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あろまだよぅ! (^_^)v

どうってことない毎日をダァラダラと !
Doblogと共に沈んぢゃった、あろまおいる
ドリフターとなって漂流中よ!

ガラガラ神話

2011-04-30 08:00:09 | 思い出



今年も行って参りましたぁ。 根津神社のツツジ見学。 いつ見てもみごとじゃのぅ。
 子供の頃は私はこのツツジ見物が大嫌いだったの。

父方のおじいちゃんに連れてこられてたんだけど、おじいちゃんは見学が終わると神社前にある
母校の日本医科大に立ち寄るのが常だった。





 お仙、すぐに戻ってくるからこのお部屋でチョット待っててね。
なんて言って私を部屋に残して。。。すぐに戻ると言ったのに、なかなか戻ってこないの。
足音が聞こえるたびにそっとドアを開けて確認してもいつだっておじいちゃんぢゃなかったなぁ!




 いつも おじいちゃんとはもぅ二度と一緒にツツジ見物には来ないんだぁ!
って思うんたけど。。。おバカな私はすぐに忘れちゃって毎年一緒に行ってたの。 (^_^;)v





 今回一緒に出掛けた東京支局員のP-なっつにそんな思い出を話したら大笑いされた。
おとなしくいつまでも待ってたなんてあろまチャンらしくないわね。 ですってぇ。
でへへっ、今と違って子供の頃の私はとっても素直だったのよ。 (^_^)v





 今でもあまり変ってないんだけど、私は父方の祖父がチト苦手なの。
他の祖父母みたいに私を甘やかすことなんて昔から皆無で、それは今でも変ってないの。
うふふふっ、なんだかイヤなことを思い出したツツジ見物になってしまったわ。 (^_^;)v

それにしても平日出掛けたにもかかわらず、随分と混雑してたなぁ。
私が出掛ける時は古河庭園も六義園も、その他どこだっていつもガラガラだったのになぁ。

あろまのガラガラ神話崩れたりぃ!



 あれっ、これはもしかしたら。。。あろま警護班がウッカリ入場制限を忘れたのかも?
ダメだなぁ、こんなことぢゃ! SPは大型連休なんて関係ないのよ、プンプン!
警護班の全員集を例の滝野川の秘密基地に連れてって、みっちり鍛え直さなくちゃ。
なぁんちゃってねぇ。 (^_^;)v

オーバラップ

2011-04-11 07:11:19 | 思い出



千鳥が淵も不忍池も桜の名所だっていうのに、高校の頃は桜を愛でるなんてゆとりはなかった。
こうしてゆっくりと美しいサクラを見ながらお堀を巡るとあの頃が甦ってくる。
毎日が楽しくて、体調が悪い日だって決して学校は休まなかったわたくし。 (^_^)v





 もしかしたら。。。千鳥が淵ぢゃなく、不忍池だったような気がするが定かではない。
覚えているのは、まだ小学生だった従弟とその友達から水鉄砲を巻き上げて学校に持って行った事。
そして学校の帰りにはモチロンみんなでボートを乗りに行った。

 うふふっ、もう分かったでしょ?
アヒルボートのみんなは足を使って二人で漕ぎながら逃げまくるけど、それを激しく追う私の前では
子供も同然。 何度も言って恐縮なんだけど。。。私ってボート漕ぎの名手なの。
掌に出来ているボートダコは伊達ぢゃなくってよ! (^_^;)v

どんなに逃げたってすぐに追いついて、水鉄砲でみんなの頭めがけてひたすら撃つ!
とにかく水鉄砲の弾丸は水だし、そしてここは池だから弾が尽きることなど決してない。 (^_^)v

 あろまチャ~ン、お願いだからもう止めてぇ!

 え~ぃあがくでない、往生際の悪い女たちめ。 何がお願いだからよ! 諦めて討ち死にしろ。
ほらぁKチャンもガンガン撃ってぇ!


