ゆっくりと世界が沈む水辺で

きしの字間漫遊記。読んでも読んでも、まだ読みたい。

レベッカ・ブラウン【私たちがやったこと】

2006-10-24 | and others
 
『体の贈り物』の印象がよかったので、続けて同じ著者の作品を読んでみた。
それが『私たちがやったこと』。
簡潔な文章の印象は変わらないのだが、どうも私には不向きの短篇集だったようだ。
そもそも『幻想的な愛の小説集』となっているところで、本当は気がつくべきところだったのかもしれないが、その時はたまにはいいかとおもったのだ。

私たちがやったこと 私たちがやったこと

 著者:レベッカ ブラウン(Rebecca Brown)
 訳者:柴田 元幸
 発行:マガジンハウス

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表題作『私たちがやったこと』には、音楽家と画家が登場する。
『私』はどうやら画家で女性らしい。
『あなた』はピアニストで男性のよう。
ピアニストは画家の耳を焼き、画家はピアニストの眼を潰した。
ピアニストは画家の耳となり、画家はピアニストの眼となる。
2人は、お互いの失った器官の代わりとなり、寄り添って暮らしている。
聴力を失ったこと、視覚を失ったことを周囲に隠し続けている2人。
そこには濃密な関係があるけれど、綻びが生じるのも当然だろう。
唐突な印象のある結末は他者によってもたらされたものであるが、早晩、彼ら自身の手で引き起こされたのではないかとも思う。
それとも、彼らは2人の間だけで通じる信号をまた新たに作り出すことができていたのか。

他の作品も同様に、『私』と『あなた』の間で起こる感情の動き、出来事が描かれる。

馬を疾駆させるカウ・ガールと『私』。
ナポレオンを殺したがっている『私』とナポレオンは誰なのか探っている『あなた』。
新婚旅行に来たはずの『私』と旅行先に友人を招待して映画をみせている『あなた』。
ギャラリーで作品を壊していく『私』。

シンプルな文体で重苦しくもないのに、読んでいてどんどんつらくなってくるのは、性別すらも曖昧な『あなた』と『私』の関係は求めても満たされることがなく、満たされることはないと彼ら自身も知っているようだからか。
それとも単に合わないだけか。

もし、作者が野球のピッチャーだとしたら、それを読む私はキャッチャーということだろう。
けれど、私はキャッチャーミットこそ手にはめてはいるけれども、一塁ベースのところで眺めているようなものだった気がする。
そこから遠目で、速球みたいだなとか、変化球だなと、思っているような。
ピッチャーがボールを投げている先に行くことすらできていないような、そんな感じ。

帯は作家の小川洋子さん。
『静かな言葉の連なりが、愛する二人を閉じ込めてゆく。
 触れただけでひび割れるガラスの中に、暗やみが満ちてくる。
 レベッカ・ブラウンにしか書けない、究極の恋愛小説。』




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