アジアはでっかい子宮だと思う。

~牧野佳奈子の人生日記~

世界一の村・Bario

2008-03-18 | ボルネオの旅(-2009年)
この村の何が「世界一」なのか?
それはマレーシア本島からボルネオ島に飛ぶ飛行機の中で聞かされた。

「あー、ここ、このバリオって村はいいよ。バリオ。ここは世界一だ。」

標高が高いからちょっと寒いけどね、とその男性はにっこり笑って言った。

何が「世界一」かというと、その男性が言うには、「お米」が世界一なのだという。
・・・タイ米に代表される東南アジアの長細いお米が「世界一」だなんて、ふざけた話を・・ と、私は腹の中で笑った。


けれどどうやらこのBarioという村が素晴らしいことは間違いないらしい、とその後何人かの話で私は考えを改め始める。
一体何があるのかはよく分からないが、手元にある英語のガイドブックにも「一度行ったら帰りたくなくなる」というようなことが書いてあった。
そこに住んでいるのは Kelabit (クラビット)民族で、Bario米というブランド米の産地・・・だとか。

私は予定していたムル国立公園を変更して、Bario行きの飛行機を予約した。


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12人しか乗れない小型の飛行機は45分間、せわしなくプロペラを回して熱帯雨林の上を飛行し、きれいに整えられた田んぼと数棟の集落が見えるその小さな村に無事着陸した。空港の建物は手づくり感あふれる白と水色の木造で、飛行機からその建物まで歩いていく間だけで全貌がすっかり見渡せてしまうほどのコンパクトさだ。村人らしき年寄りや子どもたちが、到着した飛行機を嬉しそうに眺めていた。


ところで私はガイドブックに載っていた Labang LongHaouse (ラバンロングハウス) をこの村での宿泊先に選んでいた。そして予約のために電話をかけたところ、こんなことを聞かされたのだった。

「空港に着いたら、誰にでもいいから“リアンの家に連れて行って”と頼んでちょうだい。タクシーやバスはないけど、誰でも快く連れて行ってくれるから。10RM (約340円) のお礼を払うといいわ。」

更に別の人からはこんなことを言われていた。

「空港のカフェにピーターという男がいると思うから、彼に声をかけてみたらいいよ。奴は別にカフェで働いてるわけではないけど、まぁ大抵いつもそこにいるんだ。僕が通っていた10年間は変わらずそこにいたから、きっと今でも同じだよ。」


・・・バスはない、タクシーもない、誰にでも声をかけていい、カフェに働いてもいない男が毎日通っている、・・・つまり全く想像がつかないトンでもなさそうな場所に、私は今足っているのだった。





Labang LongHouseは、60歳を過ぎた父親と息子のリアンが営んでいる実にアットホームなゲストハウスで、横一列にズラ~っと部屋が並んでいるボルネオ島の伝統的な家屋でホームステイ気分が味わえる、とても贅沢な宿だった。
このLongHouseと呼ばれる伝統的家屋は、長い家では端から端までが100m以上もあり、何十家族もの親戚一同が共同生活を送っているという。しかしそうした大人数での生活は今では珍しく、Labang家のようにゲストハウスに活用したり、クリスマスや祝い事で人が集まる場所になっていたり、はたまた大きな家に少人数がひっそり暮らしていたりするのが現状なのだとか。



リアンに村の簡単な地図をもらい、ぐるり一周歩いてみることにした。

「道は一本しかないから迷うことはないよ。ぐるっと歩いて2時間くらいかな。」


白い一本のでこぼこ道に導かれるように、私はゆっくりと歩き出した。
両際には刈り終えた後の田んぼが広がっていて、その向こう側に緑生い茂る山々が見える。
日本人、特に田舎育ちの者なら誰もが感じるだろう “懐かしい” 景色が、そこに広がっていた。

人々は、天然の素材でつくられた籠を担いで歩いているか、もしくは泥だらけのオートバイに2人乗りで走っているか・・・。たまに4WDのごつい車が荷物や人を運んで通り過ぎる。道がでこぼこのために水たまりがあちこちにあり、オートバイや車は上下左右に大きく揺れ、水を弾きながらゆっくりと走っているのだった。

ちなみにこの村の人口はわずか500人ほど。なので道ゆく人はそう多くなく、ましてや車などは数えるくらいしかない。恐らく村全体で2台か、3台か・・・。人気のブランドはTOYOTA。オートバイならHONDAやYAMAHA。ガソリンなどと一緒に、街から船で運んだそうだ。