毎日が楽しくて。。。私はこんな高校生活が未来永劫ずっと続く様にと本気で願っていた。





あらっ、すっかり話しが横道にそれてしまったわ。 
言うまでもなく2枚上の写真は不忍池で、真上の写真が千鳥が淵のボート乗り場。
でも強風が吹き荒れたこの日は、ご覧の通りボートに乗ってる人は皆無だった。





ボート池を横目に更に進むと。。。見えてきたのが旧近衛師団司令部なのよ。
将に春爛漫! 桜の枝越しに見るレンガ建ての瀟洒な建物は桜花にマッチして一段と美しい。
今では国立近代美術館の工芸館となってるんだよぅ。 (^_^)v





建物の前に置かれたオブジェは説明文を見てこなかったから何だか分からないの。





そして、この銅像も写真を写しただけで説明文を読まなかったから誰だか分かりません。
おそらく皇族のどなたかと思うけど。。。私にはわからない。




 なんだかどの写真もピントが甘くてゴメンにょ~! 雰囲気だけ捉えてちょうだいね。 (^_^;)v



遠い記憶

2010-12-20 08:28:58 | 思い出
 いよいよ師走も下旬となり何かと気ぜわしくなってきましたねぇ。
今週のあろま城は大掃除で忙しくなるので、昨日は今年最後の囲碁・将棋大会となりました。
ホントは女子駅伝を見たかったんだけど、呼んでもいないご隠居達が来ちゃったから断念したの。



それにしても将棋は勝てないなぁ! 昨日もまた負けちゃったのでまだ1勝もしてないの。 (^^ゞ
みんなに言いたい放題を許すわけにはいかないから何とかしなくちゃ!
そこで思い出したのが軍人将棋なの。 皆さんは知ってるかなぁ?

とっても変ってる将棋で、駒は裏返して置き、ふたりでは指せないんですよ。
ひとり判定員が必要で三人揃ってやっと遊べるの。
駒は確か黄色とオレンジに分かれてて奪った相手の駒は張ることが出来ません。

 細かいルールはとっくに忘れちゃってるけど、確か。。。
大将は地雷には負けちゃうとか、地雷は動かしてはいけないなどと事細かくルールが決まってます。
確かに一度埋設した地雷が勝手に動くわけないし、どんなに立派な大将だって地雷を踏んだら。。。
って考えていくとなかなか理には適ってます。 (^_^)v


私はまだ小学校に就学する前、今は亡き曾祖父の家でよくこれで遊んだなぁ!
遂ぞ私はこの将棋で負けたことがなくて何度やっても連戦連勝。
お仙は作戦の天才だよ などとおだてられ鼻高々の私でした。

 チョッピリ変った子供だったし、私ってその頃からおだてに弱かったから駒のやり取りの判定書
だって必死で暗記して覚えたし、作戦も曾祖父からあれやこれやとしっかり仕込まれてはいましたが、
対戦相手はモチロンお互いに相手の駒を知らないので、局地戦は判定員の言葉を信じるしかないの。
でも私の時はいつも曾祖父が判定員をやったから、私贔屓の曾祖父は適当に私に勝たせたのかも。
うふふふっ、そうなると私の作戦立案能力はチト眉唾物かもしれないなぁ。 (^_^;)v

 それでもきっと将棋よりは強いと思うので、もしかしたらご隠居達にだって勝てるかもしれないわ。
あの軍人将棋、今ではおじいちゃんの家に置いてあるのかなぁ? あるいは捨てちゃったかしら?
もしおじいちゃんの家に有ったら今回上京した時に貰ってこようっと! (^_^)v





 そして夕方から宴会になったので、そろそろみんなが酔ってくる頃を見計らって。。。
ねぇねぇ、大掃除の手伝いは適当でいいからみんなで庭にブランコを作ってよ!
裏庭の木にこんな感じで作ってくれたら嬉しいなぁ。 どう? なかなか良い感じでしょ。

って美嘉チャンの写真を見せたんだけどみんなただただ大笑い。 (^^ゞ





おいアロマ。 この真冬の寒空の中、ブランコに乗ろうなんて普通は考えないぞ。
どうしてもブランコに乗りたいのなら散歩の途中で児童公園に行って乗れぇ!
 とか
あろまの家の木でおまえの体重を支えられる木はなさそうだし。。。乗ったら必ず枝が折れるぞ!

