かかりつけのお坊さん 奮闘編

転勤も定年もリストラもない、失うものは何もない最強な坊主が日頃の“感謝”を言葉にこめて、日常を綴ります。

死のおよばぬところなし

2012-05-17 21:23:07 | 如是我聞
虚空(そら)にあるも 海にあるも
はた 山間(やまはざま)の 窟(あな)に入るも
およそ この世に
死の力の およびえぬところはあらず



私のお寺も、親鸞聖人の降誕会の法要を勤めています。

その法要では、毎年、赤ちゃんの初参式(初参り)を行なっています。

少子化が進む中、だんだんと初参式へ参加してくださる赤ちゃんも

減少傾向です。

今年は、5名の参加希望がありました。

20日の朝、行なう予定です。


上の本は、五木寛之さんが4人の方と対談されたものです。

そのなかで、小川洋子さんは、次のようなメッセージを

述べておられます。

「人間が宿命的に背負わされている、
 死にまつわる、何かせつなさのようなものを、
 赤ん坊の産声は表現しているな、と思いました」

赤ちゃんは、なぜか、泣きながら生まれてきます。

ニコニコ笑いながら生まれてくる?(笑

そんなことは、まずありません。

オギャーという産声は、そのまま、今生を、この世の苦しみを、

今から引き受けていくんだという、せつない叫びのようなものに

聞こえるのでしょう。

人間が作ってきた宿業を、今私の目の前にいる、わが子が、

今から、背負っていくんだ。

そんな、厳しい覚悟を、親はわが子の前でともに背負うのです。


人間の世々生々の生まれ変わり死に変わる営み。


永六輔さんは、ある本の中で、

お葬儀のとき、赤ちゃんの泣き声を聞くと、“ホッ”とする、

とも言っておられます。


生まれ出ずることは、なかなか厳粛な事実なんです。



広島ブログ いつも、ありがとうございます
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