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シュガークイン日録3

吉川宏志のブログです。おもに短歌について書いています。

「短連作」とは何か

2019年07月07日 | 日記

7月6日に、鳥居さんとの対談を行った。

そのとき、短歌をどのように並べるか、という話題が出た。

たしかに、並べ方によって、歌の印象は大きく変わってくる。ただ、それについて短い時間で話すのは難しいので、断片的なことしか言えなかったのだけれど。

塔2016年2月号で「短連作」という特集を組んだときに書いた文章があるのを思い出したので、アップしてみる。

ちょっと長いですが、何かの参考になれば幸いです。

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 「短連作」という言葉は、今回の特集のために作った〈新語〉である。もしかしたら、すでに使われているかも知れないが、その場合はご教示くださればありがたい。

 定義としては、五首程度の短歌によって構成され、タイトルがつけられた作品を指す。普通の連作は、二十首、三十首といった分量で、何らかのテーマを歌ってゆく。たとえば斎藤茂吉の「死にたまふ母」(『赤光』・五十九首)などが代表的である。それに対して短連作は、五首ほどの分量で、一つの世界を作り出す。

 考えてみると、多くの歌集では、この短連作がベース(基盤)のような位置を占めている。よくあるのが、五首前後の章がいくつかあって、ときどき二十首・三十首の大作が入ってくる、というパターンである。現在の歌集は、このように構成されることで、メリハリのあるおもしろさが生まれてくるのだ。

 歌集は、一ページに三首載せられていることが多い。すると、五首だとタイトルを入れて、ちょうど二ページの見開きになる。見た感じでも、短連作は、一つのまとまった世界が立ち上がってくるような印象を与えることができる。

 最近出た江戸雪の『昼の夢の終わり』を例として見てみよう。その中の「帰れ帰れ」十六首は、この歌集の核となる連作で、体の不調と入院が歌われている。重い一連と言っていいだろう。


  枯れ葉からにおいくる土そんなふうに自分の不安に気付いておりぬ

  笑い声とびらの前を過ぎたあとベッドにわれは雲の絵を描く


のように、病気の不安感や、入院をしている孤独感が歌われる。

そしてその直後に、四首の短連作が置かれている。今回はこれに注目して読んでみたい。

 

     からだを起こす

 ① しみしみとからだは痛みになれていく光るつくよみ見上げたりして

 ② 山茶花のようなひかりを浴びていたカラスはくろいままに飛び立つ

 ③ ハシボソが可愛らしくてどないしよ陽のやわらかい公園に居る

 ④ ブラインドの光の芯が朝朝にゆるみてわれはからだを起こす

 

 ①は病気が落ち着いてきた時期の感慨であろう。病気のときはゆっくり見ていられなかった「つくよみ」(月)の光を見ることで、心身は癒されていく。「しみしみと」というオノマトペが印象的だ。

 ②、③でカラスが歌われる。前者では「くろいままに飛び立つ」と、風景の中の闇のように捉えられているが、後者では「どないしよ」と大阪弁のユーモラスな表現になる。ここに、暗から明への心情の変化があらわれている。

 ④は「からだを起こす」というタイトルの元になっている歌。病から立ち直ろうとする意志が込められており、作者にとって強い思い入れのある歌だったのではないか。

 この四首には、それぞれ「光」が詠まれていることに気づく。そしてその光は、後ろにいくほどに明るくなる。一首一首の移り変わりによって、恢復してゆく時間がさりげなく表現されているのだ。一首と一首の行間から、書かれていない心情が浮かび上がってくる気がする。

 このように見てくると、短連作が、一冊の中で大きな効果を上げていることがよく分かるであろう。長い連作とは違い、大きなテーマや物語を歌うことはできない。けれども、五首ほどの歌を響き合わせ、一つの世界を作り出すことで、深い奥行きを描くことができるのだ。

 歌集によって、読みやすい、と感じたり、ぐいぐいと引き込まれてしまったりすることがある。逆に、退屈してしまう場合もある。その要因はさまざまだろうが、短連作の巧拙が、歌集の印象に大きな影響を与えているのは、間違いないことのように思われる。

 斎藤茂吉の歌集は、短連作という視点から見てみると、やはりはっとさせられるおもしろさがある。なんでもないことを詠んでいるような一連でも、平板にならず、豊かな起伏があるのである。

 

      一日

 ① 月島の倉庫(さうこ)にあかく入日さし一月(いちぐわつ)一日(いちにち)のこころ落ちゐぬ

 ② 休息(きうそく)の静けさに似てあかあかと水上(すゐじやう)警察(けいさつ)の右に日は落つ

 ③ 一月(いちぐわつ)一日(いちにち)友と連れだちて築地明石町(つきぢあかしちやう)界隈(かいわい)ありく

 ④ 月島を向ひに見つつ通り来し新年(しんねん)の静かなる立體性(りつたいせい)(まち)

 ⑤ 美しき男をみなの葛藤(かつとう)を見るともなしに見てしまひたり

 

 『暁紅』に収められている、昭和十年の新春の歌である。月島は東京湾を浚渫した土砂を利用して、明治二十五年に造られた埋立地で、工場などが多く建設されていた。築地明石町は東京都中央区の沿岸部にあり、そこから月島が見渡せる。

