あすなろ健康院ブログ

あなたの心と身体の健康をずっと見守り続けている灯台でありたい…

みんな若かった。

2016-07-26 19:04:25 | 整膚


今日所用で南房総の御宿まで走りました。
ちょうど下校途上だったので児童や学生たちが目についた。
「そうだよなぁ みんなこんな頃があったんだよなぁ…」
「誰も好き好んでしわくちゃになったんじゃないよな…」
「自然の摂理っていうか…そんなもんだよな」

そうなんです
みんな若かった。
でもいつしか大人になると
あきらめたり言い訳をしたり、
とにかく何かの所為にしたり実に切ない。 

さて
今日ようやく落ち着いた時間が取れたので
先日、松本先生に施術をして頂いたあとに貸して頂いていた
「整膚論 リハビリ編」というDVDを拝見した。
なんだろうこの感覚…
最初は徐 堅先生のやり方を目を皿のようにし凝視して
実際に自分に再現していたのに
いつしか「救われる・落ち着く・心が解放される」
そんな風に癒されてとても心地好くなり
心がすとんと安堵の地に降り立ったような気がしました。
施術ではなくまさに芸術・こころのしらべのようでした。

途中に整膚の開祖・徐 堅先生の言葉が自身の書とともに紹介されていました。

皮膚を耕すと 
血も気も流れる
愛も生まれる。人類の
新しい幸せは整膚に
ある。

と。

一条の光

2016-07-24 18:21:42 | 天職


昨日は出張で遠方に伺いました。
ご家族で受けて頂いているのですが
その中のお一人、5年前一番最初に一人で茂原に来られたYさんの一言
「いやあ凄いですねぇ、なんかものすごいパワーが通り抜けてゆくように感じました。
そしてとても柔らかく溶けてゆくようでした」と。
私も今迄の氣功だけではないパワーを感じています。
氣功に整膚が加わった成果だと思います。
「何としても」という力が自然に抜けて
かなり楽に施術が出来るようになりました。

想えば10年前、縁あって松本先生と巡り会い
懸命に氣功をマスターし独立。
しかし独立はしたものの、その後もなかなか芽が出ず
怒濤の宣伝活動もまったく効果なく
家内は子宮腺筋症で極度の体調不良となり手術。
そのため買い出しや食事、レッスン、そして氣功と必死にこなす日々…
ギターを教えていたので何とかなると思っていたところにリーマンショック。
子供たちが一斉にやめ趣味にお金をかけなくなった。
ご高齢の方も多くいたので体調不良とかでもやめられて
まさに万事休す。

振り返ればよくぞここまで生き延びたなと想う。
やはり導かれた感をひしひしと感じる今日この頃です。

同じ道を歩まれている
歩み出されているみなさん
どうかあきらめないでください。
一条の光が射してくる瞬間が必ず訪れますから。
一緒に頑張りましょう。

整膚をどんどん取り入れましょう。そして広めましょう!!!!!!!!!!!!!!!

2016-07-22 23:00:00 | 整膚
 
前回の続きはまたいつかにして…
今日も整膚師の松本先生に施術とワンポイント整膚の極意を教わりました。
先生には10年前からお世話になっていて、何度も危機を救って頂きました。
時にはあまりに進歩的過ぎて戸惑うこともありましたが
すべては、ただ治るだけではなく、より健康になること・目指すことなのですね。

お陰さまで今では地域でも少しずつ認知されるようなほどにパワーアップもし
とても元気な元気すぎる64歳と6ヶ月となり
受けてくださる方々も見事に甦りより健康を目指してくれています。
自分の中では今迄にもっとも取っ付きの悪かった整膚でしたが
結果が著しく伴うようになって来たことにより今や虜になってしまいました。
私のところに来ていたYさんも今や正式に整膚師になる直前です。
本当に嬉しい限りです。

みなさんもこの道で生涯を懸けたいと思われたら是非とも松本先生の教室が超お勧めです。
私は松本先生の教室のみでここ迄の著しい成長を遂げることが出来ました。

そして今、先生がブログで力説されているように
「気のパワーアップのこつはズバリ言って、じっくりと構えてコツコツコツコツと自分の体に向き合いながら続けていくことと、
施術や教室、遠隔をたくさん受けることと、裏表がない真っ直ぐな素直な心を持ち続けること、この三点です。
そしてあともう一点、体をできるだけゆるめることです。」と。
松本健康院 松本先生のブログより


私ももっともっと深め高め、今迄培った気功をベースに、さらに優れた整膚を広めてゆきたいと考えております。
松本先生、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。

みんなが健康になってほしいから…

2016-07-20 09:13:49 | あすなろ氣功
いつも想うこと…それは「みんなが健康になってほしい」ということ。

僕は生まれた時から虚弱で
小学校入学当時は97cmしか身長がなかった。
小学校6年生で126.4cm、
中学校入学寺で131.6cm、
中学3年生で143.1cmでした。

「チビ」と呼ばれ、その意識がみんなの心の中に潜行し、
中学3年性の時には
教室内で少し離れた所での女子たちの会話が聞こえて来た。
同じクラスのYさんが
「池田君が好きなの」「えっーーーーーーっ!!!! あんなチビのどこがいいの?」とMさん…
絶句した。
純情だった僕の心は激しく動揺し深く傷ついた。
だから今でも当時の光景と各人の表情が見目に焼き付いて離れない。

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高校入学時でようやく150.6cm
となり、64歳の現在は160cmで至って超健康。
ではどのようにしてこのように元気になれたのだろうか…
背が低いだけではなかった壮絶な歴史があったのです。

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って「しくじり先生」みたいですね。

これから仕事ですのでまたあとで。