Aちゃんの舌代日記-その2

舌代とは 口で言う代わりに 文字にする というのが 本来ですが
写真を 見ていただく 事を 目指したいです。

ボンネットバス&東野鉄道

2015-11-28 | 地理 歴史 その他

次も 地元紙から

詳しくは 同社HP で 見られますが

こちらからも ご覧下さい。

 

拡大して 見るには Ctrlキー と プラスキーを

同時に押す。

 

 


富岡製糸場 見学

2015-11-05 | 地理 歴史 その他

世界遺産になった 富岡製糸場。

一時程ではないそうだが 祭日ですので 大盛況でした。

おなじみの 此の建物は 繭の置き場で

骨組みは 木材 レンガは 地元付近で生産。

中央のアーチの 要石(かなめいし)に 明治5年の文字。

見学者は まず此のアーチの下の通路を 通過します。

この倉庫の内部に 入るわけではない。

隣の 繰糸所(作業所)という 建物の 内部

同時に 建てられたが 屋根を支える 小屋裏は

洋式の トラス構造で

止める 金属の 金具 ネジは フランス 直輸入。

開所当時は 電気は無いので

窓は 2段に 大きく 明りを 取り入れた。

 

機械は 創業当時の 物ではなく

何度も 入れ替えをして 操業していた。

 

創業当時の お雇いフランス人 ブリュナは

一旦 自国に帰り 建物の 部品まで 整えて

再度家族と共に 来日して 設計 施工から 携わった。

其の 住まいは 平屋建ての コロニアル様式。

 

地下室付き。 

 

見学者は グループ毎に ガイドの説明を聞く。

 

入口の 大きい記念碑

 明治天皇の要請により 皇太后と 皇后が 訪問した記念。

生糸輸出に 力を入れた 当時の 情勢が うかがえる。

 

 

 

 

 


碓氷峠 煉瓦アーチ橋

2015-11-04 | 地理 歴史 その他

群馬 長野の県境の 鉄道遺跡

観光客は 渓谷に 張り出して造られた 遊歩道を

駐車場から 歩いて 見物する。

 

急こう配の此の地に

昭和38年迄 アプト式の 信越本線が 運航されていた。

アーチ橋の真下から

トンネルを 出たら すぐに 此のアーチ橋を 走行していた。

 

廃線敷地を 横川駅から 熊の平駅間 6キロが 遊歩道になった。

当然 此の橋の上も 歩けるが

 盛り沢山の バスツアーですから

又の機会に!

近くに 鉄道のテーマパーク 

「碓氷峠 鉄道文化むら」 が ある。

 

 

 


美麗な郡役所 南会津町田島

2015-06-03 | 地理 歴史 その他

残念ながら 関東では 見られない ピンクの 野生ユリの群生。

自生地域は 南東北の 山域に 限られる。

青春時代の山行で 出会った花。

6月は 隣県の ヒメサユリの 季節 (^-^) と

検索すると

素晴らしい 画像に 出会った!

場所は 近年 合併して 南会津町に なった 旧 田島町の 中心で

日光市と 会津若松市を 結ぶ 旧道の方の 日光街道沿い。

国道121号 ばかりを 通過しているので 知らなかった。

隣県ながら 当市からは 車で 日帰り圏ではないか!

 

現在は 新しい 県の支所の建物が 隣に建っている。

グーグルストリートビューで 見ると

此の二階建ての 背後には 平屋の建物が 同様に続いて

高台に建ち 中庭も あるらしい。

行事等に 現役で 使われているようだ。

戊辰戦争と 第二次世界大戦で 

中心部を 大規模に 焼失した

宇都宮市民としては 羨ましい。

大内宿や 再建された 会津若松 鶴ケ城へは 良く行くのに

観光資源としては 価値ありそうだが

宣伝は しないのか

隣県には 伝わってこないなあ!

 

旧道沿いですから 大型バスは 無理です。

隣接の 役所は 仕事中ですから

大勢で 見物は 迷惑でしょうか。

 


与那国島からの 女子留学生 2

2015-02-25 | 地理 歴史 その他

当時 自分は ワンダーフォーゲル部の 仲間と

沖縄へ 行く事になり

沖縄から 同じ大学で 学んでいた 留学生達と

話し合いの会を する事になっていた。

其の会場が ○○教室だった。

10人程の 留学生全員が 参加してくれた。

だた 一人の女子留学生だった

彼女とは 濃密な 付き合いになる。

彼女は 同じ部に 参加して

沖縄合宿にも 参加し スキーも 体験した。

当ブログに 出てくる 写真にも登場している。 

 