 ①は、「一日」に「ついたち」ではなく「いちにち」とルビがふってあることに留意したい。元日の夕暮れであるが、普通の一日と変わらないという感覚があるのだろう。結句の「こころ落ちゐぬ」はやや解釈が難しいところだが、正月になって華やいでいた心が落ち着いてきたというふうに読んでおきたい。短連作の冒頭として「月島の倉庫」という、魅力的な都市空間が示される。

 ②は「水上警察」という言葉が魅力的である。密輸などを含む、水上のトラブルを取り締まる警察であるらしい。当時、明石町にあったという。「右に日は落つ」というのも新鮮で、普通なら「西に」といった方角で示されるところ。「右に」と詠むことで、映像的なイメージがもたらされる。上の句の比喩は、一日空に照っていた太陽が、夕暮れに休息を求めるように落ちていく感じを表している。小池光は、昭和モダニズムの方法を摂取していると指摘しているが(『茂吉を読む 五十代五歌集』)、確かにそのとおりであろう。

 ③は状況を説明するような歌で、さほど重要ではないが、「築地明石町の界隈ありく」という漢字の多い語調に、渋い味わいがある。さっと読み流せる一首だけれど、けっして悪い歌ではない。こうしたつなぎになる歌が入ってくることは、歌集を読みやすくするために、意外に大切なことである。全部が重い歌だと、読者が苦しくなってしまう。息抜きのような歌も必要なのだ。

 ④の「立體性の街」もいかにも昭和モダニズムの感覚で、非常に巧い。特に現在の眼で見ると「體」という字がすごくものものしい。新年なので、まだ誰も働いていないのだろう。無人だからこそ、街の硬質な輪郭が浮かび上がってくるのである。「んねんのずかなる」と「し」の音を響かせつつ、字余りで重厚に展開していくリズムにも注目したい。

 ⑤が、今までとはがらりと異なった歌で、奇妙な印象を残してこの短連作は終わる。美男美女が諍いを起こしている場面だろう。「葛藤」だから、もっとからみつくような感じもあったのかもしれない。別に見たいわけではないが目に入ってしまう。そう茂吉は詠んでいるけれど、実際は好奇心や嫉妬心をもって観察しているのだろうと思わせる。無機質な都市を詠んだ歌のあとに置かれることで、男女の「葛藤」のなまなましさが強調されると言ってもいいだろう。

 この短連作は、平凡な「一日」の風景を詠んでいるように見えて、精神的な揺らぎがとてもよく伝わってくる。新年の静かな湾岸都市を歩くことで、視覚などが刺激されている様子が、リアルに表現されているのである。五首が並ぶことで、時間・空間が、それこそ〈立体的〉に見えてくるわけだ。

 短連作で陥りやすいのは、同じ題材の歌がずらりと並んでしまうことだ。たとえば、似たような桜の歌ばかりが続いてしまうと、とても単調になってしまう。それよりも、さまざまな角度から歌うことによって、風景に広がりが生まれるほうがいい。茂吉の歌がいきいきとしているのは、歩き回りながら歌うことで、視線に動きが感じられるからである。

 それでは、また別のタイプの短連作を読んでみよう。

 

     言葉

 ① 我が言葉が傲慢の如くなる驚きよ皆いたいたしく生きてゐるなり

 ② 妥協知らぬ新しき者はつひに来むか生き行きて我が遂げざる時に

 ③ いつの間に模倣されゐるわが生き方志望變ふると又告げに來る

 ④ 今は我は苦しみ學ぶなかに在れば苦しき時も心まじめなり

 ⑤ 忙しきわが日々に心ねぢけ來る少年わが子の時どきの言葉

 

 高安国世『年輪』(昭和二十七年)より。①~⑤のどの一首も、歌会に出したら「観念的だ」とか「もっと具体的に」などとと厳しく批判される歌だろう。しかし、このように五首並ぶと、迫力が出てくるし、心理の襞のようなものも表れてくる。

 こうした思想的な短連作を作るのは非常に難しいけれど、ときには挑戦してもよいのではないか。特に、時代や社会に対して、何か言いたい思いを抱えているとき、こうした表現方法もあることを知っておくことは大切だと思うのだ。

 どの歌も、戦後の貧しい生活が背景にある。高安は昭和二十四年に京都大学文学部ドイツ文学科の授業を開始した。この短連作は、貧しい学生を教えた体験に基づいているのだろう。

 ①の、自分の言葉が「傲慢」に響いたとはどういうことだろう。たとえば自分は常識として知っていることを、学生は知らなくて驚いたことがあったのではないか。しかし考えてみると、目の前の若者たちは、戦争によってきちんとした教育を受ける機会を失っていたわけである。自分の知識を誇るのは「傲慢」なのだ、と深く反省する高安の思いが滲み出ている。

 ②は、古い社会常識に自分は「妥協」して生きてきたが、これからの若者は、そうした枠を超えて強く生きていくに違いない、という期待が歌われている。逆に言えば、自分はもう夢を遂げることのできない旧世代に属しているのだという寂しさもこもっているのだろう。

