
昨日からの雨も間もなく上がり、今日は暖かく晴れ渡る予報のあろま藩です。
明日の土曜日も晴れの予報で、更に日曜は気温も16~7℃まであがる見込みですから、
この分なら寒がり揃いの領民たちと、日曜日に予定しているお花見もどうやら楽しくなりそうです。

さぁてそろそろお花見弁当を考えなくちゃ。。。私は何を作ろうかなぁ。
そうだわ、あと歌の練習もしなくちゃ! 何を歌おうかしら、矢張りコーヒールンバかなぁ?
ウ・ウン ウンウン むかしアラブの えらいおぼうさんがぁ~
あらっ、歌ってる場合ぢゃなかったわ。
それでは昨日の続きを。 (^_^;)v

そして優雅に空を泳ぐ鯉のぼりもとっくに降ろされ、そろそろ額が汗ばんでくるころになると、いよいよ
方向性を見失った私たちは遂に完全に行き詰ってしまった。 私は、それは何も音楽に限ったことでは
ないと思っている。 あらゆる全てのことは漸次その奥深さを知り、やがて壁に突き当たる。
毎日あんなに楽しかったはずの練習も辛さが前面に立ち、メンバーの顔から笑顔が消えていった。
この頃、音楽理論では我が校きってのKを、顧問として迎える相談が私の知らない所で進んでいた。
(紛らわしいので以下、日本橋のKちゃんは単にKちゃん、こちらをK-2号と記すことにする)
Kちゃん2号は論理的で、言う事の全てが理にかなっているのだが、穏やかな口調で発せられる正論と
妙に落ち着きはらった眼鏡の向こうからの眼差しを私は生理的に好きになれなかった。
しかし校内にあって彼女は、何事においても与えられた役割を全て完璧に果たしていた実力の持ち主で
あることも紛れもない事実なのだ。
いつからか分らぬが、私とメンバー達との間に少しずつ考え方のずれが生じ始めていることを感じた。
私に言えば反対するのは目に見えていることだから私を除外して相談した結果、Kちゃん2号を迎える
ことにしたのだろうが皆は私の気持ちをまるで理解していない。
私は彼女に限らず誰であれ、顧問やマネージャーなどを加入させることには反対だった。
私たちのバンドはプロのバンドではない。 趣味で楽しむバンドにいちいち他人の力など借りたくない。
各人の努力と、それを結集した皆のパワーで壁を打ち砕いていかなければならないと確信していた。
申し訳なかったが、今思えばそんな私の考えをKちゃん2号ににぶつけていたような気もする。
私たちは練習を終えても日本橋界隈をブラつくことがなくなり、練習の終了と共に各自解散した。
私の心は何だか空しく、また何とも形容しがたい物足りなさに満ち溢れていた。
この時私の頭の中に 「こんな気持ちでバンドを続けるなんて無意味だし、そろそろ潮時かしら。
もう止めようかなぁ?」 という思いが生まれ始めていた。
私は最悪の場合を想定してSちゃんにベースを秘密で特訓した。 バンドを壊したくなかったからだ。
ベース無しでバンドは成立しない。 かといって私たちの回りにバンドにも所属せずひとりでベースを
黙々と練習して楽しんでいる子なんて誰一人としていないことも事実なのだ。
やがて夏休みに入り。。。
みんなが待ちに待っていた、例の資材置き場の練習場での夏季10日間合宿が目前に迫っていた。
無機質な資材置き場にポツンと立てられたプレハブ小屋は、応援して下さるKちゃんの実家の従業員の
皆さんの手により増設され、且つ堅固に様変わりして今では立派な合宿所の感を呈していた。
合宿は私たちメンバー以外にも 『ストラップ・ピン・バンド女子親衛隊員』 の数名が加わり総勢十数名に
膨れ上がって、まがりなりにも楽しい日々を過ごしていた。
夕方になると、かなり大きな中華料理店の娘である某親衛隊員の実家から毎日お料理が届けられて、
私たちは自炊すら必要なかった。
「う~ん、そろそろ中華料理も飽きちゃったわねぇ」
「今度はお寿司屋さんの子を親衛隊員に加えましょうよ。 誰かお寿司屋さんの子知らない?」
「うふっ、たまにはイタリアンなんかも食べたいわよねぇ!」
それぞれ個性が異なる寄り合い所帯なので意見の相違から反目しあうことも時折りあったが、
それでも食べる時は誰もが笑顔と笑い声に溢れた楽しいひと時だった。
そんな合宿中のある日のこと、事の発端は忘れたがほんの些細な事から私とKちゃん2号が口論となり、
後に引かないKちゃん2号に対して私の怒りは頂点に達し、啖呵を切ると同時に彼女に挑みかかった。
気まずい空気が辺りに流れ誰一人として仲裁にすら入れない緊張感がその場を覆い尽くした。
かろうじて日本橋のKちゃんが振り上げた私の拳を抑えてくれたので、何とか殴らずに済みホッとした
ことを今でもハッキリ覚えているが、その後の成り行きの詳細は割愛することにする。
私は最後にひとこと 「バンド止めるね」 とだけみんなに伝え、「ベースはSちゃんに教え込んであるから
私が抜けてもみんなは絶対にこのバンドを続けて欲しい」 との趣旨の言葉を続け、練習場を後にした。
あれ程みんなで大切に育んできたものが、私のお馬鹿な行動により一瞬にして崩れた瞬間だった。
新学期が始まっても私は全く練習場に顔を出さなくなり、抜け殻のような日々を過ごしていた。
それでも私とKちゃんとの友情は変わることなく、ふたりの間ではいつも青春を謳歌していた。
彼女は折に触れては私にバンド復帰を促してくれたが私の気持ちは変わることなく、ことこれに関して
私はついぞ彼女の好意を素直に聞き入れる耳を持たなかった。
秋も深まってきた或る日、私のもとに一本の電話が架かり、これより以後の私の活動が一変する。
電話の主は、女ばかりの三姉妹の私にとって、恰も兄同然である幼馴染みの5級先輩からだった。
「やぁ、あろま元気か? お母さんから聞いたけどお前バンド辞めたんだってな。 チョット出て来いや」
もうこれ以上はお読み下さる皆さま方も飽きて、辟易としてしてくる頃と思いますので一気に書きます。
私は彼が所属するラテンバンド、『ザ・フェニックス』 のベース担当として招かれ、再びバンド活動を
開始することになりました。
彼はそのバンドでベースを担当していましたがそのパートを私に譲り、自らはキーボードを担当する
ことになったのです。
フェニックスでも問題児だった私は色々な問題を引き起こしましたが、その辺りのことはまた改めて。