 などと言いたい放題言われた挙句、却下されてしまいましたぁ。
ムキキキィ、必ず軍人将棋で全員と勝負してみんなをギャフンと言わせるんだぁ! (^_^;)v


でへへっ

2010-10-22 08:20:53 | 思い出
 昨日は久し振りに魚屋さんのお手伝いをしたからなのかしら?

今ではもう学年や職種なんか忘れてしまったけれど。。。
中学生になった私は、とある夏休みに生涯初となるアルバイトを3週間ほどしたのです。
何故か唐突に、そしてしみじみとそんなことを思い出して笑ってしまいました。


アルバイトの最終日。 給料をいただいた私は、何故だか自分の為に何か買うという意識がなく
とりあえず父の職場に電話して、日比谷で落ち合うことにした。
父うえぇ、私アルバイトのお給料いただいたから今晩何かご馳走しますねぇ。 (^_^)v

父は何でも構わないから、私の食べたい物を食べに行こうと言ったような気がする。
私は迷うことなく大好きなお寿司に決めたが、もちろん中学生の私に顔が利くお店などないので
お店の選定は父上にお願いしたのだと思う。

 父うぇ~、お好きなものを沢山食べてくださいねぇ。 あっ、ビールはぁ?
日ごろ一滴もお酒を嗜まない父が、この時ビールを注文したことは鮮明に覚えている。
今日は私が父上にご馳走するんですよぅ! お店に人に自慢げに話したことも覚えている。 (^_^)v

 長くなるので食事風景は割愛するが、私はお勘定を聞いてビックリした。
飲食代は私のいただいたお給料などではまるで足りなかったのだ。
足りない分は父上に借りようと思ったが、「それは大切にして自分の欲しい物を買いなさい」と言い
全額父上が支払ってくれた。


結局私はお給料の中から母上と妹たちにケーキをお土産として買った。
父上はケーキの代金も支払ってくれようとしたが、それには私は一歩も引かず断固拒否した。

 帰りの車の中で、もちろん父上に、お金が足りなかったことはみんなに黙っててくださいねぇ。
との一言を決して言い忘れはしなかった。


 だってぇ、あまりにもカッコ悪いんですもの! (^_^;)v


仲善是即美哉

2010-10-18 08:57:43 | 思い出
 母方の祖父の話を書いたついでにもうひとつ。
母はこの祖父母の間に生まれた2男5女の総領で、性格は頗る祖父に似ている。
また私のこのBlogに時々登場する母の次弟の竹チャンと、そして私も祖父に似た性格といわれている。

祖母は39歳で私の 『おばぁちゃん』 になったツワモノだが、性格は多分に内弁慶なのだ。
長弟と母上の4人の妹達は真面目で几帳面だが矢張り内弁慶なので祖母に似たのだと思う。

今でこそ祖父母共に70歳を超え、外出の機会が随分と少なくなったが、つい5~6年くらい前までは
二人で連れ立って毎週のように外食に出掛けていたのだが、これが実に面白い。
毎回交代でご馳走しあうのだが、祖母の奢りの週は祖母の意見もあまり意に介せず。。。

 やれ「かあさん今回は浅草ですき焼きだ」の否、「日本橋で天ぷらを食べよう!」
などと実に手回し良くお店の選定と予約を。 しかもタクシーの手配まで万端自らこなす。
祖母はあまり我を張るタイプではないし、後ろからついて行く方が楽そうな性格のようなので、
これはこれで良いことだと思うのだが。。。問題は祖父の奢りの番の時に起きる。

多趣味の祖父はお小遣いの大半を趣味に費やしてしまうので、いつだってロクにお金を持っていない。
ところが臆面なく「かぁさん、今週はオレの番だったな。 今日出掛けるから夕方までに支度しとけよ」
などと男っぽいことこの上ないのだが、タクシーなど手配したことはない。