 ③は、高安がかつて医学部志望から文学部志望に変えた経験を踏まえている。それは、高安にしては非常に大きな決断であった。しかし、今の若者たちはそれをたやすく行っている。学生たちは別に高安を「模倣」したわけではないと思うが、高安からすれば、自分の生き方は、学生たちの行動の先駆けになっている、という自負があったのではなかろうか。自分が学びたいものを学ぶ、という自由な生き方も、戦後になって認められてきたのだった。

 ④は思いが露骨に表れすぎで、成功した歌とはいえないだろう。ただ、苦学生たちと一緒に生きていると、自分も誠実な思いになっていく、という心情はよくわかる。学生たちと同様、高安も貧しかったし、心労を抱えていた。そこから逃避するのではなく、まっすぐに向き合いたいという願いがこの歌にこもっている。「心まじめなり」が気恥ずかしいほど率直である。

 ただ、おもしろいところで、歌としてはあまり良くなくても、作者の性格がよく出ていて好意的に感じられる表現はあるものである。この一首は高安の正直さが伝わってきて、やはり残しておきたい歌だと私は思う。

 ⑤でこの短連作は、やや意外な形で終わる。学生たちに教えることで忙しい生活を送っていると、自分の息子が構ってくれないのでいじけはじめるのである。「時どきの言葉」と、抽象的に書いているが、父親に向かって嫌みを言うようなことが増えてきたのだろう。家庭を顧みないうちに、息子の心が「ねぢけ」てきたことの不安が、前向きだった高安の心に、翳りを与えている。

 この短連作が④で終わったとしたら、一種の美談になっていたはずだ。しかし⑤が加わることで、仕事に熱心になるほど家庭が不安定になってゆくという、高安にとって重いテーマが浮かび上がってくる。


  男として仕事したしと言ふさへにいたいたしき迄に妻を傷つく   『眞實』


などの歌によって、高安はこれまでもこのテーマを歌ってきたけれど、自分を頼りにしている学生たちが一方に存在することで、引き裂かれる思いはさらに強くなっていく。

 「言葉」という題を、高安が選んだのはなぜなのだろう。教える側の傲慢な言葉。学生たちの真摯な言葉。幼い子どものいじけた言葉。太平洋戦争が終わって数年後、日常の言葉も大きく変化していった。さまざまな言葉によって、自分の周りに新しい社会が形作られていることへの驚きがあったのかもしれない。

 たった五首の連作の中に、作者の人生上のテーマや、時代への思いが色濃くあらわれるということもあるのだ、

 いくつかの短連作を今回取り上げて読んできた。

 よく思うのだが、一冊の歌集をどのように批評するか、というのは非常に難しい問題である。書評や、歌集の批評会という場で、多くの人が悩みながら、さまざまな試みを続けているが、決まった方法がない、というのが現状である。

 短連作に注目する、というのは、歌集の批評をする上でも、有効な方法になるのではないだろうか。歌集の中から重要な短連作を見つけだし、どのように構成されているかを考えていくことによって、表現の特徴や、作者の思想性がはっきりと見えてくるはずなのである。具体的な作品に沿って、じっくりと一首一首の関係を解読していくことができるのが、大きな利点である。

 もちろん、一部分だけで全体をつかむことができるのか、という反論はあるだろうが、どのように批評をすれば分からないときに、一歩を踏み出しやすい方法になると思う。どの短連作を選ぶかが、大きなポイントになるだろう。ぜひ、試みていただきたい。


平成元(1989)年~平成15(2003)年の話題作

2019年06月02日 | 日記
平成元(1989)年~平成15(2003)年の話題作    吉川宏志選
 
平成時代(の前半)に、どんな短歌が話題になったのか、具体的な作品を挙げながら紹介していきます。
(2019日6月1日に大阪で行った染野太朗氏とのクロストークで使用した資料に、加筆・補充したものです。)
もちろん、話題にならなかった歌にも、優れた歌はいっぱいあるわけです。それはくれぐれも誤解なきようお願いします。
ただ、話題になった作を並べてみたとき、時代の流れや空気が、くっきりと見えてくるのではないか。
そう考えたのが今回の企画の発端です。
 
角川の「短歌年鑑」を参照しつつ、私の貧困な記憶によって歌を取り上げています。
いろいろ見落としや誤りもあるのではないかなと思います。抜けている歌があれば、ぜひ、コメント欄で指摘してください。
大急ぎで書いたので、粗っぽいところもありますが、ご容赦を。
 
平成をふりかえるとき、何かの参考になれば幸いです。
 
 
平成元(1989)年 消費税スタート(3%) 天安門事件
 
日本の長き歩みの中にして長き代すべ給ふめでたき大君  土屋文明「讃歌五絶 昭和天皇崩御を悼んで」(読売新聞1月8日)
槍の穂に唇あてている彼とユダとの年の差が二千年  久木田真紀「時間(クロノス)の矢に始めはあるか」(短歌研究新人賞)
春の夜の夢ばかりなる枕頭にあっあかねさす召集令状  塚本邦雄『波瀾』
くるしみの身の洞(うろ)いでてやすらへと神の言葉もきこゆべくなりぬ 上田三四二『鎮守』
人を恋ふ心なかりせば須佐之男は流るる箸を見ざりしならむ  稲葉京子『しろがねの笙』
父として幼き者は見上げ居りねがわくは金色(こんじき)の獅子とうつれよ  佐佐木幸綱『金色の獅子』
アリナミンよりほほゑみが効くなんて言の葉で妻が喜ぶとおもふか  松平盟子『シュガー』
乳ふさをろくでなしにもふふませて桜終はらす雨を見てゐる  辰巳泰子『紅い花』
殺してもしづかに堪ふる石たちの中へ中へと赤蜻蛉(あかあきつ) ゆけ  水原紫苑『びあんか』
なぜ銃で兵士が人を撃つのかと子が問う何が起こるのか見よ  中川佐和子(朝日歌壇賞)
 
