古来 和歌に優れた人 を歌仙というが
8月の小田代原で 遭遇した。
草丈は 60センチ程。
葉の基部分が 茎を 抱いている。
ヒョウモンチョウ(豹紋蝶)が 明るい陽射しの
日光の高原の原を
わがもの顔で 遊飛していた。
古来 和歌に優れた人 を歌仙というが
8月の小田代原で 遭遇した。
草丈は 60センチ程。
葉の基部分が 茎を 抱いている。
ヒョウモンチョウ(豹紋蝶)が 明るい陽射しの
日光の高原の原を
わがもの顔で 遊飛していた。
ページのめくれる アルバムを作成。
夏の奥日光の植物で。
フリーソフト Fhoto Funalから
全部 英語ですが ここで慌てない。
まず 画面の最後まで 見て行くと
最後の行に 各国の 言語を 選ぶようになっていて
日本語を 選択して クリックする。
Show more 更に表示を 数回 繰り下げて
Flippinng Pagesを 選び クリックします。
2枚の 見本の写真が 並んでいるうちから
動いている方を クリックし
写真を選択を クリックして
自分の 4枚の写真を アプロードします。
下の GO 進む をクリック。
しばらく 試行しないと やり方を忘れてしまう。
情けない。
テキスト無しなので 覚書メモの つもりです。
平野は 暑さにあえいでいる頃
日光市戦場が原の 木漏れ日の中
湯川の上流部をあるく。
それだけでも 大満足なのだが
優雅に たたずむ アオサギに 遭遇。
渓流釣りをしていた人にも この辺で 遭遇したので
魚も 繁殖しているのでしょうか。
此処で写して投稿した 青サギの写真が
昨日 栃木県内だけですが NHKの県域TVの
「とくめきとちぎ」で 放映されました。
放映前には 公表しない きまりなので 悪しからず。
夏休み中ですが
週末では無いので 静かです。
上は 大型の多年草 油茅が 繁っていました。
カヤツリグサ科。
実が ついていなかったら
見過ごしていたでしょう。
ここには マガモが 住み着いている。
夏は シベリアへ 行くはずだが。
野生動物に エサを やった結果のようです。
此の日は 地味な 雌だけを 見ました。
戦場ケ原に 一か所だけある 泉門池です。
「いずみやど」が 正式な 読み方ですが
通称 せんもんいけ。
湧水が 何か所かあり 湯川に つづいている。
周囲は ミズナラの林で ベンチに 休んで
自然観察に 好適な場所。
ここからは 男体山が 遠望できる。
快晴で 頂上が よく見えています。
男体山には 三角点が 二か所あるが
此の角度から見ると 納得できる。
平野部の 宇都宮などから見ている
男体山とは 山容が違っています。
動画講座の 申し込み 未だ大丈夫です。
電話で 申し込めます。
場所は 県庁の すぐ西の
税務署のすぐ北です。
次回は 戦場が原の 写真を アップ予定です。
斑入り場の朝顔苗を 早々に購入したが
空いていた 鉢が無かったので とりあえず
大きい吊り鉢に 植えてしまった。
弦が 盛大に成長して 最適な置き場所は? と
考慮した末に下のように
キュウリ栽培用に 販売されている
ありきたりの U字型の 鉄製の支柱に吊り下げ
それだけでは 支えきれずに 倒れるので
更に 上部を アーチに 針金で 固定した。
重量を 分散させて 固定しました。
安定していて 2か月程。
日照も 風とうしも 申し分なしだが
給水は マメにしないと。
三点確保 登山技術の 応用?
猛暑も 治まったか 今日は 終日曇って
午後まで 咲いていました。
南岸の阿世潟に 何回か行ったが
この老木は 気がつかなかった。
関心がなかったのだが
今回 同行した ○○さんが 持参された
40年前の 記念写真
かっては 車で 此処まで 入れた
阿世潟キャンプ場として 賑わった 当時の写真です。
そして 現在は
両方向から 登れる。
先端が 地面に 着地して 根がついたのだろう
元気で 葉を茂らせている。
反対方向から 撮影してみました。
矢印の先端には 上野(こうづけ)島が 写っています。
社山登山の際は 阿世潟分岐の 傍の 湖岸ですから
此の老木は 記念撮影スポットですよ。
どのような 経過で 此の姿になったのだろうか?