 お昼前から出掛ける時は決まってバスで区役所まで行って、区役所の食堂で大きな顔をして
「遠慮はいらないから何でも好きなものを選びなさい」って言ってたそうです。
夕方から出掛ける時は 「たまには少し無理してでも歩かないと足が弱るよ」 などと優しさに満ち溢れ
お祭り同好会の仲間とよく行く居酒屋や場末の中華食堂などに案内する始末なのだ。


 おばあちゃんは何時だって帰って来るやいなや 「汚ならしいラーメン屋に連れていかれた」 などと
嘆くのだが。。。おじいちゃんがその日のデートに使ったお金以上のお金をそっと手渡していたことを
私は知っている。

 母上を先頭に5人の娘たちにより祖父は、祖母をもっといたわるようにと締め上げられているが、
当人たちがそれで楽しく毎週出掛けているのだからそれで良い。
私は祖父を締め上げる会には今までも、そして今後も参加する積りはない。


 但しこれに関しては、決して私が所謂もの分かりの良い女というわけではなく。。。
娘という立場と、孫という立場の違いからくるものだと確信している。
なにはともあれ。。。仲良きこと、これ即ち美しきかなぁ。 ってところかしら? (^_^;)v


投石事件の日

2010-10-14 09:00:01 | 思い出
 アユの塩焼きは美味しいなぁ。 でも今年のアユ釣りもすでに禁漁になっちゃいましたねぇ。






上の写真は友達みんなで鬼怒川温泉に出かけたときには必ず立ち寄る龍王峡のお休み処です。
私はいつもここでアユをいただきます。 焼き手は私のBlogには何度も登場してるキンチャンよ。
こんな処で食べるアユの塩焼きは特に美味しく感じるんですよねぇ、私だ~ぃ好き! (^_^)v

 うふふっ、またまた前振りが長くなりそうだからそろそろ本題に入ろうっと。

私がまだ幼稚園児だった頃のこと、祖父と私の間にアユ釣りに纏わるほろ苦い思い出があり、
既にその話は書いた覚えがあるのだが、何故かどこにも見当たらないので改めて書くことにした。





 母方の祖父は実に多趣味なのだが、その中でもとりわけ魚釣りが好きな様相を呈していた。
就学前の私は5歳年上の叔母と共に時折、祖父の釣行などもお伴をしたものだった。
当時私は魚釣りなど興味があった訳ではないから、記憶にはないが恐らく出先で叔母と共にいただく
美味しい食べ物や、初めて訪れる地の見慣れぬ美しい風景目当てのお供だったのかと思う。

或る時、祖父が確か伊豆の狩野川にアユ釣りに出掛けると言い、当然のように私も行くことにしたが
この時は生憎と平日だったため、既に小学校に就学していた叔母は同行することが出来なかった。
当然のことながら、私も取りやめるようにとみんなから何度も説得されたが、私は頑として聞き入れず
結局祖父とふたりで出掛けることになった。

いつもなら祖父が魚を釣っている間、叔母と一緒に遊んでいるので退屈することなどなかったが、
この時は私ひとりなので暫くすると退屈してしまった。
しかも水難事故や迷子になることを懸念した祖母の提案で、私のお腹は長い紐で縛られ、その端は
祖父のベルトにしっかりと結ばれているから、私の行動範囲も自ずと限られてしまう。 (^_^;)v


 ねぇ、おじいちゃん もう帰りましょ!

 なんだお仙、もう飽きちゃったのかい。 でもまだ来たばかりだからもう少しね。

暫くひとりで遊んでいたが、当然飽きてしまって再び、 ねぇ、おじいちゃん もう帰りましょうよ。
こんなやり取りが何度かあった後も、のらりくらりと私をかわしながら釣りに没頭する祖父に対し
 私はついに耐えきれなくなり、握り拳ほどの大きさの石を河原から拾い上げ、祖父の鮎竿の
竿先目がけて おじいちゃんのバカァ~~! と思い切り投げつけた。