そしてこの村の驚くべきは、「人」。
人がみな、驚くべき笑顔なのだ。

出会う人出会う人、みなが笑顔で挨拶する。
見知らぬ外国人の私にも、目が合えば必ずにこっと微笑む。

ここに来てようやく分かった、「誰にでも声をかけていい」理由。
こうして「一度行ったら帰りたくなくなる」場所はつくられているのだ。


率直に思った。

・・・うらやましい。そして、ここに住みたい。


もし何十年か前の日本がこんな風なのだったら、私は本当に昔の人を羨ましく思う。
車も電気も、贅沢品なんかは充分にはないけれど、人々の心に笑顔があり、他社を受け入れる余裕があり、村全体が穏やかさに満ちている。そこは少なくとも私にとって抜群に居心地がよく、理由などなしにほっと安心できる場所だった。


日本では「スローライフ」という言葉が流行っている。
けれど私たちは生まれたときから「ファーストライフ」の社会にいて、とにかく上を向いて頑張って頑張って頑張り通さなきゃいけないように教え込まれている。確かに「スローライフ」に憧れこそするものの、例えば農業を始めてみたところで余計にアクセクした生活を送らなきゃいけなくなる可能性だって低くない。

まさに「スローライフ」を形に表したようなこの村で、私は初めてその意味を知った。

スローライフとは、きっと心の問題だ。

心を穏やかに、自分や他人を思いやり、余裕をもって毎日を暮らすこと。
そんなゆったりした気持ちになるために、あまりに便利すぎるものは必要ない、もしくはない方がいいのかもしれない。

一度は経験してみるといい。
私はここで、こうして体中で「スローな」喜びを味わえたこと、そのことに感謝したいと思う。



ボルネオ!!

2008-03-17 | ボルネオの旅(-2009年)
その島はマレーシア本島の東側、フィリピンのちょうど南に位置する。
日本の面積の約2倍もある、とても大きな島。

島には3つの国があって、左側がマレーシア、右側がインドネシア、そして左上の海岸に申し分けなさそうにちょこっとブルネイという国が在る。
私が訪れたのはマレーシアのサラワク州。中でも、北部のサバ州に最も近い「Miri(ミリ)」という街を旅先に選んだ。

ボルネオ島といえば、恐らく最も有名なのが「オラウータン」だろう。特にサバ州の国立公園に多く生息している。
「首狩り族」が昔いたことも、ちょっとだけ有名かもしれない。
もしくは「手つかずの森」「未開の土地」「野生動物の宝庫」・・・そんな神秘的かつ謎めいたイメージが一般的かもしれない。


私がこの島を選んだ理由は、そんな自然溢れるイメージと裏腹に、南部のサラワク州から大量の木材が輸出されている、とインターネットで知ったからだ。世界的にも主要な木材輸出国であるマレーシアにおいて、サラワク州からの輸出量が最も多いのだとか。

何なんだ、このギャップは・・・。

更にネットで情報を仕入れていく内に、「プナン人」という言葉を何度も目にするようになった。

「プナン人は自分たちの土地や生活を守るため、木材伐採の道路にバリケードをつくって抵抗を続けている。」
(http://www.jca.apc.org/jatan/trade/malaysia.htm , http://www.kiwi-us.com/~scc/)

情報が少々古いものの、そうやって地道に反対運動をしている民族がサラワク州にいるんだな、と私は思った。その現場の地図を載せていた唯一のページから、最も近い街はMiri(ミリ)なのだと知った。


憧れでもあった “自然溢れる” ボルネオ島へ、インターネット上で知った “問題の” 現場を探しに、私は複雑な心境を抱えて行くことになった。
島のイメージなんてものはない。全く想像ができなかった。一体どんな街並なのか、そもそも街なんてものはあるのか?まさか空港に着いていきなりジャングル、なんてことはないだろうけれど・・・。


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着いた先のMiriという街は、意外にも「ふつう」で小綺麗な街だった。
道路はアスファルトで日本車や韓国車がびゅんびゅん走っている。
建物はコンクリート。中国チックなよく似たものがずらりと並んでいる。
クアラルンプールみたいにイスラム教の布を被った女性は少なく、大抵の人はふつうの洋装をしている。
街路樹の緑が青々としている。空は青くて広い。
道幅が広いせいか、もしくは人ごみがないせいか、街全体がゆったりと穏やかな空気に包まれていた。


