城址史跡を歩く。

日本の城や城址、史跡などを見て歩くのが好きです。
今のところ、九州の城址・史跡が中心です。

暘谷城址(日出城址)(大分県)

2009-12-07 | 城(城址)歩き
2009年12月6日(日)

大分県速見郡日出町にある 暘谷城址 は、現在は日出小学校になっている。



今日は日曜だが、グランドではサッカーの練習が行われていた。
グランド入口の鐘の下辺りに駐車スペースがあったので、そこに駐車し、
海の方へ歩いてみることにした。



城下の海は海底から清水が湧くきれいな海で、ここに棲息する 『城下(しろした)カレイ』 は日出町の名産になっている。



海沿いの遊歩道からその別府湾を眺めると、正面に高崎山が見えた。



暘谷城は関ヶ原合戦後に 木下延俊 が築城、縄張りは 細川忠興 が行った。
木下延俊は細川忠興の妹婿で、秀吉の正室・北政所の兄・木下家定の三男、
さらに小早川秀秋の兄にあたる人物でもある。

城址の一部は別府湾が一望できる小さな公園になっていて、
遊歩道と繋がっている。



先に城址の周辺を歩いてみることにした。

少しいくと、人柱の祠があった。

昭和35年、遊歩道の工事中に木棺が発掘され、中から老武士らしき人骨が出てきたとある。
棺は岩盤をくり抜いた穴に納められ、その上に大きな石が載せられ、
それが石垣の基盤となっていたという。
この場所は城の裏鬼門にあたるため、人柱をたてたのではないかと考えられている。



歩いていくと堀の中に出た。



その堀を上からみたところ。



そして小学校の正面玄関に着くと、そこが城の 大手門跡 となっている。
登校してくる生徒たちは、登城する気分が味わえるのではないか? (笑)



城址を一周して、時の鐘 のある場所に戻ってきた。
この鐘は、元々は外大手門にあったものをここに移設したものらしい。
この石垣の上には、かつては 裏門櫓 が建っていたとされる。



二段になっている石垣の
奥の石垣が 天守台



その天守台に向かって歩く。



石垣に沿って右に曲がると公園になる。
ベンチに座って海(別府湾)が見渡せる。



天守台の石垣を見上げる。



かつて本丸の海側には、天守閣と 望海楼 があった。



望海楼は城門の役割も果たしていたとされる。



最初の城門のような石垣を上がるとさらにもう一段ある。
この石垣の上に望海楼があったようだ。



上の石垣の段を上がると、そこは城の本丸となる。
現在は小学校のグランド。
天守台に向かう途中の石垣。



天守閣が建っていたとされる場所。



そこから海を見ると、また更にきれいだった。



【時の鐘】

本丸の東北隅は鬼門除けのため、大きく欠けた形をしており、
そこにあった鬼門櫓は別の場所に移されているらしい。