「映画、観たなぁ、テレビでだけど」と思って手にした1冊。
表紙はその一場面。懐かしいような、懐かしくないような。観たときの「いいなあ」と思った記憶しかもう残っていなくて。。
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バベットの晩餐会
著者:イサク ディーネセン
訳者:桝田 啓介
発行:筑摩書房
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ノルウェーのフィヨルド、その山麓の小さな村が舞台です。
敬虔な牧師を父として生まれ育った老姉妹の元にやってきたのは、革命の嵐やまぬパリから逃げてきたひとりの女性、バベット。
彼女が家政婦として住むようになってやがて14年が経ち、彼女なしでの生活など考えることもできないほどにもなった頃、バベットは老姉妹の父の生誕100年の祝いの食卓のすべてを自分に任せてほしいと申し出ます。
奇跡のような一夜をめぐる物語。
その奇跡をつくりあげたものは何か。
おいしい料理は人を幸せにする。
確かに。
それが芸術家の域に達した料理人であるバベットさんの手になるものであればなお一層ではありましょう。
映画では食卓の幸せそうな雰囲気が印象的だった…ような気がします。
が、この作品でガツンとくるのは何よりもバベットさんの存在感です。
優れた芸術家としての誇り高さ。
客のために料理人がいるのではなく料理人のために客がいるのだという、まるで世界を睥睨するかのような確信のあまりのかっこよさにクラクラしそうです。
けれども、その確信のゆるぎなさをもってしても着座する者のない食卓の空虚さを埋めることはできないという悲しさ。
世界はバベットさんの秘めた悲しみをパリから遠く離れた山村で包み込み、一夜の奇跡をもって報います。
その奇跡ですら、おそらくはバベットさんを心から満足させることができないであろうことが芸術家の業を思わせ、設定には喜劇的な雰囲気すらあるというのに、読後にはなんともいえないせつなさが漂います。
この本にはもう1作収められています。
著者の遺作となったという『エーレンガート』。
あるところの王子様とお姫様が結婚したことから始まる顛末を描いたこの作品は、なんとはなしにおとぎ話風。
世慣れた宮廷画家が、ひとりの令嬢を籠絡しようとする目論見は成功するのか否か。
解説では女神が降臨する物語といったようなことがありましたが、まさにそんな感じ。
その令嬢エーレンガートはアテナやニケといった神話の女神たちを連想させる凛々しい美しさにあふれています。
この作品は「中年の画家が美しい娘を指一本ふれないで誘惑する」物語として説明文がありますが、結果として、「中年の画家が指一本ふれさせることもない美しい娘に誘惑される」物語であろうかと思います。
強く美しいエーレンガートが普通の好青年(いや、好青年なんだからいいんだけど)のお嫁さんになってしまったのが、惜しい…と思ってしまった私はちょっとおかしいかもしれません。
知らずに人を誘惑し続けてほしかったわ。
「知らずに」だから、彼女自身には文句などありようもないのでしょうけれども、特に「ハッピーエンド」とも思ってないような気がするなぁ、エーレンガート嬢。
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