彼女の 兄は  千葉大学で 学んだ後

沖縄で 高校教師に なっていた。

兄の アドバイスでは

沖縄 最西端で 育ったので

もろもろの体験が 一般とは かけ離れているから

友人との 付き合いを 重視するように

と 言う事だったようだ。

ブラウスを 買うのに 付きあった事も在ったが

彼女は 明るいオレンジ色を 選ぶので 驚いた。

当時は チャコールグレー等が 流行りで

モノトーン系統の 色を 基本とした

組み合わせの 服を 女子学生は着ていた。

私の 出身の 県立女子高は 制服は無く

服飾雑誌を 定期購読する 家庭で 育ったので

男子学生が ほとんどの 農学部 農芸化学科では

目立ちすぎると 懸念した。

結局 ベージュ色の ブラウスを 購入した。

私の ふくらはぎが 立派なのは

山と ジョギングで 鍛えていたからです。

 

卒業後 彼女は 国立 九州大学 大学院へ 進学し

福岡県の 女子大で 教えることとなった。

 

 

 

 

 

 


与那国島(よなぐにじま)からの女子留学生 1

2015-02-24 | 地理 歴史 その他

当地の地方紙には 載らないだろう 与那国島の 話題。

日本最南西端の島で 住民投票が 先日行われた。

陸上自衛隊 沿岸監視部隊を 常駐させるか 否か?

中学生以上の 住民が 投票した。

此の島に高校は無い 進学は100%だそうだが

沖縄本島や 石垣島の 高校に進学する。 

投票率は86%だった。

結果は 全国版ニュースで 賛成が 多い結果だった。

台湾が 見える程の近さで

例の紛争の島に 一番近い島ですが

住民は 大幅に 減少して 1500人程

駐在所 二か所 二人の警察官。

のどかでは済まされない島になった。

中国からの 海上進出 侵略は 重大になった。

つまりは 拳銃2丁で 守られた島だ。

 

沖縄は アメリカ占領下からの 日本への 返還は

(または 本土復帰という) 1972年(昭和47年)

(当時は 沖縄では 昭和という 元号は 使用しない)

 

それ以前は

沖縄から 日本の大学に 入学する場合は 

パスポートを 取得して 留学生言う 存在だった。

宇都宮大学 峰キャンパスで

農学部 「○○番 教室は 何処ですか?」

と 一学年下の 新入の 女子学生に

尋ねられたのが 1961年の 初夏。

当時は 女子学生は 少数派だったから

尋ね易い 成行きだった。

 

つづく

 

 


家康の食事と 長命

2015-02-17 | 地理 歴史 その他

家康の没後 400年。

長命こそが 天下取り 成功の 一因だろうが

健康マニアだった 家康。

食事も 注目される。

生地 静岡で 研究された方の 記事。

生母 於大(おだい)の方も 長命で

やはり 食や 薬の 知識が在ったそうだ と

初めて 知った。

薬箱を 常に携行した 家康。

健康志向は 母親ゆずり か?

長寿遺伝子も。


NHK大河ドラマの 吉田松陰の切手

2015-01-10 | 地理 歴史 その他

開始したTVドラマ花燃ゆの 登場人物 吉田松陰。

昔の切手から 探し出した。

キャストの説明の写真を 見ると

伊勢谷 友介さんが 演じている。

松陰は 30代で 死亡しているから

切手の 肖像も 老人では無いはずだ。

なんとなく 似ていなくもないなあ。

 

半世紀以前の此の頃は 

フルカラー印刷の切手は ほとんど無かった。

切手収集をしていた 高校時代に 購入  10円。


会津中街道 三斗小屋宿跡

2014-09-21 | 地理 歴史 その他

江戸 元禄時代に 西街道が 天災で  使用不能になって

会津藩は 大峠を 超える 此の 中街道を開発。

白湯山信仰が 盛んだった江戸時代は 賑わった。

最盛期には 24戸が 在った。

1868年(慶応4年) 戊辰戦争の 戦場となり

村民の 惨劇と 全戸焼失。

明治期の 分教場は 日本一長い名前の 学校だった。

 

写真のバックの 黄色ブルトーザーは 

撮影の場合 避けられなかった。

時折は 関係者が 訪れるそうである。

 

明治期にも 火災で 焼失。1954年(昭和34年)に

残った 村民も 移転し 無住になった。

 

 


宇都宮大仏 善願寺 その2 災害

2014-08-16 | 地理 歴史 その他

此の 寺院の歴史は 長いが

自分が 生まれてからでも 災害は 二度も 在った。

宇都宮市の 災害でもあり

生え抜きの 宮っ子が 伝えねば

おおかたの 市民は 知らない事になるかと

此処に 書くことにしました。

 

 戦災 1945年7月12日の空襲

これに付いては 宇都宮市のPDFで 詳しく見られます。

此の時 この寺の 一帯も 焼き尽くされた。

隣接の 建物の 炎で 我が家の墓等も 石塔も被害。

小松石(御影石に近い墓石)も

 高熱に 溶けた。

 

 1947年9月の カスリーン台風による水害

田川に 隣接した 此の一帯は 水没した。

此の時 近隣の住民は 水没した 住居を逃れて

我先に大仏様の 高い台座に 逃れた。

台座の下は 収蔵庫になって居て 高かった。

お寺の 家族は 此の為に 

お寺の屋根に 登った。 

近隣住民だった方に 後に伺った。

 

