アウワの残響

サウンドヒーラーのスピリチュアルな日々。

日本(ひのもと)の中央で愛をさけぶ 竹編

2007-02-28 21:30:42 | レイライン
「壷の碑」と聞いたら、普通、芭蕉の「奥の細道」に
書き綴られた宮城県多賀城市の「壷の碑」のことであろうと
思われるに違いない。

また、「控えおろ~。この方を誰と心得る!」の水戸光圀も、
「大日本史」編集の際、都に伝わる「壷の碑」の実在を確認するため
調査をしておられる。
同じ頃、多賀城跡から農民が偶然掘り起こした奇妙な石碑の噂が
光圀の耳にはいる。

仙台藩四代藩主伊達綱村のころ、仙台領内の数々の歌枕の地が
大淀三千風らによって整備されたが、多賀城碑を
三千風はこれを撰集「松島眺望集」の中で「壷の碑」として
取り上げて碑文とともに紹介しているが、これも光圀の耳に
伝わったようであります。

事実確認のため、使者を使わし石碑を調査させたのでありますが、
これこそが「壷の碑」と認定してしまわれたのであります。

多賀城の「壷の碑」に刻まれた文字には、坂上田村麻呂が刻んだとされる
「日本中央」の文字は無く、多賀城の創建に関することや距離に関することが
刻まれております。

この碑を見て芭蕉は「千歳の記念」と感涙したとされるが、
残念ながら噂の歌枕として詠まれた「壷の碑」では、なかったようであります。

そのような思いを巡らし、
午後のまるで春の日差しのような国道4号線を北へ。

現在「壷の碑」が鎮座しとる「日本中央の碑保存館」へ向かうが
この道沿いには、「坪川」「坪さん」と「坪」だらけであります。
また、実際の発見現場周辺の方のお名前も「石文さん」と
伝説を裏付けるような土地であります。

そして「日本中央の碑保存館」に到着。家から約30分ほどの
ところにある。

なかなか立派な建物であります。
建物の中へ入ると管理人さんもわざわざお出でになり
写真を撮りたいことを申しあげると
ご親切に伝説の「壷の碑」にスポットライトを
当ててくれた。

おおぉ、そこには浮かび上がる「日本中央」の文字。

次回、梅編に続く。




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