そうか、ボルネオ島っていってもフツーなんだな、と私は思った。

それもそのはず、今どき島全体が「未開」なんてことはあり得ない。ましてやここは日本の2倍もある大きな島。華僑が放っておくはずがない。


街の一角にあるドミトリー(安宿)に荷物を置いて、私は早速辺りの散策に出かけた。

街の中心部はアスファルトとコンクリートに街路樹があるくらいの無機質な風景だが、川沿いに行くと、水の上に建っている木造の家や、芝生に建てられた手づくりの小屋みたいな可愛らしい家、それらが集まった小さな集落なんかを垣間みれる。それはとても穏やかな風景で、通りがかりに出くわしたおじさんが「どっから来たんだい?」と気さくに話しかけてくれたりもする。

だけどひとつだけ気になることがあった。
川がひどく茶色いのだ。場所によっては赤いところもある。

「川が濁ってるのはどうしてなの?」

宿に帰って、同じ部屋の Josephに聞いた。彼はサラワク州の別の街で働いているマレー人。休日には一人で国内旅行するのが好きなんだそうだ。

「コーヒー色だったろ?あれは全部伐採のせいだよ。土が大量に流されるんだ。」

「赤いのは?」
「あれは何とかっていう酸の色さ。土の成分が溶け出た自然の色だよ。」

彼は大手オイル会社のシェルで働いているらしく、Bintuluという同じサラワク州内の街で進んでいるアルミニウム精製の一大事業のことや、そこで懸念されている公害問題のことも教えてくれた。

「ほとんどの人は、温暖化とか環境問題にはあまり関心がないと思う。経済のためなら仕方ないと思ってるんだ。それより今は公害問題が大きい。アルミニウム精製が本格的に始まれば海や川が間違いなく汚染されるし、そうじゃなくたって今は皆が車に乗っていて排気ガスを出している。エアコンだって使うし、プラスティックもたくさん使っては捨てている。それらを燃やせば有害な煙が出て酸性雨になるだろう?」


彼は、日本は何でもシステム化するのが上手だからいいね、と言った。日本では木を切ってもちゃんと植える、だけどここでは切りっぱなし。違法伐採だってあるんだよ、と。

「天然資源はいっぱいあるのに、僕たちは裕福にはなれないんだ。結局は政治なんだよ。ボルネオの資源はみんな本島に持っていかれるんだ。ここでの生活に不自由はないし幸せに暮らしてはいるけれど、だけどやっぱり不公平だと思う。テレビや新聞の情報操作だってあるしね。」

だけど政治に関しては、最近ようやく流れが変わりつつあるのだという。つい先日行われた選挙でそれまでの野党が勝ち、今は政治が混乱してはいるけれど、若者がちゃんと考え動いている証拠なんだと彼は誇らしげに言った。


私にとって全くの未知だったボルネオ島にも時代の波は押し寄せ、そして確実に変化が現れている。それは人々の生活に、環境に、心に、そして政治にも。

「意外とフツー」どころじゃない、私たちは同時代に生きている。


熱帯雨林へようこそ

2008-03-17 | ボルネオの旅(-2009年)
クアラルンプールの中心部から車で1~2時間ほどの郊外に、通称 FRIM(フリム)と呼ばれる熱帯雨林の研究機関がある。
友人のアンソニー君が「急遽大切な会議が入った!」と言うのでそのまま着いて来た。

FRIMの広大な敷地には、コースによって30分~3時間かけて歩ける熱帯雨林のトレッキング道がある。スタッフによればその森は原生林ではなくニ次的に(もしくは人工的に)つくられたものらしいのだが、森の様相、例えば樹々の高さや太さ、種類の多さ、草、ツタ類などは原生林を思わせるほどに素晴らしく、「鬱蒼と」している。


森を歩いて数分、あることに気付いた。

やけに騒がしい、のだ。


足を止めると更に四方八方からいろいろな音が聞こえてくる。

  ジィージィー

   ピッピッピッピ

    ザーーーーーーー

      フィ~イッ


そういえば7年前に熱帯雨林の研究に訪れたとき、何より1番驚いたのは次から次へと寄ってくる「虫」の種類だった。ただひとつとして同じ顔ぶれはなく、特に虫好きではない私でも、そのカラフルさと奇妙な姿形に、気持ち悪さを超えてじぃーっと見入ってしまった。

