キリストは日本で死んでいる (たまの新書)山根 キクたま出版このアイテムの詳細を見る |
さて、永遠不滅の大聖人キリストは、垂仁天皇即位三十三年二月二十六日に
八戸の松ヶ崎に上陸したのであるが、その晩からイスキトマル(石堂)に
宿舎を設けて、渡来中に出来た十数人の弟子達と共に約二ヶ月この地で暮らした。
そして、此処から戸来神宮に行ったのであるが、その神宮は、十来塚にある
戸来村にはなく、実に此の眉ヶ平の戸来岳、別名トガリ山にあって、
この山に来たのである。
戸来岳は、何億万年もの大昔、十代高皇産霊天皇の御手に、越中皇祖皇大神宮の
御分霊を世界五色人の便利のために本州南北二ヵ所、即ち山口県の徳佐山と共に
御祭祀遊ばされ、その後、皇統第二十四代天仁仁杵天皇の御時に、
再び祭祀造営がなされたところである。
キリストは、戸来神宮で約四ヶ月、即ち渡来の年同年四月二十五日から
八月二十六日までの間、祈願をして心の準備も漸くできたので、
愈々大目的である越中の皇祖皇大神宮参拝のため、早速に旅立ち、
十六日後の九月十一日、上陸以来実に七ヶ月目に越中に到着、
同時に懐かしい師である神官、武雄心親王にも御目にかかることが出来たのである。
この本宮で一週間参籠して、親王から分霊を頂、これを持ち帰って大平(戸来村)に移し、
其処に住むこと約五年余り、その間、日本語と文字を学んでから日本国中を
巡廻すること更に十年、即位四十八年五月五日、武雄心親王の仲介によって、
お久しぶりに垂仁天皇に拝謁し、直ちに戸来岳の麓神宮に戻り
仁々杵栄の木の傍に隠遁して、弟子達と共に住まった。
P174~175引用