此の時期に 奥日光の この地域に 行かなかったら
此の 赤い実には 出会えなかった。
ユキノシタ科の 落葉低木。
葉は モミジと 同様。
落葉樹林帯の下の 暗いところにある 落葉樹。
樹高は1M程で ややまれにある。
艶のある 可愛い赤い実には 細かい種が 多数あるが
美味しくは無かった。
8月の 奥日光で 楽しみの 一つは 此の花を探すこと。
陽の当たる山地や 林の中 草むらの中で
草丈は 1M程にもなる。
涼しそうな ブルーが 安らぎます。
不思議な 此の花の形
花から 長く飛び出ているのは 4本の雄蕊と 花柱。
花が 開花していれば 容易に 見分けられる。
他は シソ科の植物と ほぼ同じだが
全体に 悪臭があり それで 見分ける。
多年生 ややまれにしかない。
近年 赤岩滝へ 行った時も 出会った。
先日 同時期に咲く 同様の 山吹ショウ麻を アップしたばかりですが
さっそく 奥日光 戦場が原で
鶏足ショウ麻に 対面した。
草丈は 背丈よりも 高く 成長していた。
白い穂はつぼみで 花は 此れからのようです。
葉も 詳しく観察。
ユキノシタ科なので
葉も 葉脈も 此の様に。
名前の由来の 鶏の足の様な 枝は 三方向に分岐も 確認
間違いやすい ヤマブキ ショウマは
バラ科であるから
葉は サクラや ヤマブキと 同様です。
今年の春の頃から 再建中だった 木道(もくどう)が 完成した。
片側に手すり付きで まるで ウッドデッキ連続だ。
登山靴ではなく サンダルでも 歩ける。
折りたたみの ベビーカーで 赤ちゃん連れでも 快適だし
混雑していない日なら 傘をさしても OK。
という事は 100歳になっても来られる?
車椅子になっても 来なくては!
植物を 鹿の食害から守る フェンスの 内側です。
上は 鹿柵ゲートです。
此処からは 野生動物は 入れない。
此処は 国立公園の中ですが
「森つくり 県民税」の 使途の場合も
此の様な 場合なら 夢がある。
ps
赤沼から乗れる ハイブリットバスの
小田代原停留所の トイレは 現在 再建中の為 仮設です。
新しいトイレに 車いす対応も 併設されれば
更に 多くの人が 楽しめるでしょう。
昨日の朝刊は 2面分を一面に仕立てた 全面が
70年前の 黄ばんだ 新聞のコピーだ。
玉音放送が在った事を伝える
終戦翌日の 新聞だった。
お盆の中日だが 夕方には
数日前に 他界した 11歳年長の
身内のお通夜に 出席した。
家族葬だそうだが
集まった 一族20人程の内
自分が 最年長者だった事には 驚いた。
近い年代の出席者は 団塊の世代のようだが
現役で 働いているらしい。
自分は 玉音放送は 記憶はある。
空襲の夜の 記憶もある。
其の前の
父と 伯父 同時に 出征時に
写真やを呼んで 一族で 記念撮影をした
記憶もさえもある。
出席されなかった方の 体調は どうなのか
気がかりだ。
日光中禅寺湖の 南岸
八丁出島の 最先端は 寺ゲには 薬師堂が 在ったが
現在は無くなっている。
お堂の跡は 平らな広場になっているが
其の中心に
一尺(30センチ)角 1間(180センチ)程の
削った 角材が 1本だけ 横たわっている。
何故 1本だけなのだろうか?
角材は どれほどの時間の経過なのだろうか?
朽ちた程でもなく
しっかりとした 立派な 角材なのだ。
堂があった時の 建物の 規模は どのくらいか?
1963年にも
此の 寺ゲまで 来ていたが
寺が建っていた 記憶は無く
石灯篭の様なものが 1個だけあった。
地元紙に 「船禅頂」の 写真付きの記事が載った。
銅像は 日光市 世界遺産の 山内地区に
1955年 日光市が建てた。