そうだ、熱帯雨林というのは「うるさい」ところなのだ。

様々な虫の音(しかも大きい!)に加え、いろいろな鳥があちらこちらでさえずる。
頭上を覆う巨木たちは風に木の葉を揺らす。
そしてこうした森の音が、そこに棲む生き物の豊かな世界を想像させてくれる。

ちなみに「樹冠」と呼ばれる森の天井は、同じ背丈の樹々がお互いに縄張りを張るように枝を伸ばし合ってつくられ、下から見ればちょうどパッチワークのような綺麗な模様を見ることができる。それは限りある太陽の光をお互いが効率よく分け合う方法であり、同時にその隙間から注がれる木漏れ日を幼木に分け与える方法でもある。
誰が仕向けたわけでもないそうした自然のシステムを、植物は長い年月の中で作り上げてきたのだ。


私は自分を囲んでいる大小の樹々をぐるっと見渡しながら何度も大きく息をした。

ここにどれほどの生き物が潜んでいるのか。
この地下に、どれほどの水が蓄えられているのか。
この一面の緑は、一体どれほどの酸素を放出しているのか。
ここでどれほど多くの生と死が繰り広げられ、それがどれほど長い間続けられてきたのか。

私たちは、たとえどんなに遠くに暮らしていても、必ず熱帯雨林の恩恵を受けて生きている。

あなたがいるから、私がいるー。
自然界で保たれている生き物同士のそんな微妙なバランスは、地球規模で考えても同じこと。
どこかが大きく崩れれば、必ず全体が崩れてしまうのだ。

だから、貴重。
だから、私たちは森を簡単に壊しちゃいけない。


写真を撮りながらゆっくりと歩く私の腕は、既に何十もの蚊に刺された痕で赤く腫れ上がっていた。袖の長いシャツは一応持ってはいたものの、迂闊にも七分袖だったのだ・・・。
次回は長~い袖のシャツを持参しようっと。
心も身体も、もっと緑で満たされるように。

モスクなアジア

2008-03-16 | ボルネオの旅(-2009年)
ここはマレーシアの首都・クアラルンプール。
人口の6割近くがイスラム教徒の国。

空港に降り立てば、頭から黒や白や色とりどりの布をかぶった女性が目立つ。
服は全身ずっぽりと緩いワンピース。これは特にイスラム教徒じゃなくてもマレーシアの正装みたいなものだ。

友人に連れられて行った先は、ピンク色の可愛い大きなモスクだった。
このモスクだけは、イスラム教じゃない観光客でも中に入って見学できるという。

ただし、純真なキリスト教徒である私の友人は
「僕は入れないから外で待ってるよ。」
とのこと。

一人よそよそと中に入り、これまたピンク色の ”観光客用” ムスリム羽織(?)を着る。
ゲートをくぐった先のすぐ左手側にその羽織は用意されてあって、いかにも着回している感じのあまり綺麗とはいえないそれらが、衣紋掛けに無造作にかけられているのだった。

中では本物のイスラム教徒が数人、床に額を押し当てながらお祈りをしている。観光客は境内では自由に動くことができるけれど、祈りの場である建物の中に入ることはできない。
私以外の観光客らしき人たちもまた、物珍しそうに中の様子を観察していた。


アメリカの9.11事件以来、「宗教対立」という言葉が目につくようになった。
特にイスラム教 VS キリスト教。
どちらもが相手を敵視して、その両者は絶対に混じり得ないような、そんなイメージをもってしまう。
日本では、その実情はなかなか分からないし、そうした人達の気持ちや感覚も分かりにくい。

ここマレーシアでは、確かにイスラム教徒が大半ではあるものの、キリスト教徒も仏教徒もヒンドゥー教徒も混ざっている。それぞれがそれぞれの信じるスタイルで、お互いに干渉することなく暮らしているように見える。
街にはモスクもあれば教会もあり、お寺もひっそりと建っている。

こうやって、ひとつの国にいろんな宗教があることの方が、世界的にみれば “フツウ” なんだろう。

ある人は他宗教のことを良く思っていないかもしれない。
けれどある人は、そんなことは全く気にせずに誰とでも友達になれるかもしれない。

私の友人だって、キリスト教徒ではあるけれどこうして快く私をモスクに案内してくれるし、別のイスラム教徒の友達だって、キリスト教のことを悪く言ってなんかいないもの。


日常的に自分とは別の宗教を信じる人と毎日顔を合わせる環境で、「宗教対立」なんて言葉は意味を成さないような気さえする。保守的な人、排他的な人、内心では全く受け入れられない人もたくさんいるだろうけれど、多宗教の日常というのは、少なくとも日本で想像するものより穏やかであることは間違いないと思う。

