問題として見ないでください。
障害は私の一部です。

私を欠陥人間として見ないでください。

私を異常で無力な人間として見ているのは
あなたなのです。

私のことを直そうとしないでください。
私は壊れてなんかいません。

支援してください。
そうすれば私なりの方法で社会に貢献できるのです。

私をあなたの患者として見ないでください。

私もあなたと同じ一市民です。

あなたの隣人として見てください。


人は皆、人に支えられて生きているということを
忘れずにいてください。

私の行動を矯正しようとしないでください。
静かに聞いてください。

あなたが不適切行動と決めているものは、
私に出来る唯一の方法で

あなたに何かを伝えようとしているのかもしれません。

私のことを変えようとしないでください。
あなたにそうする権利はないのです。

私が知りたいことを学ぶ手助けをしてください。


あなたが感じている不安や迷いを、
専門家としての距離で隠さないでください。


私の声に耳を傾け、私の”もがき”を簡単に解決できるかのように軽く受け流したりしない、そんな人でいてください。


理論や方法論に私を当てはめようとしないでください。
ただ一緒にいてください。

そしてぶつかり合ったときにはお互いに自らを省みる機会といたしましょう。

私をコントロールしようとしないでください。
人として自分らしく生きる権利が私にはあるのです。

あなたが不服従や操りと呼ぶ行動は、
自分の人生を自分でコントロールできる私にとっての唯一の方法なのかもしれません。

いつも素直で従順で礼儀正しくいることばかり叩き込まないでください。

自分を護るためには、嫌なときに嫌だといえることが必要なのです。

無理に私の友達になろうとしないでください。
そんな同情はいりません。

私のことをよく知ろうとしてください。
そしたらいつか友達になれるかもしれないね。

たとえそうすることがあなたの気分をよくするとしても、
勝手に私を助けようとしないでください。

手助けが必要かどうか聞いてください。

私からあなたが私に手を貸せる方法を教えてあげます。

私を賞賛しないでください。

精一杯生きようとすることは、
特に崇拝されるようなものではありません。

私を尊重してください。
尊重の前提には対等があるから。

指示したり強制したり指導したりしないでください。
聞いて、支えてあとをついてきてください。

私は料理されるだけの鯉じゃない。
あなたたと私、同じ水に棲み、共に生きよう。

どうして学校にいかなくちゃいけないの?

2010年06月10日 13時47分49秒 | Web log
前も話したけれど、ベンジャミンが毎朝「今日は学校?」と聞く。
今日は学校じゃないよという答えを期待しながら、恐々と聞く。
「今日は学校だよ」というと怒りながら、泣き出す。

そして私も思う「どうして学校に行かなくちゃいけないんだろう」

教育を受けさせる義務と受ける権利だって学校で習ったっけね。

そして学校が、集団生活とか社会性を養う場所でもある。

でも、長い間学校が苦痛だったわたしには、そんな理由なんて説得力あまりなかったし、どうでもよかった。

嫌なものは嫌だった。

ベンジャミンの担任の先生が「人生は、やりたいことでなく、やらなければならないことの方が多い。嫌でもやらなくちゃいけないことは、やらなくちゃいけない。そういうことを小さいときから体で学んだほうがいいんです。」と言う。

ま、先生が言うことは理解できるけれどね。

極端な話、わたしたちは「生きるために生きている」わけだから、教育を受ける権利と教育を受けさせる義務という強制力を除けば、学校に行かなくたって、生きていけるのなら行かなくてもいいと思うんですけれど。

学校に行かないことによって発生する不利益への代償を払うことを覚悟できているなら。

今は、狩猟とか農耕で生き延びる時代ではないので(そうやって生きている人もいるけど)、直接自分がそういう原始的な活動に関与したくないなら、自分の代わりに何かをしてくれる人に対して、報酬としてお金を払ってそれを獲得するという構造が出来上がっている。

ので、お金を稼ぐために必要な知識とかスキルを得るために教育があるんだろうと思う。

加えて、一生懸命勉強して、いい大学入って、いい会社に入って、『たくさんお金をもらう=より多くのものを獲得できるようになる』というのが、成功とか幸せの条件みたいになってしまった。

