あすなろ健康院ブログ

あなたの心と身体の健康をずっと見守り続けている灯台でありたい…

お盆に寄せて

2016-08-15 12:01:00 | 我が道


今年もこの季節になりました。
茂原に関わりをもって早30年…
直近の帰省は2010年だ。
もう6年も帰っていない。
音信も途絶えた。
家族はそれぞれに懸命に生きた。
誰も悪くない。
強いて言えば
後先考えず突っ走ってしまった。
良く言えば天真爛漫
身内から見ればフーテンの寅さん…
いや寅さんに失礼ですね。
ただの身勝手に映っただろう。
自分の進むべき道を探し続けただけなんだけれど…
でも変貌してしまった自慢のみかん畑には本当に申し訳なく
たらればにずっと苛まれた。

農業が嫌いだった訳ではない。
むしろ大好きだった。
でも身体が虚弱で
パラパラと雨が降り出したらすぐに飛んで帰って
夕飯時までいつも寝ている有様だった。

もう一つ
当時、父はやり手の篤農家で
とても追いつけず
当然任せてももらえない苛立からもあって
あるとき
突然上京した。
今まで超真面目だった僕に母は
「30でグレてしまった」
と、ずっと嘆き悲しんでいたとあとで妹から聞いた。

あんなに元気だった父はすでに見る影もなく
人生のまたまたたられば…
でも今はもうまったく感じない。

ところで
父は三男坊だったが
長男はあのレイテ島で玉砕。
次男は旧満州からの移動中の朝鮮半島で戦死。
三男坊の父は無線技師として旧満州を転戦し
終戦を迎え、辛うじて帰国した。

なので
無線の仕事がしたかったそうだが
父は家業を継ぎ
芋畑を開墾し
再び人も羨む立派なみかん園へ築き上げたのだった。
だから農業は継いで欲しかったけれど
自分の想いも託した如く
何も言わず
何も聞かないうちに
いつしか時は流れ
「お前は誰だ?!」
になってしまった。

以来
墓参りもせず
出来ず、
親孝行も忘れ
みんなから袋だたきに遭っても何も言えない。
だからこそ
自分に受け継がれたDNA=身体を大事にすることで
せめてもの親孝行 先祖孝行にさせていただいている。
毎晩田舎への遠隔も添えて…
お陰さまで64歳の今が一番元気。
これからはもう迷う事なくこの世界に邁進しますのでよろしくお願いいたします。



理不尽な兄のためにすべてを受け入れざるを得なかった妹には本当にすまない。でも君のお陰で今ここにいられる。本当にありがとう。