みんな “フツー” に生きてるんだ。

プランテーションとマーガリン

2008-03-15 | ボルネオの旅(-2009年)
日本を飛び立って約7時間半後、飛行機がマレー半島に近づいてきた頃にその光景は広がる。
目下、一面のプランテーション。

まるで大仏様の頭のように均一な緑色のボコボコか、もしくはこれからそうなろうとしている、まだ露な剥き出しの大地。

プランテーションには2種類ある。
「天然ゴム」か「油ヤシ」。
いずれも濃い緑が生い茂る豊かな森のように見えるけれど、実際にはそれらの樹脂や果実を大量生産する巨大農園だ。元々あった森林を破壊し、例えば50年前日本が山に杉や檜ばかりを植えたように、マレーシアではゴムと油ヤシが広大な大地を埋め尽くしている。

出迎えてくれたマレーシア大学大学院の友達、アンソニー君が言った。

「この辺りは元々森林だったんだけど、今ではこの有り様だよ。空港にまでプランテーションがあるんだ。おかげでマレーシア本島に原生林はほとんど残ってない。熱帯雨林に棲む貴重な動植物や絶滅危惧種が、どんどん減っているんだ。」


7年前、大学生の頃に熱帯雨林の研究のためこの地を訪れた。
熱帯雨林、つまり「森」という場所には、とにかくいろんな種類の樹や草や虫や動物が棲んでいる。そこに足を踏み入れると、驚くほどにうるさい虫の声。サワサワと葉が重なり響く風の音。そのどれひとつもが同じではない。一体どれほどの種類の生物が潜んでいるんだろうと、背筋がゾクッとさえする。

アンソニー君は続けた。

「ゴムと油ヤシの農園は安全だよ。本当に安全だ。だけど製造に関しては分からない。恐らく・・、特にパーム油の製造は環境に相当な影響を与えていると思う。なぜなら油ヤシは大量の化学肥料を必要とするからね。」

森から有用な木材を取り出し、木材供給の機能を失った森を一気にプランテーションに変える。その機能も失った土地が、最後に住宅地に変えられるのだという。

「経済的には、森を農園に変えれば利益が上がる。森はお金に姿を変えることで僕たちの経済を支えていて、そこには大きな価値があるんだ。だけど僕たちは、本来の森がもつ生物学的な価値や多様性の価値にも目を向けなきゃいけない。そこにはたくさんの動物や希少生物、更にはまだ人間に発見されていない生物だっているんだよ。もし僕らがお金の価値しか考えなかったら、それらは全部なくなってしまうんだ。僕らはお金を得ることはできる、でもお金にならない価値は、失えば永遠に取り返せないんだ。」


天然ゴムと油ヤシに関して、マレーシアは世界最大の生産国。
特に日本はそのほとんどをマレーシアから輸入している。
用途は、8割がマーガリン、マヨネーズ、調理用油など。(http://www.jccu.coop/eco/siryo/eco_060531_01.htmより)

全てはギブ&テイクで成り立っている。私たちが毎日お金を出して買い物をするように、日本国も多くのものや資源を他国から輸入し、そして資源を売る側の国々は、常に何かを犠牲にすることで自国の経済を成り立たせている。その代償が、いつか買う側にも訪れるかもしれないことを伏せて。


インターネットの情報によれば、つい3~4年前から「持続可能なパーム油生産」のための組織間での合意がされているらしい。それがどこまで効力をもって機能しているのか私は知らないが、どうか、せめて今在るプランテーションが環境にこれ以上の負荷をかけることなく管理されていくことを望むしかない。

「途上国が、森林の価値をもっと認識すべきなんだ。例えば希少生物が生息する地域は開発を避けるとか、保護と開発をどうバランスつけていくかを真剣に考えるべきだ。先進国は、金を出す代わりに欲しいものを提供しろと言うだけだろ?誰がそれ以上のことを気にかける?・・・そうだね、確かに買う側が商品の背景を知って、場合によっては買うことを検討することも大切かもしれないけどね。」


日本のニュースに上がることはほとんどない、未だに続くプランテーションの拡大。
そのやり方が、国際的にも草の根的にも、とにかくしっかりと監視されていってほしい。

売る側がやるべきことと、買う側がやるべきこと。
とりあえず明日スーパーに行ったら、マーガリンコーナーの前で立ち止まって商品を見比べてみようと思う。