かかりつけのお坊さん 奮闘編

転勤も定年もリストラもない、失うものは何もない最強な坊主が日頃の“感謝”を言葉にこめて、日常を綴ります。

ため息の智慧

2011-12-11 20:20:27 | 如是我聞
私が、今購読している新聞。

それは、広島の地方新聞なのだが、毎日朝刊を開いてすぐに、

読んでいたのが、小説「親鸞・激動編」である。

作者は、五木寛之さんである。

その小説が、今日、とうとう最終回を迎えた。


五木寛之さんが、親鸞を書こうと思われて、それが連載

されたのが、2年前だったか。

親鸞の誕生から出家、そして、比叡山での修行。

そして、法然との出会い。

念仏弾圧のため、越後に流罪となるまでの、いわば、

親鸞の青春時代が描かれていた。

そして、1年おいて、今年の1月から、第2部ともいうべき

<激動編>が連載された。

小説であるから、史実とは若干違う親鸞像ではある。

でも、そこに私は、親鸞が生きた激動の時代を、自分の

生きた激動の時代と重ね合わせている、五木さんの筆致を

感じた。


五木寛之さんのお父さんは、田舎の小さな学校で、

教員をしておられた。そのお父さんも、このまま内地に

いても、立身出世といっても、小さな学校の校長先生どまり。

やがて、家族を連れて、今の韓国、朝鮮半島へ渡られたのだ。


やがて名門と呼ばれる学校へ勤め、その後も必死に刻苦勉励の

生活を送っておられた、

そんなお父さんの思い出を、五木さんが語っておられます。


「当時の父親の生活は、本人にしてみればそれなりに充実した
 ものであったはずなのに、にもかかわらず、布団にひっくり
 帰ったときに“あーあ”と大きなため息をつく。
 あのため息の奥にあったものはいったいなんだったんだろうか。
 それが、長い間私が心のなかに抱き続けてひとつの謎でした」


ため息というのは、人生に対して非常に後ろ向きで弱弱しい

行為のように思えるが、ひょっとすると、父は労多き、

前途はるかな生き方を“あーあ”というため息のなかに、

癒されていたのではないか。

五木寛之さんは、こうも述べていらっしゃいます。


人間は生きていくうちに、何か厄介なものを背負い込んでいく。

人間たちが歴史の中で体験した傷みや悲しみの記憶が、人間の

業として、負いかぶさってくる。

そんなときに、「がんばれ」といって励ましたり、「何て自分は

ちっちゃな人間なんだろう」卑下することもいらない。


大きく、胸の奥から、大きなため息を二度三度ついてみるがいい。

そしたら、そこからまた立ち上がって生きていけばいい。


関東での生活を終えて、60歳を過ぎて、

京都へ帰る決意をした親鸞。

その後の親鸞を再び、五木寛之さんが筆をとってくださることを

願っています。


広島ブログ いつも、ありがとうございます

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 棺おけ、かついで、何しよる... | トップ | 冬に備えて »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

如是我聞」カテゴリの最新記事