先月NYでロナルドK.ブラウン率いるダンスカンパニーのワークショップに
行って来ました。このダンスカンパニーは私がダンサー現役の頃から
憧れのダンスカンパニーでEVIDENCEといいます。
当時私はマンハッタンのソーホー近くにあったFARETA(ファレタ)
というアンダーグラウンドなダンススタジオで何種類ものアフリカン
ダンス、カポエイラなどのクラスを受けるのが
大好きでした。ほとんどのクラスがライブ演奏で、各国の楽器の生演奏に
合わせ、強烈なエネルギーの中、音楽とダンスでみんなが一体になるんです。
うまく説明できないですが。。。
もう10年くらいになるでしょうか、NYの不動産が高騰し、
沖縄出身の日本人男性のそのスタジオオーナーはやむ終えず、
そのとてもユニークでふたつとないそのスタジオを閉鎖することに
強いられたのです。そこに通っていたダンサー、ミュージシャンまた
いろんな方たちが一体となってスタジオ経営を守ろうとし、その後も
FARETA復活に力を入れたようですがまだ現実化していません。
話が遠回りになりましたが、そこで出会ったのがRONALD K.BROWNのクラス
そして彼のダンスカンパニーでした。当時私はすでにLAを起点に
自分がやりたいと思った仕事以上の仕事までもゲットできていたにも係わらず、
本来自分にとってのダンスがダンスでなくなっていることに気づいている
ときで、それはそれは衝撃的でした。NY滞在中は彼のクラスを受け
またダンスを完全に止めた結婚後、妊娠中、産後も彼のクラスを見つけては
受けていたものです。そして2000年2月ジョージの死後、全てが
真っ暗闇状態の時、EVIDENCEがオーデションをやると耳に入ってきました。
当時いろんな問題に向き合い、また戦っていた自分にある種の光が見えたのを
覚えています。とは言っても現役を離れ数年が経っていたし、コンデイションも
全く自信はありませんでした。だけど、その日はただそのオーデションだけに
自分を集中させ、結果ダンサーとして再び活動を始めることとなったのです。
それから半年間エヴィデンスのメンバーとして活動しました。
心と身体の集中力を要するハードなリハーサルやアメリカ国内公演やNY大学などで
講師をしたりと貴重な体験ができました。
もちろん当時1歳半くらいの
コナとベビーシッターでお手伝いしてくれていたのりちゃんも
一緒に各地回りました
財務処理や訴訟問題などと
戦う毎日の中、つぶされず自分を見失わないでいれたのも
このエヴィデンスのおかげだと
思っています。日本でいつかEVIDENCEの舞台を紹介できれば本望だなあと
思うこのごろです。
この8月、7年ぶりにRonと当時のメンバーに
再会できたとき(相変わらずなクラスの後)の写真です。
22日のROCKSTEADYCREWの30th anniversaryの詳細告知は前記事に
紹介しました。当日アリレス(新作T、グッズあり)
DVDの販売もやりま~す
行って来ました。このダンスカンパニーは私がダンサー現役の頃から
憧れのダンスカンパニーでEVIDENCEといいます。
当時私はマンハッタンのソーホー近くにあったFARETA(ファレタ)
というアンダーグラウンドなダンススタジオで何種類ものアフリカン
ダンス、カポエイラなどのクラスを受けるのが
大好きでした。ほとんどのクラスがライブ演奏で、各国の楽器の生演奏に
合わせ、強烈なエネルギーの中、音楽とダンスでみんなが一体になるんです。
うまく説明できないですが。。。
もう10年くらいになるでしょうか、NYの不動産が高騰し、
沖縄出身の日本人男性のそのスタジオオーナーはやむ終えず、
そのとてもユニークでふたつとないそのスタジオを閉鎖することに
強いられたのです。そこに通っていたダンサー、ミュージシャンまた
いろんな方たちが一体となってスタジオ経営を守ろうとし、その後も
FARETA復活に力を入れたようですがまだ現実化していません。
話が遠回りになりましたが、そこで出会ったのがRONALD K.BROWNのクラス
そして彼のダンスカンパニーでした。当時私はすでにLAを起点に
自分がやりたいと思った仕事以上の仕事までもゲットできていたにも係わらず、
本来自分にとってのダンスがダンスでなくなっていることに気づいている
ときで、それはそれは衝撃的でした。NY滞在中は彼のクラスを受け
またダンスを完全に止めた結婚後、妊娠中、産後も彼のクラスを見つけては
受けていたものです。そして2000年2月ジョージの死後、全てが
真っ暗闇状態の時、EVIDENCEがオーデションをやると耳に入ってきました。
当時いろんな問題に向き合い、また戦っていた自分にある種の光が見えたのを
覚えています。とは言っても現役を離れ数年が経っていたし、コンデイションも
全く自信はありませんでした。だけど、その日はただそのオーデションだけに
自分を集中させ、結果ダンサーとして再び活動を始めることとなったのです。
それから半年間エヴィデンスのメンバーとして活動しました。
心と身体の集中力を要するハードなリハーサルやアメリカ国内公演やNY大学などで
講師をしたりと貴重な体験ができました。
もちろん当時1歳半くらいの
コナとベビーシッターでお手伝いしてくれていたのりちゃんも
一緒に各地回りました
財務処理や訴訟問題などと
戦う毎日の中、つぶされず自分を見失わないでいれたのも
このエヴィデンスのおかげだと
思っています。日本でいつかEVIDENCEの舞台を紹介できれば本望だなあと
思うこのごろです。
この8月、7年ぶりにRonと当時のメンバーに
再会できたとき(相変わらずなクラスの後)の写真です。
22日のROCKSTEADYCREWの30th anniversaryの詳細告知は前記事に
紹介しました。当日アリレス(新作T、グッズあり)
DVDの販売もやりま~す
RONの元気な姿が見れて嬉しいです!!
ありがとうございます