『サラダ記念日』(俵万智・1987)の大ベストセラーが歌壇に衝撃を与え、活性化と混乱が続いていた時期といえよう。
土屋文明の作は、戦争責任を問われることもある昭和天皇を無条件に讃えた歌であり、強い批判が出た。
久木田真紀の作は、女子高校生の受賞として大きな話題となり、歌の巧さ・発想のおもしろさに舌をまく歌人が多かった。しかし後に別人が作っていたことが判明。作者と作品の関係を考えさせられるトピックにもなった。
塚本邦雄の作は、小倉百人一首の周防内侍の和歌の本歌取り。塚本が「あっ」の新仮名を使うとは!と驚かれた。過去の戦争体験を、知的な方法で歌った一首で、やはり名歌と思う。
上田三四二は昭和末期に亡くなり、遺歌集が平成になってから出た。死ぬことで苦しみから逃れよと神の声が聴こえたと歌う。生きることの窮極を描き、忘れがたい。
稲葉京子の作。スサノオが川を流れる箸を見つけることができたのは、人間に対する恋心があったからだと歌う(無関心なら、箸に気づくことはない)。人間の認識の本質を捉えつつ、神話に新しい光を与えている。
佐佐木幸綱の作。小池光、小高賢などとともに男性の家族詠が話題に。「金色の獅子とうつれよ」と歌うが、背後には、そんな立派な父親にはなれないよ、という照れがある。
松平盟子の作は、商品名を軽やかに取り入れながらも、男性の態度を厳しく批判する。フェミニズムの影響が強く表れた一首といえよう。
辰巳泰子『紅い花』と水原紫苑の『びあんか』は現代歌人協会賞を受賞。紅と白、対照的な2歌集として話題に。辰巳の生々しい性愛、水原の美しい幻想。『サラダ記念日』にはないものが歌われ、女性短歌の新しい展開を感じさせた。
中川佐和子の作は、朝日新聞の歌壇に掲載され、幾度も引用された。天安門事件を歌っている。結句の命令形で、読者もこの問いを突きつけられる。

平成2(1990)年  イラク軍、クウェート侵攻  東西ドイツ統一
 
八重洲ブックセンターに万巻の書はありて哀しき肉のついに哀しき  藤原龍一郎「ラジオ・デイズ」(短歌研究新人賞)
切なさと淋しさの違い問う君に口づけをせり これはせつなさ  田中章義「キャラメル」(角川短歌賞)
せつなしとミスター・スリム喫(す)ふ真昼夫は働き子は学びをり  栗木京子『中庭(パティオ)』
サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい  穂村弘『シンジケート』
鷗外の口ひげにみる不機嫌な明治の家長はわれらにとおき  小高賢『家長』
人あまた乗り合ふ夕べのエレヴェーター枡目の中の鬱の字ほどに  香川ヒサ『テクネ―』
さんさんと夜の海に降る雪見れば雪はわたつみの暗さを知らず  山田富士郎『アビー・ロードを夢みて』
侵攻はレイプに似つつ八月の涸谷(ワジ)越えてきし砂にまみるる  黒木三千代「クウェート」(歌壇11月号)
 
藤原龍一郎の作。マラルメの詩句「肉体は悲し。万巻の書は読まれたり。」を踏まえる。本も商業主義に組みこまれていく時代を、巧みな本歌取りで批判。塚本邦雄らが絶賛した。
田中章義作。男性の『サラダ記念日』を要望する動きは確かにあったと思う。田中の歌はそんな時代の流れに応えるものであった。
栗木京子作。フェミニズムを揶揄するように、主婦のアンニュイを歌っている。働く女性に対する、意識的な挑発がある。
穂村弘の登場は、大きな衝撃を当時の歌壇に与えたが、この一首は特に、どう読めばいいのか分からないという困惑を招いた。上の句の意外性、下の句の大胆さ。短歌の自由さを大きく広げる一首だった。
*この3首、それぞれの角度から「せつなさ」を歌っているのがおもしろい。あるいは「せつなさ」がこの頃のキーワードだったのかもしれない。
小高賢の作。「明治の家長」のようにはなれない、という歌。家族が変容していく中で、父としてどう生きればいいかわからない、という悩みが、やや他人事のように歌われているところが、おもしろい。
香川ヒサの歌は、1988年の角川短歌賞受賞のときからよく取り上げられていた。知的な空間把握、「鬱」という字を視覚的に捉えているところなど、香川の方法に、知らず知らずのうちに影響を受けている歌人は多いのではないか。
山田富士郎は現代歌人協会賞を受賞。この歌などには、時代の流行とは隔した詩的な美しさがある。
黒木三千代の「クウェート」一連は、当時の歌壇で、賛否両論の激しい議論を招いた。「レイプ」という語が短歌に使われること自体、この頃は、拒否感が強かったのである。