 その後のことははっきりとは覚えていない。。。。ってことにしておこうっと! 
でも、確か叱られなかったような気がする。 私ったら、こんな子供のころから悪い子だったんだわぁ。
うふふふっ、今でもたいして変わってないのよねぇ。 遅ればせながら、おじいちゃ~ん、ゴメンにょ。


 叔母と一緒に祖父のお供をして出掛けた時は、家に戻るとその日の出来事を家の者たちに
あれこれと話してはみんなで盛り上がるのが常だったが。。。
この日ばかりは祖父の口からも私の口からも、この投石事件の顛末はいっさい出なかった。 (^_^;)v


ロコまでも。。。

2009-12-24 09:55:15 | 思い出
数年前のことですが、私はプラスティックでなく生木のツリーを作りました。
もみの木ではありませんが、春先に行った植木市で見つけた苗木は将にツリーに最適そう。
庭には植えず9ヶ月かけて、鉢植えでツリーの形に剪定してクリスマスを待ってたの。

 ヒデが見たらきっと「おぉ、クリスマスツリーだぁ 行くぞぅ!」なんて興奮しちゃって
まっしぐらに突進して壊すことは当然予想がついたから、居間には入れないよう隔離して
安心していたんだけど。。。とんだ手違いが発生しました。

せっかく飾り付けたオーナメントをロコとマッキーが外しまくってたんです。
上の方のオーナメントには飛びついたり、挙句には木に登ろうとまでする始末!
まさかロコがそんなことするとは夢にも思っていなかった私はただただビックリ (=^・^=)v
飾りは付け直せばいいけど、枝を折って木を傷めると困るのであえなくツリーは寝室に移動。

クリスマスも過ぎ、新しい年まで後三日に迫ったときにこの木は狭い植木鉢の生活を終え、
庭で伸び伸びとした生活が始まりました。
この年を期にクリスマスツリーが我が家に飾られることはなくなってしまったのです。

我が家からクリスマスツリーは消えてしまったけど。。。今日くらいはせめてニャンコたちに
私からささやかなプレゼントを送るんだぁ! みんなの大好物のコレでなんです。
私とはいつだって阿吽の呼吸の魚屋さんのおばさんが、タブン原価以下と思われる太っ腹な
女っぷりで私の気持ちを察知してわけて下さったマグロです。




サンタクロースの飾りは興味がないと思うけど、久し振りのマグロはみんな喜ぶだろうなぁ!
みっつ買っておいたから、各自ひと作づつの大盤振る舞いのクリスマスイブを迎えます。

雪も上がって10℃近い暖かさが戻ってきたのでニャンコたちにも元気が戻ってきました。
穏やかな冬の日差しの中、賑やかな今朝のあろま城であります。 (^_^)v

クリスマスの思い出

2009-12-23 10:24:07 | 思い出
 年末の大掃除も何とか片付いたし、カラスの行水の私にしては珍しくの~んびりと
柚子湯を楽しんだから、これで体の脂も少しは抜けたかもしれないなぁ。 (^^ゞ
あとは年賀状を書くばかりなんだけど、これがなかなか大仕事なんですよねぇ。
今年は手を抜いてぜ~んぶ同じ絵柄にしちゃおうかしら。




先ずはここ暫くプリンターを使ってなかったから、プリンターのコンディションチェックを兼ねて
いつも親しく接してくださる皆さまにクリスマスカードを書きました。

日本の年賀状はまるで元旦に書いたかのような文面で、お届も元旦だけど。。。
アメリカでは12月の初旬に送ります。 当然届くのはその数日後なの。
届いたカードは皆さんマントルピースの上に立ててクリスマスまで飾っておくんですよ。

 それと、クリスマスプレゼントも日本のようにクリスマスの当日まで隠しとかないで
部屋に飾ったクリスマスツリーの下に置いておきます。
私のお友達の家では特に高価なものよりは、小物を事あるごとに買ったり作ったりして
送る相手の名前を書いて矢張りツリーの下に置いてました。

