何事に関しても飽きやすい性格の私に長続きしたものは少ない。
そんな中で比較的長続きしているものが一つある。 それは高校一年生の時に始めたバンドだ。
小学生の高学年で初めてギターを手にしたが、中学では陸上部で長距離選手として明け暮れていて
バンドを結成するなどという考えは毛頭なかった。
(中学1年生の頃の写真だったと思います。 当時私は陸上部員だったので、練習後
シャワーを浴びてもすぐに髪が乾きやすいように、今では信じられないほど短かったのよ) (^^ゞ
やがて高校に進学。 私の高校ではライブハウス等で聞く子はたくさんいたが自分でロックバンドを
結成してまでやってみようとする子は少なかった。
そんな中で、日本橋の大親友Kちゃん(あろまと同じで男気性)と二人してバンドを結成する事にした。
先ずはメンバー集め。。。これが大仕事だった。 そもそも聴くだけでやりたがらない子の多い我が校で
しかも粗暴だった私たちふたりと一緒にバンドを結成しようなんて子は皆無に近かった。
それでも何とか私たちの子分のYちゃんとMちゃんを脅して無理やり引き入れることに成功した。
花形のギターは彼女達ふたりに譲って地味なベースを私が、練習がし難いドラム (とにかくドラムは
音が大きい)をKちゃんが担当する事で難航すると思われた各パートはあっさりと決まった。
Kちゃんの実家は土木業を生業としていたので、都内から離れた人気が無い場所に資材置き場があり
心優しい従業員の兄さんのひとりが毎日そこまで私たちを車で送迎してくれた。
他の従業員の皆さんも何かと協力して下さり現場から引き上げて不要になったプレハブを組み立てて
くれたり、古いエンジン発電機を私たちに下さった。
資材置き場には電気が来ていなかったので心配していたが、これでアンプに関してもクリアーできた。
これだけのご協力をいただいたのだからもう絶対に後には引く訳にはいかない。
私は先ず 『バンド不脱退宣言書』 を作成して皆に署名させた。 (後日私が最初に抜けることとなる)
楽器は異なっても私以外は、皆それぞれに子供の頃からバイオリン、ピアノなどを本格的に習って
いたので上達するスピードは私の予想をはるかに超えてた。
コピーから始めたが段々物足りなくなり、自分たちのオリジナル曲を作りたいとメンバーの誰もが考え
実行に移したがこればかりは私の独壇場だった。 決して他のメンバーが劣っていたのではない。
授業中は楽器を使えないから頭の中で譜を考える訳だが、もともと授業中は常にボーっとしていた
私だけは遠い視線で頬杖をついて、メロディーを考えていても先生に注意を受けなかったからなのだ。
そんな恩典をしっかり享受し、やがてレパートリーにオリジナル曲も2曲3曲と加わることとなった。
徐々にではあるが、腕をあげていった私たちのバンド 『ヴィーナス』 は 『ストラップ・ピン・バンド』 と
その名を変えて、小さなイベントやライブハウスもどきのところに時折出演するようになった。
本当に楽しい日々だった。 みんなギャラなど度外視。 時には食事がギャラ代わりのことすらあった。
息の合った四人で演奏出来る、ただそれだけでメンバーの誰も場大満足。
本当はエンディングに入る場合でも観客が楽しそうに踊っていれば、ドラムのKちゃんに目で合図。
彼女はニッコリ頷いて叩き方を変えるから、ギターの二人は事前に打ち合わせてある盛りあがった
場合のリピートをすぐ理解してもうワンコーラスと巧く繋ぐ。
しかしこんな四人の楽しいバンドの平穏も、私にとっては長く続かなかった。
私たち四人はあまり歌が上手くなかったので、相談のうえ専属のボーカルを加えることになった。
反対者は私ひとり。 メンバーの増員はそれ自体は別段目くじらを立てることではないのだが、
新しく加わる二人、SちゃんとNちゃん。
私はこのふたりと何故か気が合わない。 常に何かに付けては対立するのだが、その遠因は二人が
揃いも揃って「とっても美人だったからなのかしら?」 と、今でも思い出して笑ってしまうことがある。
そして遂に私が一番恐れていた事態が二年生の夏休みに現実とななるのだが、もちろんこの時点では
そんな事態が私を待ちうけているとはまだ予想だにしていなかった。