平成3(1991)年 湾岸戦争 EU創設 ソ連崩壊
百年はめでたしめでたし我にありて生きて汚き百年なりき  土屋文明『青南後集以後』
ごろすけほう心ほほけてごろすけほうしんじついとしいごろすけほう  岡野弘彦『飛天』
空をゆく鳥の上には何がある 横断歩道(ゼブラ・ゾーン)に立ち止まる夏  梅内美華子「横断歩道(ゼブラ・ゾーン)」(角川短歌賞)
水の婚 草婚 木婚 風の婚 婚とは女を昏(くら)くするもの  道浦母都子『風の婚』
しつかりと飯を食はせて陽にあてしふとんにくるみて寝かす仕合せ  河野裕子『紅』
ミサイルがゆあーんと飛びて一月の砂漠の空のひかりはたわむ  高野公彦「オプション」(歌壇3月号)
今夜とて神田川渡りて橋の下は流れてをると気付きて過ぎぬ  森岡貞香『百乳文』
石垣島万花艶(にほ)ひて内くらきやまとごころはかすかに狂ふ  馬場あき子『南島』
システムにローンに飼はれこの上は明ルク生クルほか何がある  島田修三『晴朗悲歌集』
言葉ではない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! ラン! 加藤治郎『マイ・ロマンサー』
淡雪にいたくしづもるわが家近く御所といふふかきふかき闇あり  林和清『ゆるがるれ』
おもむろにまぼろしをはらふ融雪の蔵王よさみしき五月の王よ  川野里子『五月の王』
 
ソ連崩壊など、世界史的には凄い変動があった年だが、それを詠んだ話題作はあまり記憶がない……。共産主義にかつて夢を見た世代の歌人は存在するのだが、あまりに衝撃的で、言葉にできなかったのではないか。そんな印象を私は持っている。
土屋文明の作。百歳となった記念の歌。自在な調子で歌っているが「生きて汚き」という言葉には、読者を粛然とさせるものがある。
岡野弘彦の作。「ごろすけほう」は梟の鳴き声だろう。「ごろすけほう」の繰り返しが、夢うつつのような世界に導いてゆき、夢の中で人を恋するような思いが伝わってくる。オノマトペの歌の例としてよく取り上げられる。
梅内美華子の作。清冽な青春歌として、高い評価を得た。このみずみずしさは、現在でも色褪せていないと思う。
道浦母都子の作。結婚という制度を、上の句の名詞の並列や、下の句の言葉遊びで、軽やかに批判している。
河野裕子の作。道浦の歌とは対照的。フェミニズムでは主婦という生き方が批判されることがあったが、それに対する反発がある。ただこの一首、その文脈から切り離されて、保守的な家族観を肯定するために使われることもある。
高野公彦の作。湾岸戦争の「テレビゲームのようだ」とも言われた映像を歌う。「ゆあーん」は中原中也の詩「サーカス」からの引用。こうした歌い方への賛否は当時もあった。
森岡貞香は長い歌歴をもつ歌人だが、『百乳文』で非常に注目を集め、再評価が進んだ。時間感覚が揺らぐような、奇妙な文体のねじれ。こうした文体自体への探求は、その後の歌人に大きな影響を与えた。
馬場あき子の『南島』は、沖縄を歌う、ということに真正面から取り組んだ一冊として、記憶すべきだろう。沖縄に行くことで、自分が無意識に持っている「やまとごころ」が揺り動かされるのである。
島田修三は、大学教員のトホホな生活を露悪的に詠み、筒井康隆の『文学部唯野教授』(当時のベストセラー)と重ねるようにして読まれることが多かった。社会構造を示す「システム」という言葉も、この頃から一般的になったのかな。
加藤治郎の作。記号短歌では、荻原の▼▼▼とともに双璧をなす歌。パソコンが普及しはじめ、言葉が記号化する感覚が広がっていたころの歌。批判が多かった歌ではあるが、「!」を無音で読む、という発明はやはり大きかった。
林和清の作。その一方京都では、時代の流行に逆らって、美しさや深さを追求する動きがあったことを記しておきたい。林さんは「新伝統派」と呼んでいた記憶があるが、どうでしたかね。
川野里子は短歌評論の書き手として先に注目されたが、大きな自然を力強く歌った作が、高野公彦や伊藤一彦らから絶賛された。

平成4(1992)年 PKO協力法可決
 
昭和天皇雨師(うし)としはふりひえびえとわがうちの天皇制ほろびたり  山中智恵子『夢之記』
君の眼に見られいるとき私(わたくし)はこまかき水の粒子に還る  安藤美保『水の粒子』
水流にさくら零(ふ)る日よ魚の見るさくらはいかに美しからん  小島ゆかり『月光公園』
▼▼雨カ▼▼コレ▼▼▼何ダコレ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼BOMB!  荻原裕幸『あるまじろん』
うちいでて鶺鴒あをし草深野一万人の博士散歩す  坂井修一『群青層』
イヴ・モンタンの枯葉愛して三十年妻を愛して三十五年  岩田正『郷心譜』
一脚の椅子半ばまで埋もれて今日砂原は切なき凶器  三井修『砂の詩学』
 
