あろてあろあ日記

単なる日記です。特にテーマもありません。
目的地を定めない旅行もいいものです。

社会

2007-04-03 | Weblog
捜査修習の傍ら,刑務所や警察関係の施設などに見学に行っています。




家庭裁判所の修習のときに,少年刑務所や,少年鑑別所などに行きましたが,成人の刑務所はやはり雰囲気が違います。少年の施設では,職員の方の少年への愛が感じられましたが,成人の刑務所の場合は,受刑者の更生を望みつつも,逃亡の防止等いかに拘禁目的を達成するかに力点が置かれていました。


警察関係の施設(科捜研など)では,鑑定実験(覚せい剤,血液,筆跡など)をしてもらったり,本物の拳銃の弾丸や偽造通貨など見せてもらったりするなど,現場の捜査担当者ならでの興味深い話をうかがうことが出来ました。逮捕勾留されている被疑者の護送・留置の施設も見せていただきました。





裁判だけを見ていると,すべてが法廷にあると錯覚しがちですが,これらの施設で働く人々の存在があって,裁判が成り立っていることを忘れてはなりません。




検察官が最初から捜査する事件もありますが,たいていの事件は警察の人の,地道な捜査がなくては,検察官は裁判にもっていくことはできません。科学捜査研究所の人たちの捜査は,ほんのちょっとの血痕,服の繊維などから取っ掛かりを求めていく,根気の要る作業です。


裁判官が判決を下しても,それを執行する刑務所の職員の人の努力なくしては,裁判は意味を持ちません。裁判官が自分が判決を言い渡した受刑者を,ずっと見ていくわけには行かないのですから。


その他裁判自体も,被告人を護送する刑務官の人や,裁判官や検察官以外の裁判所・検察庁の職員の方々の支えがあって成り立っていることを十分自覚しなくてはなりません。




別に裁判の場に限った話ではありませんが,社会は様々な人で構成されています。


社会の一部に属していると(たとえば裁判官),_自分の属している部分のみに関心が行き,自分が属していないほかの部分への尊敬と配慮を忘れがちになってしまいます。


他人に対する尊敬や配慮を怠っていなければ,何かの機会で,その他人からこちらも尊敬や配慮を受けることができ,それらが繰り返されることにより,社会は成り立っていくのだと思います。


まあ,中には変な人もいるので,必ずしもそんなにうまくいかないのですが,こちらは誠意を尽くして対応し続けることで少しでも関係を良くしていくほかはありません。いつか心を開いてくれることでしょう。






ロースクール対象の修習では,実務修習の期間がかなり短縮されるようで,こういう見学の機会などは減らされていくのかもしれません。


「修習生は裁判・法律のことだけやっていればいい」という意見もありそうですが,僕的には,こういう機会を設け,いろいろ考えさせることも必要だと思っています


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