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中高年の健康管理「なぜ忘れられた史上最悪の疫病」

2006年05月02日 | コラム
 インフルエンザを調べていて、奇妙なことに気づいた。一九二三(大正十二)年に首都圏を襲い、死者十万人を出した関東大震災は、どの歴史年表にも記載されているし、いまだに語られているのに、その僅か五年前に発生し、死者四十五万人以上を出したとされている疫病(伝染病・感染症)スペインインフルエンザのことは年表にもなく、まとまった本もないという事実だ。
 そんな折、『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ~人類とウイルスの第一次世界戦争~』(速水融著・藤原書店)という分厚な本が出版されたと聞き、筆者・速水先生と、医学史の第一人者・立川昭二先生にもお会いし、いろいろお話を伺うことができた。
 まず、スペインインフルエンザだが、一九一八(大正七)年から翌年にかけ、奇妙な熱病が流行した。発熱、頭痛、下痢などを起こし、治る人は四日か五日でケロリと全快するのに、悪化して死亡する患者が続出したのだ。やがて、この熱病は流行性感冒と呼ばれるようになる。
 二〇世紀になってから、人類は三回の新型インフルエンザに見舞われているが、世界各地で四千万人とも八千万人ともされている死者を出したスペインインフルエンザが日本を襲ったのだ。
 国内でのその悲惨な状況はこの本に詳しいが、東京や大坂、京都の都市部などでは、棺桶が足りない、火葬場がパンクした、その中、人々は満員電車に乗って神社の護符などを求めて動き回ったため、被害がさらに拡大した。
 その死者数は、国の統計では三十八万五千人となっているが、速水先生が超過死亡なども考えて推計したところ、少なくても四十五万人以上だという。仮に四十五万人だとしても関東大震災による死者の四・五倍に達し、当時の人口(約五千五百万人)で計算すると死亡率は〇・八%に上る史上最悪の疫病ということができる。
 そのスペインインフルエンザがなぜか、歴史に忘れられてしまったのだ。なぜなのだろうか。
 速水先生は、その理由を、当時は激動の時代でインフルエンザの影が薄かった、超有名人が死亡していない(劇作家の島村抱月くらい?)、関東大震災のような物的被害が少なかった、さらに昭和期に入ると日中戦争、太平洋戦争など、もう一桁多い戦死者や犠牲者が出たため、スペインインフルエンザの記憶が薄れてしまった、ことなどを挙げておられた。
 これに対して、立川先生は、もともと日本人は疫病に対して無関心というより不感症なのではないかと、過去、日本を襲った痘瘡(天然痘)、コレラ、梅毒などの例を挙げて説明してくださった。確かに日本人は、地震、水害、台風などの自然災害については(少し)神経質だが、感染症に対しては無関心すぎる。発生が時間の問題だとされる新型インフルエンザを目前にして、この無関心さが被害を大きくしなければいいが。(ヘルシスト編集部)
 


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