今上天皇の会見涙が止まらなかった
昭和天皇崩御の時、私は中3の受験生
昭和天皇のお姿は何かいつも変な手の振り方するおじいさんという大変失礼な子供時代
学校で友達と「天皇陛下死んだって。学校休みになるらしいよ。ラッキー。何する?」と話した記憶があります
戦争もあったみたいね。悲惨だったみたいね。
全てが自分に取っては関係のない話だと思っていた馬鹿者の時代。自分が何者でもないいつ死んでも良いよね♪なんて軽口叩いてた時代。今自分がその時代の自分に会えたなら大激怒してるだろう。
今上天皇を初めて拝見したのは福島の大雨災害の時
まだ20代であまりありがたさを感じてなかった。
太陽の国の土砂崩れのお見舞いにいらしてくれたけど自分はあんまり関係ないしと思っていた。
でも店の前を昭和天皇のように手を降りながら被災地に向かう姿の神々しいこと。オーラってこの事なんだなと初めて皇室って凄い存在なんだと感じた日。
新潟中越地震、東日本大震災、熊本震災身近な所でご夫妻の国民に寄り添う姿を見て。その後も戦争で亡くなられた御霊を敬い世界各地をご高齢の中精力的に巡礼される姿。
摂政では駄目だと言う気持ちに陛下の強い思いを感じました。
私は戦争を知らない。親も食べるのが大変だった記憶しかない。大人になって、沖縄、広島、長崎、廻ったけどまだまだ知らない事だらけ。
本当の悲惨さを知らない。
私ごときが知れるわけがない。
若いスタッフを預かる身として、今上天皇が象徴として行動してきた人生を少しでも私なりに今の若者に伝えていこうと思った。
象徴って?憲法の勉強でさらっと印象付いた中学時代。
皇室のファッションがいかに儀に基づいたかを習った短大時代。
その後も皇室??って思ってたけど、今上天皇、美智子様の国民に対する愛、その行動の日々。
私の解釈はもしかしたら短絡的かもしれない。
でも私はこう思う。
日本人はこういう真心を持った国民で、礼と儀を大切に、そして何よりも家族とはこうあるものだと。
利己主義が大分この国を支配しつつあるけど、数々の災害を経て、その時にやはり陛下の行動が行き過ぎた我儘な国民に杭を打ったと思う。
まだまだ昭和の人間はいっぱいいる
私達がちゃんと生きなきゃ
親が亡くなって2時間後には即位の礼をし、国葬、伝統に乗っ取った国儀の礼が2年間。
今平成の世だからこそ陛下はご自分の意思を国民に問うたのだと思う。
ご自分の象徴としての義務として。
改正問題は色々あるだろうけど、この時代だからこそやらなきゃいけないという強い意思を感じました。
私ごときがうすらうすら語る話ではないけど独り言っていうことで。