だからクリスマスが近づくにつれてツリーの下はギフトで満ち溢れてます。
これってつい開けたい衝動に駆りたてられるんだけど、もちろん開けちゃダメなのよ。

 クリスマスを寂しく学生寮で過ごすのは気の毒だってあちらこちらから招かれたけど
どの家庭も版でついたように七面鳥料理だったの。
2~3軒回るともぅ食べ飽きちゃって。。。優しい気持ちには大感謝だけど、辛かったぁ。


 ギフトは送らなかったけど、今年も今月の頭にクラスメイト達にカードだけは送りました。
来年こそは頑張ってカードと共に何か小さなギフトを送りたいなぁ。 (^_^)v

凧上げ

2009-12-21 09:16:28 | 思い出
 いよいよ今年も残りが10日ほどになってしまったわ。
今週中には年賀状書きも、それに大掃除も終わらせなきゃ! まぁ少しづつ片づけてたから
あとは窓磨きと換気扇の油落としだわ。。。うふっ、ついでに私の脂も落とそうっと! (^_^;)v


 実は東京支局員のP-なっつが苦手な寒さの中、頑張っていろいろ出掛けてくれてたの。
私のPCのモデムが壊れちゃってたから折角送ってくれたのに、それすらも気付かなかった。
ゴメンねぇ、ちょっと時期がずれちゃったけど折角の好意だから今日載せることにしたよ。





先ずは世田谷のボロ市
私が一番欲しいのは本物の甲冑なんだけど。。。去年出掛けた時に値段を聞いたら高いの。
あれぢゃ当分購入は無理だわね。 そして、次に欲しいのは洒落た蕎麦猪口なのよ。
P-なっつが送ってくれたこの写真を見てたらますます欲しくなりました。
うん、来年こそはとびっきりの一品を探しに行くんだぁ!





それと浅草寺の境内での羽子板市の写真も送られてきてました。
子供のころ祖父母に連れられて毎年出掛けていたし、羽子板も毎年買ってもらってた。
でも私は可愛い羽子板よりも、勇ましい武者絵の大凧の方が断然好きだった! (^_^)v


毎年1月の2日が新年会で、祖父母の家に一族が集ったけど凧上げで敵わなかったのは
おじさんだけだった。
いつも 「お仙ちゃんも早く着物を着てみんなと一緒に羽つきしましょ」 って言われたけど
私はいつだって凧上げに夢中で羽つきなどは眼中になかったなぁ。 (^_^;)v 

餅菓子と水菓子

2009-07-02 09:49:44 | 思い出
先日ヒョッコリやって来た女子高時代のクラスメイトのお土産の笹団子を食べながら
私は幼かった日々の記憶が甦りひとり笑っていた。



今では買ってまで食べることは滅多になくなってしまった甘いものだが、
子供のころはけっこう好きだった。
特に好きだったのが豆大福わらび餅、そしてずんだ餅
ケーキなどの洋菓子は、あれば食べる程度で大好きとは程遠かった様な気がする。

昼過ぎに幼稚園から戻ってくると早速 「母上ぇ、今日のおやつはなぁに?」と聞く日々。
そのころの私は餅菓子水菓子の区別がつかなかった。
母上もそれを承知なのに具体的な名は言わず「今日は水菓子よ」などと言うだけだった。

何でも自分に都合良く考える私は、勝手に餅菓子と思いこみ。。。
「わぁ 今日はなんだろう、マメ大福かしらぁ?」などと勝手に想像をふくらませては
ガッカリするのが常だった。 特に「今日は柿よ」などと言われるとイヤだった。
柿やイチジクは自分で木に登って採ってくるのだが、面倒だしホントにガッカリ!

それに加えて私は柿やバナナなどの水分が少ない果実はあまり好まなかった。
それは今でも変わらず、スイカやナシなどかぶりつくと果汁が滴り落ちる果物が好きだ。

 それにしても。。。母上はどうして具体的におやつの名前を言わずに
私を惑わすような言い方をしたのかなぁ?
次回のお江戸行きの時にでも聞いてみようっと!
うふふふっ、はたして母上はどんな顔をするか楽しみだなぁ。 (^_^;)v