:Aqua mode planning:

nonfiction in fiction

「妄♂想♀L♀O♀O♀O♀O♀P♀!!!!!」#001【2012.11.23】再始動。by:松本隆志

2012-11-24 15:11:55 | 【04】妄♂想♀L♀O♀O♀O♀O♀P♀!!!!!
松本です。

:Aqua mode planning:としての活動が途絶えたままだったので、このブログで日記を書くのは5年振りになります。

新たな意気込みで挑むべく、団体名の改称と共に別ブログの立ち上げも考えていたのですが、結局は「再始動」という形に落ち着けました。初心に立ち返る事も時には必要だけど、その度に過去を白紙に戻していては先に進めない。過去から続く次の一歩の為の活動でありたいと思ったから、再始動を選びました。

そもそもの動き出しは再始動の為ではなく、都合が良かったと言うほうが正しいです。

自分はMrs.fictions所属と共に、現住する千葉県柏市にて柏市民劇場CoTiK代表職に就いています。個人ブログで触れる事がありますが、千葉県柏市は演劇文化の発達した地では決してありません。
何よりも愛して生業としていたい分野が、自身の生活圏内での灯火を終えようとしている。それを横目にしていられないという気持ちと、今までに出会って演劇の世界にいる自分を生かしてくれた人々への感謝を還元する意識で代表を続けています。

上演の為に今回参加したイベントは「柏市民活動フリーマーケットぽかぽか市」というもの。

柏駅東口に、平たく言えば市役所の分館である柏市民活動センターがあり、そこに登録をしている市民団体が参加。CoTiKも旗揚げ当初から登録してお世話になっています。このイベントの中にパフォーマンス枠がある為、今回の上演に至りました。ただ、CoTiK名義の登録なので、本来であればCoTiKそのものが上演を行うのが通常の在り方。
今年のCoTiKは旗揚げ5周年という事で、公演・イベント・ワークショップなど毎月企画を継続中。流れからすればこのぽかぽか市に参加しても良かったのですが、間を置かずに演目創作を続けて不充分な準備のままで披露するのを良しとする訳にはいかず。

とはいえ、往来の多い駅前の歩行者天国で開催される行政イベントに演劇の参加がないのは痛手。

他に演劇団体の参加は皆無なので、市民にも行政にも「柏市に演劇がある」というアピールが出来なくなる。この状態では演劇を初めとした文化振興への意識が下がる一方。下がるならまだしも、そもそも意識自体が存在しないのが現状でしょう。現に事業仕分けで芸術文化は死ねと言わんばかりの仕分けられっぷりがありましたが、それを知る人が世にどれだけいる事か。


不況という言葉自体に臆病になって目の前の生活を如何に潤すかが命題になってしまって、心の豊かさを得る為の娯楽を不要なものと位置付けているのが今の日本。
他の国は日本より収入が少なく生活水準が下であっても、如何に有意義な人生を全うするかの意識の中に絵画や音楽や演劇を楽しむ文化があります。適度に働いて、個人としての時間も大切にしているのです。それこそイギリスを手本にした日本の議会が、シェイクスピアが大きく功労してイギリスで発展した演劇を殺そうとしているのは何という皮肉。

これは自分が普段よく言っている話なのですが、日本人はちょっとずれた感覚で勤勉になりすぎた気がします。戦後の復興の為に一生懸命に働いた方々は、確実にその一役を買った戦士達。高度経済成長は確実に彼らのお陰。
しかしいつまでも同じ水準で成長出来る訳もなく、なのにその後にも残ってしまったのが「でもまだたくさん働くべきなんだ」の意思。その中で生まれた流れを端的に言えば「真面目にたくさん働くのが立派な社会人→忙しいほうが偉い→過労死」。

結果、現在では精神疾患を煩う人々が爆発的に増えています。年間自殺者が3万人超。30代までの死因第一位が男女共に自殺。こんな国、地球上に日本しかないんです。自殺の理由は様々だから一概に括れないけど、生きられない理由が「この社会で生活出来ない」という割合はかつてよりも増えている気がしてなりません。
他、行旅死亡人が年間3万5000人以上。行旅死亡人とは「葬るべき人が特定出来ず行政によって火葬された末、無縁仏となった故人」。つまりホームレスの逝去や、孤立死して身内と連絡が取れなかった人々。相手に迷惑を掛けたくないとか自分が恥ずかしいとか他人と関わりたくないとか、誰にも助けを求められずに亡くなるのが行旅死亡人。世間体やプライドが強迫観念になってしまった国が、今の日本だと自分は思っています。