山中智恵子の作は、昭和の終焉を歌った作として、現在最も引用されているように思う。「雨師」とは雨の神。戦時中、神だった人を葬ることで、自分の中の天皇制は終わったと歌う。
安藤美保は将来が期待されていた歌人だったが、20代で事故死した。みずみずしく自由な恋の歌が、とても痛ましい。私とほぼ同時期に学生歌人として活躍していた人で、直接会ったことはなかったけれど、ほんとうにショックだった。
小島ゆかりは、この第2歌集から非常に注目されるようになった印象がある(たぶん)。やわらかな文体、そして意外性がありつつ納得させられる発想。この一首を愛誦する人は多いだろう。
荻原裕幸の作。湾岸戦争、PKOという時代の動きの中で、日本がもし空爆されたら、という想像を、記号を用いて、斬新な手法で表現している。「表層的なものにこそ本質がある」と論じられた当時のポストモダンを最も体現している作だと感じる。
坂井修一の作。当時は大学教授の人数も多く、「一万人の博士」が散歩する、というのも単なる幻想ではなかったのである。上の句は古典和歌を踏まえ、現在と過去が交錯するように歌う。
岩田正の作。評論家として有名で、社会派的な歌を作ることが多かった岩田が、突如、ユーモア全開の歌を作りはじめたことに、歌壇では衝撃が走った。この歌、特に、当時「マジかよ…」と思いました。これもバブル期の社会の反映か?
三井修の作。湾岸戦争後、中東の国々が改めて注目を集めていたとき、砂漠の国バハレーンに駐在して、その風景や社会をリアルに描いた三井の歌集は大きな話題になった。

平成5(1993)年 非自民党の細川内閣成立

疲労つもりて引出ししヘルペスなりといふ八十年生きれば そりやぁあなた  斎藤史『秋天瑠璃』
うろこ雲亡き人かずにゐる父に燃えて雁来紅もさやうなら  馬場あき子『阿古父』
言葉とはつまりは場(ば)かも風中の戦車に登り口開く人  佐佐木幸綱『瀧の時間』
わが胸にリンチに死にし友らいて雪折れの枝叫び居るなり  坂口弘『坂口弘歌稿』
学校へいじめられに行くおみな子の髪きっちりと編みやる今朝も  花山多佳子『草舟』
今日われはオオクワガタの静けさでホームの壁にもたれていたり  早川志織『種の起源』
 
斎藤史の作。「そりやぁあなた」に驚かされた。口語化が大ベテランにも浸透してきた、という文脈でよく引用されていた。また、老いの歌の新しい方向性を示した一首とも言えよう。
馬場あき子の作。馬場の数多い歌集の中でも、父の死を詠んだ『阿古父』はしみじみとした美しさがあって忘れがたい。この一首も結句が口語。全体の揺らぐようなリズムが独特で、哀感が深い。
佐佐木幸綱の作。ルーマニアなど、東欧で革命が続いた。その中の一場面だろう。「ことば」「ば」という押韻が印象的だが、言葉というものは置かれた場によって意味が変わるのだ、という認識を説得力のある表現で示している。
坂口弘の作。連合赤軍事件で獄中にあった人の歌である。内容的に、ショッキングな歌であった。マスコミにも大きく取り上げられたが、短歌として歌うことで殺人が救済されてしまうのではないか、という議論もあった。
花山多佳子の歌。家族の痛みを、淡々と、劇的にならないように歌っていく花山の歌集は、華やかに注目されることはなかったけれど、今でいうフォロワーが静かに増えていったように思う。
早川志織の歌。自分をオオクワガタのような意外性のある生き物にたとえ、違和感のようなものを表現するのは、おそらく早川が生み出した方法である。現在でも、この方法を用いた歌は作られ続けているのではないか。

平成6(1994)年 松本サリン事件 村山富市内閣成立 バブル崩壊 関西国際空港開港
 
叱つ叱つしゆつしゆつしゆわはらむまでしゆわはろむ失語の人よしゆわひるなゆめ 岡井隆『神の仕事場』
サンダルの青踏みしめて立つわたし銀河を産んだように涼しい  大滝和子『銀河を産んだように』
にぎやかに釜飯の鶏ゑゑゑゑゑゑゑゑゑひどい戦争だった  加藤治郎『ハレアカラ』
 
岡井隆の作。音喩とも呼ばれる、音の奇妙さによって、言葉にできないような違和感を表現した歌。いわゆるニューウェーブ的な方法を、岡井が吸収した作ともいえる。難解な歌だが、美智子皇后が、ストレスのため一時的に失語症になったということがあり(1993年)、そのことを詠んでいるという説がある。岡井は、かつて左派的な作を作っていたのにも関わらず宮中歌会始選者に就任したために大きな批判を浴びた。この歌はそれに対する秘かな反撃だったのかもしれない。
大滝和子の作。「銀河を産んだように」という比喩のスケールがすごい。上の句の細部からの飛躍が見事なのである。非日常的な大きなものへ、という当時の若い世代の指向があらわれている。
加藤治郎の作。音喩という方法の、最も成功した例であろう。「ゑゑゑ」という響きのまがまがしさ、鶏肉との視覚的な重なり。湾岸戦争に対して傍観的でいるしかなかった日本人の苦しみが反映しているともいえるだろう。

