21日は母の誕生日でした。
もう何年も会っていません。
ふるさとを遠く離れて30年
子供達が小さな頃には
年に2回は帰り
また家業のみかん作りの手伝いに
季節ごとに帰ってはいましたが…
やがて1本の草が生え
一面の雑草に覆われ
とうとうほとんどが山に戻って行きました。
はるか昔
太平洋戦争中の戦時下では
米軍のグラマン戦闘機に何度も標的にされ
命からがら逃げ延び
また戦後はサツマイモ畑から始め
やっとの想いでみかん畑にしたのに
とても愛着があったのに
長男である私が出てしまってからの落胆は想像以上
だったと妹から聞かされた。
そんなぼくの生まれたときは
いや生まれる前から大変で1ヶ月以上予定日が遅れたといい
さらに つわりがひどくて食べられず
全ての歯をなくしてしまった。
その後のぼくは虚弱でずいぶんと迷惑をかけた。
にもかかわらず思春期から青年期まで
「なんでこんなに弱く生んだ」
とまるで筋違いな独り言の暴言を吐きつづけ
34歳で風のように雲のように遠くに行ってしまった。
生まれた当時は跡継ぎ=男の子が生まれたと大喜びしたのに
そんな想いもあり超真面目の外面しかみせていなかったこともあって
「30にしてグレてしまった」と
私が10年をかけて実家の庭の一角に
一人で築き上げた築山に登っては泣いていたそうだ。
まぁ
だから
もっともっと
もっと私は努力しないといけないんだろうな。
でもあなたのお陰で
ようやく一本の道が前に開きました。
この64年の人生はこれから始まります。
何としても生き延びてこそせめてもの親孝行だと信じて…
お母様のお誕生日、おめでとうございます。
大切な思い出と深い思いが伝わってきます。
私の母も10月生まれなんです。
読んで、ジーンときました。
私も相当な親不孝娘です。
何としても生き延びてこその親孝行。
私もここから始めていきます。
きょうもよい一日を!
いつもありがとうございます。
このようなコメントを頂けて幸せです。
コメントを読ませて頂いて
僕の方が感動してしまいました。
なんという幸せ者でしょう。
与えられたいのちのかぎり生きていきます。