特発性側弯症治療の広場に投稿していただいた、側弯症患者さんを妻にもつSimple
filedさんからのことばをご紹介させていただきます。
「偏見」についてなんですが・・。
うまく言えませんが、私は彼女の側弯を
「やっかいな障害」とかって認識した事はほとんどないんです。
たとえば、若い頃は彼女や私の友人達と連れだって
よく海に行ったりしていましたが、
水着になったときでも彼女が背中や腰の手術跡を
気にしたり隠したりしていた記憶はありません。
当時彼女は髪を背中の半分ぐらいまで伸ばしていましたが、
腰の辺りまで大きく背中が開いた、
かっこいいワンピースの水着を着てた記憶があります。
友人達の反応はというと、本人が全然気にしないので
友人達も気づかない事の方が多かったと思います。
たまに気づいた友人が「これ、どうしたの?」と聞く事があっても、
「中学生の頃に手術したんだ」「ふーん。きれいだね」という感じでした。
そんなわけで私も手術跡を特別に気にした事はありません。
正直なとこ、手術跡を愛おしく感じることはありましたが。
(あ。私は傷フェチとかではないですよ。念のため♪)
たとえば背が高かったり、低かったり、体が柔らかかったり固かったり、
腰痛持ちだったり、風邪を引きやすかったり。
誰でも多かれ少なかれ、それぞれに自分ではどうしようもない
身体的な特徴がありますよね。
誤解を恐れずに書いてしまいますが、
「現在進行中の深刻な病気」として捉えるべき状況でなければ
側弯もそうした「個性」の様なもののひとつと捉えていいのではないでしょうか。
かくいう私も、ほとんど生活に支障ないとはいえ偏頭痛持ちです。
私が頭痛の時には彼女に頭をゲンコでグリグリしてもらって、
「すまないねぇ・・あぁ結婚して良かった。」なんてやってます(笑)。
彼女の腰痛もそれと同じようなものかなと感じています。
私達のしあわせな日常にあって、
側弯はたしかにいつでも生活の傍らにあるんだけれども、
それは生活の中のほんの些細な一部を構成するだけのもので、
あるのが当たり前なので、普段はほとんど意識していません。
書いてて気がついたんですが、
こういうのが「側弯とうまく付き合っていく」ということなのかもしれませんね。
少し視点を変えて。
最近ある方から教えて貰った星野富弘さんという人の言葉です。
「わたしは傷を持っている でもその傷のところから あなたの優しさがしみてくる」
思うに、痛みを知っている人の方が、
しあわせを感じる感受性がより高いのではないかと。
側弯も、背中の手術跡も、彼女の豊かな人間性や感受性のもとになった
重要な個性のひとつなんだろうなと私は思っています。
奈良の母さん、こんばんは。
もう17年も前になりますが、彼女との結婚式の最後に、
彼女のお母さんに花束を渡したときのことを、
私はいまも覚えています。ぐっと涙をこらえたあと、
静かに「よろしくお願いしますね。」と、明るく言ってくれました。
お嬢さん達もいずれ、それぞれにしあわせを見つけていくのだと思いますし、
装具を付ける日々の鬱陶しさや窮屈さから解放される日は遠からず来るのでしょう。
母さんのいま感じられている不安や苦労も、明るく振り返るときが必ず来ると思います。
彼女のお母さんも、母さんのように、楽しみなことを見つけるのがとても上手な人なんですよ。
今でも彼女とは親子仲が良くて、一緒に買い物や旅行に出かけたりしています。
みんなみんな、しあわせにな~れ♪
filedさんからのことばをご紹介させていただきます。
「偏見」についてなんですが・・。
うまく言えませんが、私は彼女の側弯を
「やっかいな障害」とかって認識した事はほとんどないんです。
たとえば、若い頃は彼女や私の友人達と連れだって
よく海に行ったりしていましたが、
水着になったときでも彼女が背中や腰の手術跡を
気にしたり隠したりしていた記憶はありません。
当時彼女は髪を背中の半分ぐらいまで伸ばしていましたが、
腰の辺りまで大きく背中が開いた、
かっこいいワンピースの水着を着てた記憶があります。
友人達の反応はというと、本人が全然気にしないので
友人達も気づかない事の方が多かったと思います。
たまに気づいた友人が「これ、どうしたの?」と聞く事があっても、
「中学生の頃に手術したんだ」「ふーん。きれいだね」という感じでした。
そんなわけで私も手術跡を特別に気にした事はありません。
正直なとこ、手術跡を愛おしく感じることはありましたが。
(あ。私は傷フェチとかではないですよ。念のため♪)
たとえば背が高かったり、低かったり、体が柔らかかったり固かったり、
腰痛持ちだったり、風邪を引きやすかったり。
誰でも多かれ少なかれ、それぞれに自分ではどうしようもない
身体的な特徴がありますよね。
誤解を恐れずに書いてしまいますが、
「現在進行中の深刻な病気」として捉えるべき状況でなければ
側弯もそうした「個性」の様なもののひとつと捉えていいのではないでしょうか。
かくいう私も、ほとんど生活に支障ないとはいえ偏頭痛持ちです。
私が頭痛の時には彼女に頭をゲンコでグリグリしてもらって、
「すまないねぇ・・あぁ結婚して良かった。」なんてやってます(笑)。
彼女の腰痛もそれと同じようなものかなと感じています。
私達のしあわせな日常にあって、
側弯はたしかにいつでも生活の傍らにあるんだけれども、
それは生活の中のほんの些細な一部を構成するだけのもので、
あるのが当たり前なので、普段はほとんど意識していません。
書いてて気がついたんですが、
こういうのが「側弯とうまく付き合っていく」ということなのかもしれませんね。
少し視点を変えて。
最近ある方から教えて貰った星野富弘さんという人の言葉です。
「わたしは傷を持っている でもその傷のところから あなたの優しさがしみてくる」
思うに、痛みを知っている人の方が、
しあわせを感じる感受性がより高いのではないかと。
側弯も、背中の手術跡も、彼女の豊かな人間性や感受性のもとになった
重要な個性のひとつなんだろうなと私は思っています。
奈良の母さん、こんばんは。
もう17年も前になりますが、彼女との結婚式の最後に、
彼女のお母さんに花束を渡したときのことを、
私はいまも覚えています。ぐっと涙をこらえたあと、
静かに「よろしくお願いしますね。」と、明るく言ってくれました。
お嬢さん達もいずれ、それぞれにしあわせを見つけていくのだと思いますし、
装具を付ける日々の鬱陶しさや窮屈さから解放される日は遠からず来るのでしょう。
母さんのいま感じられている不安や苦労も、明るく振り返るときが必ず来ると思います。
彼女のお母さんも、母さんのように、楽しみなことを見つけるのがとても上手な人なんですよ。
今でも彼女とは親子仲が良くて、一緒に買い物や旅行に出かけたりしています。
みんなみんな、しあわせにな~れ♪