演劇の世界に足を踏み入れた第一歩は、自分がやりたいからという個人的欲求からでしたが、これまで続ける中で自分の人生や社会や演劇について考えを散々と巡らせました。その中で、創作の段階でも披露の段階でも他人とひたすらに遣り取りを重ねて完成させていく芸術である演劇への可能性を、何度となく再確認する機会を得たのです。
仲間と稽古をして本番中も共に結実させて、それをお客様に届ける。それはきっと他の芸術も同じ。表現であるからには一方的に発散するだけではなく、相手にどう受け取らせるかの意思表示があってこそ。それこそが遣り取りであり、分かり合いであり、時には反発。どれにせよ、双方向の人間同士の遣り取り。

この文化をなくしたほうが良い理由は何処にもない。ある程度の素養がないと観方や学び方が分からないなどと言われる事もありますが、人間が何をするのかを見るのが演劇の基本。人間社会に生きているのだから、誰だって人間の行動は絶えず目にしているのです。演劇は対話と同じくらいのもの。物語性とか作品構造とかを見抜く為の娯楽だと思うから難しくなってしまうのであって、観た本人が自身で何を思ったか感じてくれればそれで充分に届く芸術なのです。

それと同時に、こう記す自分だって人の演目を観て「いや、それにしてもアイツのは物語が出来てないし、作品構造もあったもんじゃねーわ。くそつまんねぇ」って思う時だって勿論ありますよ。演劇をやっている人間を全肯定して欲しいなんて気持ちではないです。
演劇の在り方、創作した物が他者へ与える影響について、それどころか自身が行う小さな輪の中以外を一切知ろうともせずに『うへへー、自分さえ楽しければいいじゃん。我々がやっている事を理解出来ないのはセンスが合わない残念な奴らだぜー』って感じの人もいますから。これもまた演劇という分野に限った事ではないのでしょうが。

どうか皆さんがより良い作品や表現者と幸せな出会いを果たしてくださる事を切に願います。


脱線したかもしれませんが、大切な脱線だったのでご容赦を。
以下、何故:Aqua mode planning:でぽかぽか市に参加したのかの続き。

イベントに参加して目立つ場所で演劇が行われているのを、道行く人々に観て頂く。この時点でまず『あ、この街では演劇をやる団体がいるんだ』と知ってもらえる。
そしてこの様子は、後に市民活動センターが編集する広報誌に写真付きで掲載される。これに載るという事は行政イベントの中で演劇が上演された証明。千葉県柏市が演劇を認めているという事。どれだけの人が目を通すかは分からずとも、自分達の近隣に主観的に発信しているだけより、客観的な記事でより遠い人々の目に届く可能性がある。このチャンスをみすみす逃す訳には行かなかったのです。

しかしながらCoTiKで参加するには創作時間が足りず。無理矢理スケジュールを組めば不可能ではないものの、その遣り方に巻き込んで団員の市民生活に支障を与えたら、それはもう市民劇場の域を超えてしまっている。この企画の為に学校や会社を休ませて社会活動にマイナスを出してしまっては、それこそ社会的に相容れない文化になってしまいます。

尚且つCoTiKで行うには作風としての限界も感じていました。路上でのパフォーマンスとなれば、何かをしているらしいと遠目にも分かって気に掛けてもらえる様に、発声も動きも大きめにしたほうがいい。ちょっとした小道具を使って目立つ手法もあったけど、純粋に人間の肉体だけで街のド真ん中で演劇をしたかった。
そうなると普段はその人間力が魅力の高年齢層にも若年齢層にも負担が大きすぎる。肉体的に問題なくても普段と違う作風がタイプ的に合わない人もいる。何より、人の往来の中で上演するからにはどんなハプニングがあるかも分からない。そんな環境に団員を誘い込むのは代表として自分の中でNGだった。

だったらいっそ自分で誘いたい人々に声を掛けて、尚且つ市民劇場の代表を兼任する演出家ではなく、作り手として作りたいものをリスク覚悟で作ってみようとなったのが再始動の切っ掛け。この時点で、10月初頭でした。

:Aqua mode planning:をこれから新たに柏市民活動センターの登録団体にすれば新規の扱いになってしまうし、後にCoTiKとの使い分けが面倒になる。
その為、今回に関してはCoTiKで応募して参加枠を確保した上で、CoTiKが招致した団体の扱いで:Aqua mode planning:にて上演。

つまりは「柏市民劇場CoTiK Presents :Aqua mode planning:」が今回の厳密な参加団体名義でした。


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