そして、そういう構造から逸脱することへの不安から、いやいやながらでも学校に行き、病んでまでも働かなくちゃいけなくなってしまった。

自分に鞭打って学校に行ったり、働いたりってすごく偉いことだと思います。

でも、実際、つらいよね。

でも、現実問題として、それ以外に選択肢がなければそうするしかないと思い込んでしまう。

でも、本当にそれ以外に選択肢がないのかなぁ。

実際の話、選択肢はあるんだと思う。

でも、その選択肢は、きっと大変な道で、敷かれたレールを歩いたほうが、手っ取り早く、簡単なのかも。

あるいは、選択肢がありそうでほとんどない、あるいはそこまで危険を冒してまでその選択肢を選ぶのは無理なんじゃない?というのが現実に限りなく近く、誰しもが『やりなおしのきかない可能性が高い社会構造』を肌で感じて、不安に駆り立てられているからなんだろうな、と思う。

なんとかならないのかなぁ。

せめて、なんらかの受け皿があればね。

空手の昇級審査、再び

2010年06月09日 09時00分00秒 | Web log
まずはご報告から。

結局50ドルも、見つかりました。ジョナサンが見つけてくれました。
レシートも見つかったし、お金も見つかったしで一件落着。

それにしても、早々に落としたと決め付けてイライラしていた自分が本当に情けない。

見つからなくてもイライラせずに、のほほんとしているマイクや、ジョナサンみたいな性格のほうがいいに決まっている。

しかし、早く答えをだして『分からない』状態のままにしたくない私。
いろんな面でそういう傾向があるかも。
でも、早く答えをだすのがいいとは限らない。答えが出せない問題だって世の中にはいっぱいあるからねぇ。

そこで一旦スイッチをOFFにできるかどうかってとても重要な気がします。

わたしはどうも執着しちゃうんだなぁ。感情に流されて、冷静に物事が見れなくなる。で、性急な答えを出そうとする。

性格の違いですね。怒っていたあのエネルギー、本当に無駄だった。

さて空手の昇級試験の時期が再びやってまいりました。
これに合格したら、白帯脱出。オレンジになります。
といっても、半年しかやってませんから。たいしたことありません。
オレンジから緑に昇級するには早くて1年半くらいかかりますからここから本格的になってきます。

ということで、今週は審査があり、来週から3日に渡って昇級試験があります。集中合宿みたいなもんです。レベル相当の技、型を集中的に学びます。

ジョナサンが通う子供のクラス、半年ほどずっと観察してきましたが、とても面白いです。

子供クラスにはジョナサンの友達とその子のお姉ちゃん2人が来ています。お父さんは赤帯ですので、わたしが練習に行くとお父さんともほぼ毎回会います。

で、半年前、お姉ちゃん二人は空手に全く興味がないってのが見て取れた。
親に無理やり来させられているんだなぁと思った。

お母さん曰く『子供と「赤帯になるまで続ける」と約束した、それ以降は子供の意思を尊重する』とのこと。

で、あれから半年。

無理やりでも来ていれば上達するもんで、感心してしまった。

空手への気持ちが変わったのかどうか、良く分かりませんが。

蹴りの切れがいいし、前は「とりあえず蹴ってます」という感じで、意思が感じられないというか、ふにゃふにゃだったのが、今はピンと伸びてきれいだなぁと思えるようになった。

子供への強制はよくないんじゃないか?と思いつつも、『続ければ何かしらの結果は出るんだ』ということを半年かけて見てみると、なかなか説得力あります。当の本人は、その成長を客観的に見れないのであまり自覚はないかもしれませんけれどね。

続けるって大事なんだなぁって本当に思いました。

きっと将来、彼女たちにとっていい宝になると思います。


どうしようもないわたしたち

2010年06月08日 09時00分26秒 | Web log
グレングールドの姿勢について、こんな記述がありました。

グールドは、異様に低い椅子(父親に依頼して作ってもらった特製の折りたたみ椅子で、いつもこれを持ち込んでいた)に座り極端に猫背で前のめりの姿勢になり、時に大きな手振りでリズムを取るといった特異な奏法と斬新な演奏で世間の注目を集めた。坂本龍一は、この伝統的には正しくない姿勢について、上半身の力が過度にかからず、音が非常に清潔でクリアになっていると指摘している。伝統的な「正しい姿勢」による奏法は、強大なフォルテを生み出すことが可能である反面、一つ一つの音の精度を下げているという考え方である。グールド自身も、自身の奏法について、ほとんどの点において有利であるが、「本当のフォルテが出せない」と分析していた。