写真は

左は 十九夜様 右は 御室観音の 南の石仏

文化財に 指定されてはいないが

何処かで 町おこし観光の為

外国製の石像を 近年据えた場合とは 

一味違って 素敵で 見ごたえが有るでしょう。


宇都宮大仏 善願寺(ぜんがんじ) その1

2014-08-15 | 地理 歴史 その他

久しぶりに 地元 宇都宮の記事です。

お盆の 墓参に行く。

我が家は 祖父の代に 天台宗 善願寺の 檀徒になった。

膨張した 中核都市の中では

今や 古手の 宮っ子 三代目で 立派な? 前期高齢者。        

 

 

改めて お寺の いわれを 確認すると すごい物ですね。

以前に 撮影された方の 写真が 見られます。

坂上田村麻呂の 謂われの 大きい石碑も

我が家の墓の 傍に在り 撮影するのですが

ピカピカの 新しい石碑に 自分の姿が 写り込み

公開出来そうもなく 残念。 


日光中宮祠 再発見 「日光灯篭」

2014-07-04 | 地理 歴史 その他

日光灯篭(とうろう) って何だろう?

日光東照宮に 江戸時代に 大名が 寄進した

金灯篭や 参道の石灯篭の行列は 有名で 

観光客の目を引いて 

解説も多いし 写真も 沢山見られるが

下の 写真の様な 形の灯篭

此れが 日光独自の 常夜灯。

シンプルで 現代的なのセンス 素敵な形ですね。

解説は こちらから

此れ以外の 詳細は判らなかった。

詳しい方 コメントが頂けると うれしいです。

左は 二荒山(ふたらさん)神社中宮祠 の

男体山登山口に あります。

宇都宮市の中央にある 二荒山(ふたあらさん)神社とは

区別して 読み方が 異なるようです。

右は 神橋から 世界遺産の 石碑を

登って行く 石段にあります。

 

 

 


梅雨の晴れ間に 備前楯山 その3

2014-07-01 | 地理 歴史 その他

栃木百名山にしては ??な 備前(岡山県)という名前の山。

由来については こちらから。

栃木県日光市 旧足尾町は 此の百数十年の間の

変貌が 激しい 鉱山町。歴史遺産が沢山ある。

かじか荘で 貴重な 案内図を 頂いた。

登山だけでは 見過ごしてしまうのですが

貴重な 資料ですし

ネットでの 紹介も 少ないでしょうから

 見て頂きたい。

旧足尾町は 利根川の支流 渡良瀬川に 沿った街ですが

更に 其の支流れの 庚申川沿いの 小滝地区には

今は 人家は ほとんど無く 生活感は無いが

産業遺産の他に 此の小滝地区には

鉱山隆盛時代は 1千人の子が学ぶ 小学校が在った。 

回り舞台付きの 劇場さえも あったそうだ。

足尾町全体の 1916年(大正5年)の人口は3万8千余。

当時の 足利市よりも 多い。

拡大して 御覧下さい。

 

詳しくは かじか荘 0289-93-3420

または

足尾楽迎員協会

日光市足尾町松原2825番地

 


道の駅の 望郷の湯(群馬沼田市)

2014-05-31 | 地理 歴史 その他

尾瀬の帰途 至近の日帰り温泉の予定を変更して 

ドライバー お奨めの 沼田の 道の駅の温泉に。

高速関越自動車道 沼田インター至近ですので 帰途は

往路の 日光金精峠周りではなく

高速関越~北関東周りで 帰りました。

 

日光から 続く 国道120号線 日本ろまんちっく街道にあります。

上州武尊(ほたか)山 子持山 赤城山が望める

利根川の支流 片品川の 河岸段丘の 上に在り

素晴らしい ロケーション。

温泉は アルカリ性単純泉で

露天に カラン付きの洗い場が 有るのは 初体験。

プロドライバー の お奨めは 確かで

道の駅百選というのは 無いのかもしれないが

何とか百選には 入っていそうな道の駅。

尾瀬や 吹き割の滝 玉原ラベンダー見物等の

折には 立ち寄ってみたい。

 

 


大平山神社と奥宮

2014-05-01 | 地理 歴史 その他

昨年は 謙信平傍の 茶店の前で 下車して 

 無線中継所の方へ 林道を 歩いて行ったので

太平神社へは 行かなかった。

此の山の中腹からは 謙信平方向では無く

右折して別の駐車場から

山頂方向へ 登山道はある。

地図は 観光協会から 最新版が 印刷できる。

この崖の上の 登山道を登ると

此処からは 尾根筋沿いに進み 無線中継所の傍で 

車道を 横断して

ぐみの木峠方向の 縦走路へと 続くのだが

 

いつも 観光客で 賑わう 神社の様子を

広い境内の奥宮への 登山路入口とは 反対方向には

茶店が 並ぶ方向への 階段の坂がある。

丁度 シャガの花が 此れからという 感じだった。

 

此の山塊の 車道 林道は 地元の方でないと

判別 出来ない位 複雑な様だ。

地元の 利便性が 優先するだろうから 当然か。