平成7(1995)年 阪神淡路大震災 地下鉄サリン事件 オウム真理教の幹部逮捕
 
日本(ニツポン)は不戦の国と我(わ)が言へばただ曖昧に白人ら笑む  渡辺幸一「霧降る国で」(角川短歌賞)
そこに出てゐるごはんをたべよといふこゑすゆふべの闇のふかき奥より  小池光『草の庭』
鹿たちも若草の上(へ)にねむるゆゑおやすみ阿修羅おやすみ迦楼羅  永井陽子『てまり唄』
おぼれゐる月光見に来つ海号(うみがう)とひそかに名づけゐる自転車に  伊藤一彦『海号の歌』
「ロッカーを蹴るなら人の顔蹴れ」と生徒にさとす「ロッカーは蹴るな」  奥村晃作『都市空間』
ハンバーガー包むみたいに紙おむつ替えれば庭にこおろぎが鳴く  吉川宏志『青蟬』
 
渡辺幸一の作。ロンドンで金融業界で働く人の歌。湾岸戦争で、金は出すが多国籍軍に参加しない日本の姿勢に批判があった時期であった。それが差別にもつながっていく辛さをストレートに歌っている。
小池光の作。『草の庭』は、戦後的な懐かしい情景をくりかえし描き、失われゆくかつての暮らしへの哀惜がにじんでいる歌集だった。この歌も、子ども時代の記憶のような、不思議な懐かしさと怖さがある。
永井陽子の作。この年は、新しい時代に対する揺り戻しのような感覚が、どこかある。永井の歌も、何か懐かしさがあるのである。奈良公園の夕暮れを描いたこの歌の優しさを好む人もとても多い。
伊藤一彦の作。宮崎の地から、現代の流行とは異なる時間感覚で歌おうとする伊藤の営為は、この歌集が読売文学賞を受賞することで、広く認知されるようになる。自転車の名が「海号」というのがユニーク。
奥村晃作の作。ミツビシボールペンの歌など「ただごと歌」が有名だったが、穂村弘は、ロッカーを蹴るなという一点に集中するゆえに狂気が生み出されていることを指摘し、奥村の歌を別の角度から高く評価した。
吉川宏志の作。自作ですみません。この年、第一歌集出しました。「紙おむつ」が、一部の男性歌人には衝撃だったようで、なんでこんな小さなことを歌っているのだ、というような揶揄もあった。ただ、男性の育児の歌の嚆矢にはなっていると思う。

平成8年(1996)年 薬害エイズ問題
 
ミーティングルームの窓よりゆうだちは馬の香を曳き分け入ってくる  小守有里「素足のジュピター」(角川短歌賞)
死を囲むやうにランプの火を囲みヘブライ暦(れき)は秋にはじまる  小島ゆかり『ヘブライ暦』
廃村を告げる活字に桃の皮ふれればにじみゆくばかり 来て  東直子『春原さんのリコーダー』
 
小守有里の作。都市生活の中で、自然や野性を感じる、希求する、という歌い方で、新鮮な印象を与えた。現在でもこの歌のようなタイプの作は多いのではないか。
小島ゆかりの作。この当時、米川千嘉子『一夏』、河野裕子『紅』など、「海外生活歌集」が何冊か出版され話題になった。この歌は「ヘブライ暦」という題材の珍しさ、情感の豊かさが印象的だった。
東直子の作。結句に突然あらわれる「来て」が、不思議で、かすかなエロティックさもある。不意に異質な声が入ってくる、という新しい口語の文体のはじまりとなった一首なのではないか。

平成9(1997)年 臓器移植法成立 神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件) 山一証券自主廃業 京都議定書採択
 
野の中にすがたゆたけき一樹あり風も月日も枝に抱きて  斎藤史(宮中歌会始 お題「姿」)
夜となりて雨降る山かくらやみに脚を伸ばせり川となるまで  前登志夫『青童子』
男ではなくて大人の返事する君にチョコレート革命起こす  俵万智『チョコレート革命』
一茎の荒地野菊が一行の詩句とぞなりて瞳にそよぐかな  築地正子『みどりなりけり』
私ならふらない 首をつながれて尻尾を煙のように振る犬  江戸雪『百合オイル』
あんたホホしようむないことしようかいな格子は春の銀色しづく  池田はるみ『妣が国 大阪』
橋として身をなげだしているものへ秋分の日の雲の影過ぐ  渡辺松男『寒気氾濫』
 