ということで、グールドは音のダイナミズムよりも、音の美しさを追及したんでしょうね。

姿勢と力というのはやっぱり関係あると思うんですよ。
格闘技の技を物理学的に研究している大学もあるようですし、いろいろ本も
出版されていました。

気になる分野です。

で、昨日の電話の続き。

ナイジェルのお母さんがタッパーを届けにきてくれました。

ありがとう。

で、その前にマイクが「昨日下ろした50ドル札とタッパーの
レシートがない」と言いました。

血圧、急上昇。

マイクのうっかりミスは、もう治らないと覚悟している。
毎度のことなのだ。しかし、私は一瞬にして不機嫌に。

そして、必死になって、探さない本人。

『車に置いた』というが、わたしが空手に連れて行ってもらったとき
助手席にレシートもお金もなかったという記憶が私にははっきり
している。

その後、必死になって探さないってところが、わたしには理解不能。

(面白いことに、ジョナサンも全く同じなのだ。失くした、見つからないと
分かっていて、必死になって探さない。語る記憶も全く当てにならない。
で、わたしがいつもキーキー言っている。)

どうしてそこでスイッチを別な方向に切り替えられるのだろう。

ま、性格の違いなんだろうけれど。そういうあっさりしたところが
良く作用するときもあるからね。わたしはかなりしつこいので。

50ドルは仕方がない。落としたんだろう。で、レシートも???

戻ってきたタッパーを返品しようと思っていたのに。
(家では必要ないから)

私、超ブルー。

頭をからっぽにしないと、脳の血管ぶちきれる。

誰かが意図的にしたことについては、その相手に怒りをぶつけられる
けれど、うっかりミスは、どうしようもない。
わざとじゃないから、怒れない。

どうしようもない怒りはぐつぐつと。無駄なエネルギーだなぁ。

理屈で考えれば、18ドルのタッパーのレシートよりも、50ドルの
紛失のほうが金額的に大きいので、50ドルが見つかることを望む
べきなのかもしれないが、わたしには18ドルのタッパーのレシート
が大事、その変がまたおかしいのは私も分かるのだけれど。

理屈を超えたこだわりが私にはあるようだ。

寝る寸前になって、マイクがようやく探し始めた。

で、レシート発見!!!!!!!!!

お金はない。きっとどこかに落としたのだろう。

でも、わたしは50ドルよりレシートが大事だったので、
とても気持ちよく眠れました。

タッパー返却してきま~す。

形の美しさ

2010年06月07日 09時00分00秒 | Web log
空手をやって半年くらいになります。
少しづつですが、慣れてきました。ま~だまだですけれど。

で、黒帯保持者をはじめ、上級者の動きはとても美しいなぁと
思います。

攻撃力と型の美しさって、まったく関係ないという感じがしますが
でも、体の持つエネルギーを最大限生かすための、体のバランス、
姿勢、四肢の動かし方とか、やっぱり見た目の美しさに通じる
ところがあるような気がします。

で、一斉練習をしているときに、マスターがやってきて『リラックス』
と言いました。

体に変な力みがあることが見てわかるのでしょう。

体に変な力を入れることで、そこにエネルギーが無駄に使われて
しまうのでしょうね。

それは良くない。奥が深いですねぇ。

話し変わって、天才ピアニストのグレングールド。
彼の演奏姿勢、独特の椅子の奇妙さで有名です。
それでもとても美しい音楽を奏でる。

彼に『フォームの美しさ』を問うたら、なんと答えるのだろう。

『フォームなんて関係ない。美しい音楽を奏でることができるの
ならば。』

と言うような気がします。

ま、音楽と空手では、空手がいわゆる物理的理論、力学のような
ものが適応できるものであることを思えば、まったく違うものだから
比較できないとは思いますけれど。

でも、変な姿勢で長く演奏できるものなんでしょうか?

ま、グレングールドの場合、完璧な演奏を提供するために、
生演奏ではなく、レコーディングを好んだということからしても、
比較にはならないかもしれませんがね。

ほっとした電話

2010年06月06日 11時51分07秒 | Web log
昨日の続きです。

今朝、ナイジェルのお母さんから電話が来ました。

「AYAKO ? どうして、新しいタッパー買ったの?

夜勤明けでわたしは寝てたけど、どうして起こしてくれなかったの?
どうして買う前に、一言言ってくれなかったの?

