アトリエバラ・スタッフのブログ

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失敗

2006年09月07日 16時47分46秒 | 芸術
スーさんです。
前回いやなことを書きましたが、その中で次にブログで書きますといった
失敗について考えて見ましょう。

私が群大の講師時代必ず一時限目の講義のときに下記に述べることを話すことにしていました。
講義
「人は(人間)必ず失敗するものです。」

「かなり極端ですが此処でヒットラーと池田満寿夫という二人の人物の紹介で失敗について考えてみたいと思います。」

さすがに学生はヒットラーについては名前は知っています。池田満寿夫についてはほとんど(全く。学生は医学部で美大ではありませんからね。)知りません。(苦笑)

次に「ヒットラーはどこの国の人ですか?」と聞きます。この授業は十年以上続けましたがヒットラーはドイツ人とすべての学生が答えましたね。

前回のブログで教育方針を取り上げ「ナチの教育方針(ナチズム)」など書いたのはここで紹介する意味もありました。

(アドルフ・ヒトラー Adolf Hitlerドイツの政治家でナチスの指導者Adolf Hitle。オーストリアの生まれ。1919年ナチスに入党し、21年党首、33年政権を掌握した。34年総統となり、独裁的な全体主義体制を確立。対外侵略を強行して第二次世界大戦を引き起こしたが、ベルリン陥落直前に自殺(1889-1945)。HP引用)

そうです。ヒットラーはオーストリアの生まれだったのです。
そして池田満寿夫は。

(1934年、旧満州国奉天市に生れ、終戦に帰国。長野北高校(現・長野高等学校)を卒業。在学中に第1回全学生油絵コンクールで〔アトリエ賞受賞〕。国際的な版画家、画家、彫刻家、陶芸家、芥川賞作家、エッセイスト、浮世絵研究家、脚本家、映画監督など多彩な顔をもつマルチ・アーチスト。1997年3月8日 永眠。HP引用)

人間であるならば有名人に限らなくてもすべての人々が必ず通る道なのですがチョッとした人生の歯車ズレ・ボタンの掛け違いいなどで全く周りの人々を巻き込んで歴史が変わって行く。

その事に此処では触れておきましょう。

何でこんな関係性のない二人の人物を例に挙げ人生の失敗を話すか。
一人は歴史上にきざまれ、永遠に悪とされ続けるアーティスト?(ヒットラー)
又一人は彗星のごとく表れ国際的な版画家、画家、彫刻家、陶芸家、芥川賞作家、エッセイスト、浮世絵研究家、脚本家、映画監督となったアーティスト(池田満寿夫)

二人の共通点は共に芸術の道に志、同じような年頃(十代)に美術会(学校)から簡単に言うと「あ・ん・た駄目」と言われその失敗が大きくその後の二人の人生を変えていったと言うところが大事なことなのです。

初めに美術界では知らない人はいない池田満寿夫から彼の失敗について考えましょう。
彼は(画家、彫刻家をこころざして東京芸術大学を受験するが、三度とも失敗。上京後は夜の盛り場で似顔絵を描いて生活しながら、19歳で初めて自由美術協会に入選。その後、画家・瑛九のすすめで色彩銅版画をはじめ、1957年、第1回東京国際版画ビエンナーレ展に入選。1960年、同展の国際審査員ヴィル・グローマン博士の強力な推薦によって文部大臣賞を受賞して一躍脚光を浴びる。・・・・1997年4月より多摩美術大学版画科教授に就任など制作以外の活動も活発となる予定であった。HP引用)

池田満寿夫忘れもしません私が大学の二年生のころ「版画家で池田満寿夫ってやつが居てすごい作品を作っている」と誰かに言われました。
すぐに池田の作品に出会う事が出来たのです。
以前のブログにも岡本太郎さんに会った18才のときの衝撃を書きましたが約、その二年後に又数枚の版画の作品(チラシかポスター?)を見たときの私のショク・・・(スゲーィ)。

次にヒットラーの失敗を考えて見ましょう。
(オーストリアのドイツとの国境の町、ブラウナウに生まれたヒットラーは画家を目指してウィーンに上京。1903年と1908年の2度にわたり美術アカデミーを受験して、2度とも失敗している。美術家志望の 貧乏受験生のヒットラーは、カールス教会を写生した絵葉書を売って、かろうじて生計を立てていたという。ルマスの作品は、 ヒットラーのウィーンでの貧乏生活ぶりを題材にしたものだ。HP引用 )

そろそろこのブログを読んでおきずきの方もおられると思いますが。

此処で問題です。

二人とも同じ共通の失敗をしておりますね。
池田は東京芸術大学を受験するが、三度とも失敗。ヒットラーは2度にわたり美術アカデミーを受験して、2度とも失敗。

二人の人生はどのように変化し多くの人々に多大なる影響を与えたのか?
尚現在でも与え続けているのか?

この辺で「失敗」というテーマのブログは終了します。
関心をもたれた方は池田満寿夫美術館のホームページもあります。
ヒットラーについても色々学んで見てください。

これは書かなくても良いのでしょうが
私のレジメの考察として一言書きます。

池田満寿夫は東京芸大にストレートで入学していたら人生あんなにもうまくいったのか?
私が昔聞いたのは芸大の彫刻家を二度落ちたと聞いていたのですが、
彫刻家に入学していれば世界の版画家池田満寿夫は存在していなかったと思います。(私の偏見?)

そしてヒットラーもウィーンの美術アカデミーに入学していれば第二次世界大戦は全く違った形になっていたでしょうね。

余談です。
スーさんは最近マイケル・ムーア監督華氏「華氏911」をみました。
かなり流行に遅いですね。(余談です)

もう忘れてましたね・・副大統領のゴアとブッシュが数表の差でブッシュが大統領になったことを。

もしもゴアさんが大統領になっていたら今回のイラク戦争は起きていたでしょうか?
今も尚終わりの見えない戦い。アメリカ兵2500名以上の死者。イラクの一般人の死者40000人を超えるとか。

毎年わが国日本においても自殺者の数が30000人を超え続けている現状。
日本人が戦争に海外に行って毎年30000人戦死者が出ていたらと考えた事ありますか?

余談が長くなりました。

最後に一言今から35年以上前新入社員で私が会社に入った時、上司の訓示のなかに

一度の失敗は知らないんだから仕方がない。
二度目の失敗はお前馬鹿か!と唸られる。
三度同失敗をすれば首。

失敗すると言う事はほとんどの場合誰かしらに少なからず迷惑を掛けている。

そして許される失敗と、決して許されない失敗があることを認識したいものでね。