あなたたちが意図的に失くしたわけではないでしょ?
誰かが盗んだのよ?あなたのせいではないわよ。

いつもナイジェルをサッカーに連れてってくれているから
感謝しているのよ。

返すから、あなたたちが使って。」

泣きそうになりました。

盗られたとは言え、失くしてしまったのは私たちの責任だし、
買って弁償するのは当然と思った。

ので、びっくりした。

というか、わたしたちの立場も考慮して、私たちの過失を許す
決断をしてくれた彼女に感謝した。

いやなこともあるけど、いいこともある。

パーキング罰金のときも、わたしの立場に立って戦ってくれた人がいた。

今回も、わたしたちの立場を受け止めて許してくれた人がいる。

嫌なやつもゴロゴロいるけれど、そういう人だけではないということを
教えてくれる人が身近にいることを本当に幸せに思う。

なんだかなぁ~

2010年06月05日 14時16分31秒 | Web log
今日はジョナサンのサッカーがあるので、みんなで朝から
出かけた。

お母さんが看護婦で夜勤明けなので、近所に住むジンバブエ人の
男の子(ナイジェル)も毎週一緒に連れて行ってあげている。

で、今日はナイジェルのお母さんが差し入れ当番だったので、
彼女が用意したオレンジを彼女に代わって持っていってあげた。

試合も終わって、バタバタしているとき、預かったオレンジ入りの
タッパーをマイクがどこかに置き忘れ、紛失。

マイクが必死になって探している間に、売店のおばさんが
似たようなタッパーを彼女の車に持ち込んでいるのを発見。

マイクが「置き忘れたんだけれど」と話しかけたけれど、
しらばっくれられた。

なんだか最近、本当に運が悪い。

ま、マイクが忘れっぽいのはどうしようもなく、
いっぱい手に荷物をもっていたので、「危険だなぁ」と思って
わたしのバックにジョナサンのものを入れるように言った矢先。

うっかりミスで、タッパーの弁償をするはめに。

責任という観点から言ったら、失くしたのはわたしたちの
責任ですから。

といっても、タッパーが一個18ドルくらい(1700円くらいか?)
するんですよね。決して、めちゃくちゃ安くはないです。

だから、誰かが持って行っちゃったんでしょうけど。

だから、ナイジェルのお母さんに対して、「ごめんね」だけでは
済ませられない。

でも「なんだかなぁ」って感じです。

人助けして、盗まれて、弁償かぁ。

あるとき、友人のご主人がこういいました。

「道端に誰かが倒れていても、助けない。絶対手を出さない。
その後何かあったときに責任を問われたくないから。
救急車に電話くらいはするかもしれないけれど、「あの時、動かさなければ
よかったんだ」とか言われても責任とれないし。」

「ん~、理屈はわかるが。わたしならとっさに声かけたり、危険な場所
だったら動かしたりするなぁ」と思いました。

『誰かに何かをしてあげるというのは責任が伴うから、人助けなんて
しないに限る。』

という理屈が見え隠れしてなりません。

「自分のことは自分で守る」という意識が徹底しているなぁと思います。

「他人の責任を持てるなんて思うほうが傲慢」という理屈もありかも
しれません。誰も『100%何も起こらない』とは断言できないから。

だから、他人の子供を車に乗せるのを嫌がる人もいると聞きます。

自分の権利と責任を守ることで必死。

その理屈はわかる。

でも、安易に人助けをするのを『無責任』と言い切れないわたしは、
お人よしのおバカさんなの?

親切って、無責任なの?

わたしには、よく分かりません。

かなり前の話になりますが、確か東京だったと思いますが、韓国人の
男子留学生が、線路に落ちた人を助けるために線路に入り、落ちた人は
助かり、彼は列車に轢かれて亡くなってしまったという痛ましい事件が
ありましたね。

彼の行為は『無責任』だったのか?

線路に落ちてしまった人が事故にあうのは、彼(彼女)の責任
なのだから、例え轢かれたとしてもそれは、その人の責任であって
ほかの人の責任ではない。言ってしまえば、自業自得といって
見捨てるのが当然なのか?

だとしたら、彼の死は「無駄死に」だったのか?

わたしは、そうとは思えません。

助けるときに、そんなこと誰も考えない。
そんな理屈、誰も唱えない。

困っているから助ける、それだけのことだと思う。

とにかく、感覚の違いというか、価値観の違いというか、
時々、どうも息苦しい社会だなぁと思うのであります。

かといって悪いところばっかりじゃないのは確かなんですけれどね。

鳩山首相の退陣について

2010年06月04日 00時00分00秒 | Web log
私は政治に関しては素人で、よくわかりませんので
無責任、無知な言動をしてしまうかもしれませんが
ご了承ください。

いつだったか、姉の義理のお父さんが

「生きているうちに自民党以外の党が政権を握るのを
この目で見たい」と言っていました。

そして、民主党が政権を握ったわけですが

義理父さん、どんな思いで毎日ニュースを見ているんだろうなぁ
とずっと思っていました。

鳩山氏本人にしたら筋が通っているのかもしれませんが、
鳩山首相のオカシナ言動、民主党が実行した子ども手当の問題、
地雷を踏んでしまった普天間移設問題、口蹄疫の対応の遅れなどなど、
「自民党のほうがよかったんでないの?」と思わせることが多かった
鳩山内閣でした。

鳩山首相が辞任したのは、民主党の政権維持という大儀の故だと
思います。

鳩山氏にこのまま続投させて、総選挙に持ち込まれ大敗するよりは、
このまま政権を維持し、頭を挿げ替えて少しでも挽回を図ったほうが
いいと思ったのではないかと思います。

色々言われてはおりますが、それでも事業仕分け、高速道路の無料化へ
のアプローチなどは良かったと思いますよ。

誰かが鳩山氏は「欧州並みの社会保障システムを構築したかったん
だろう」と述べておりました。

それは大変結構なことですけれども、掲げる理想が現実を分析、考察
した上で論理に基づいたものでなければ、単なる「夢」でしかない。

夢みることは誰でもできる。

強い信念をもっていれば夢を実現できるといっても、
「夢」を信じるにはそれなりの根拠とか、証拠がなければ
信じられないだろうし、先に進めないと思うのだけれど。

現実を分析する能力がなかったのかな?

でも鳩山氏は東大で応用物理を先行し、米国西海岸の有名私立大学スタンフォード大学での博士号を持っているんですよ?

理系出身なんだから、分析能力がないとは思えないんですけれど。

欧米並みの福祉を導入するための、財源はどこから捻出するのか?
子ども手当てや、高校の無償化だって、導入したはいいけれど
今後財政はどうなるの?という不安も同時に与えてしまった。

結局、財源をどう捻出するかの根拠が語られることなく手当てが
与えられても「ばらまき」としか評価されない。

そして、行く末には増税が待っていたなんてことになったら、
誰も喜びませんし。

欧州の税金の高さは、有名です。
消費税5%なんて話になりません。

そして、国民が税金を払いたくないのは、税金が正しく使われて
いないという不信が根底にあるからなのではと思います。

その不信感は世界一の貯蓄高に表れていると思います。

「税金は極力払いたくない、将来は自分で守る。
年金なんて当てにできない。」

多くの人がそう思っていると思います。

社会党離脱の件だって、沖縄の人には大変申し訳ないと思うけれど
今この時点で、普天間移設の県外移転、日本からの米軍撤退は
現実的に無理と個人的に思います。

前にも述べましたが、米軍の撤退を言うなら、以下を
飲まなければならない。

①憲法を改正して、軍事力を持つ。徴兵制も覚悟すること。

②今をかなり上回る軍事予算を計上しなければならない。
→経済的に借金を抱え、低迷している今、増税は避けられない。

③核装備して、近隣に存在する仮想敵国を脅かす抑止力をもつ。

④上位の全てを放棄して、日本が北朝鮮、あるいは中国あたりに
攻撃される可能性をただおびえながら待つ。

これのいずれかを飲む覚悟がなければ、米軍撤退は叫べないという
ことを、社会党に説得できなかったのか?

説得できないとしても社会党は党として以上のことがらを
どう解決しようとしているのか?知りたいもんです。

社会党が以上の選択のいずれかを上回る国防策を持っているなら
是非教えて欲しい。

理念を叫ぶだけでは、全く意味がないんですよね。

妥当な解決策がなければ、残念ながら現状維持を続けるしか
選択肢はないということです。

現状維持を続けながら、第3の道を模索する以外に、あるいは
世界情勢が変わるのを待つ以外に、今のところ何もできないんです。
残念ながら。

そういう方向で説得できなかったの?????

と思うんですけれど。

ってことで、データと論理に裏打ちされた政策、信念をはっきりと
示すリーダーを国民は求めているのではないのかなぁと思いますよ。

柔道の選手とか
小泉チルドレンの一人とか
知名度だけ高い人なんて、必要ない。

選挙に勝つことだけを考えて人選するだけで、考え抜かれた政策を
提示するひとがどこにも(どこかにいるのかもしれませんけど)いない。

そこが欠落しているから、国民が失望するんじゃないんだろうか。

納得できないんだと思います。

私も含めて。

4年間で5人もの人が首相の座につき、退陣したという事実。
まともな人がどこにもいない(と思われて仕方がない)という現実。

国の安定という視点からみても、深刻だと思いますよ。

署名

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