斎藤史の作。2・26事件で、幼なじみを処刑された斎藤史は昭和天皇を批判する歌も作っているが、この年、歌会始に招かれた。そんな場で、大らかで美しい歌を詠み、懐の深さ、凄さを見せた。
前登志夫の作。山や川に自分の身体が一体化してゆくような歌。ゆったりした調べが快い。このころ、佐佐木幸綱が「アニミズム」を提唱したが、それを最も体現している歌の一つだと思う。
俵万智の作。『サラダ記念日』以後、新しい方向性を生み出すのに苦しんでいた感があった俵であったが、不倫を感じさせる刺激的な恋の歌を打ち出していく。「優等生」的な印象を壊そうとする意図もあったようである。
築地正子の作。アニミズムの歌として、佐佐木幸綱がしばしば引用した歌。ただ私見だが、この歌は荒地野菊を詩句になぞらえる意図が、やや目立ちすぎているように思う。
江戸雪の作。社会の規範に束縛されたくない、という願いを歌い、強く生きようとする。この歌も「私ならふらない」というきっぱりとした断言がかっこいい。
池田はるみの作。大阪弁のやわらかなエロティシズムを歌に取り入れ、独自の世界を生み出している。
渡辺松男の作。これもアニミズム的な歌と言えるだろう。橋を生きているもののように捉えた上の句がとても印象的。こうした表現は、現在作られている短歌の基盤になりつつあるのではないか。

平成10(1998)年 長野冬季オリンピック

名を呼ばれ「はい」と答ふる学生のそれぞれの母語の梢が匂ふ  大口玲子「ナショナリズムの夕立」(角川短歌賞)
白鳥のねむれる沼を抱きながら夜もすがら濃くなりゆくウラン  岡井隆『ウランと白鳥』
ねばねばのバンドエイドをはがしたらしわしわのゆび じょうゆうさあん 加藤治郎『昏睡のパラダイス』
雨の日に電話かけくるな雨の日の電話は焚火のようにさびしい  永田和宏『饗庭』
たましひに着る服なくて醒めぎはに父は怯えぬ梅雨寒のいへ  米川千嘉子『たましひに着る服なくて』
 
大口玲子の作。日本語教師として、国際化する時代の一端を印象的に描いている。「はい」という発音にも、生徒たちの母語の匂いがする、という発想が鮮やかだし、「梢」という喩がとても巧い。
岡井隆の作。原発事故以前に、原発を正面から詠んだ連作として記憶に残る。ゆったりとしたリズムによって、白鳥とウランが併存する世界を、陰影深く描いている。
加藤治郎の作。身体的な不快感に引きつけながら、オウム事件の得体のしれなさを描いている。当時よくテレビに出ていたオウム広報部長の上祐史浩の名前を、音喩として使っている。
永田和宏の作。前衛短歌の影響を強く受けていた永田は、日常性や風土を重視して歌いはじめるようになる。『饗庭』はその結実として評価された。口語のやわらかなリズムの背後に、孤独感が漂う。
米川千嘉子の作。「たましひに着る服なくて」というフレーズが心に残る歌。怯えながら、寒がりながら死んでゆく父の悲しさ。父の弱さを見つめるまなざしに、独特のものがある。

平成11(1999)年 国旗国歌法成立 東海村臨界事故
 
鴨のゐる春の水際へ風にさへつまづく母をともなひて行く  春日井建『白雨』
吾亦紅(われもこう)じくっじくっと空間を焦がしていたり 戦争ははだか  渡辺松男『泡宇宙の蛙』
居合はせし居合はせざりしことつひに天運にして居合はせし人よ  竹山広『千日千夜』
 
春日井建の作。前衛短歌の中心であった春日井が、日常の風景を穏やかな明るさで描きはじめた歌集『白雨』には、批判的な意見もあったように思う。しかし、「風にさへつまづく母」という表現の哀切さは心に残る。
渡辺松男の作。前歌集よりもさらにシュールさが濃くなり、謎めいた魅力あるいは狂気をもつ歌を生み出しはじめる。「戦争ははだか」は奇抜なフレーズだが、妙に頭に残る。「じくっじくっ」という響きがやけに怖い。
竹山広の作。阪神淡路大震災を詠んだ歌だが、災害が起きるたびに思い出される歌となっていった。長崎の原爆で生き残った竹山の体験が、「天運」という言葉に、深い実感を与えている。
 
平成12(2000)年 三宅島噴火 沖縄でサミット開催

ねむる鳥その胃の中に溶けてゆく羽蟻もあらむ雷ひかる夜  高野公彦『水苑』
ああ君が遠いよ月夜 下敷きを挟んだままのノート硬くて  永田紅『日輪』
かへりみちひとりラーメン食ふことをたのしみとして君とわかれき  大松達知『フリカティブ』
校正しついに消しおり〈南京〉を虫の体液ほどのインクで  吉川宏志『夜光』
家々に釘の芽しずみ神御衣(かむみそ)のごとくひろがる桜花かな  大滝和子『人類のヴァイオリン』
 
高野公彦の作。『水苑』は詩歌文学賞、迢空賞をダブル受賞し、2000年を代表する一冊となった。鳥の胃の中の羽蟻、鳥を照らす雷。内側の中にさらに内側がある、生命世界が目に浮かぶように描かれた歌。
永田紅の作。下敷きの硬さという表現がとても新鮮。その言葉の確かさが、「ああ君が遠いよ」という嘆きをしっかり受け止めている。上の句に独語的な口語があり、下の句にリアルな情景がある構造は、若い歌人の間で「つぶやき実景」とも呼ばれたりもした。
大松達知の作。これまでの恋の歌は、逢っているときの高揚を詠んできた。しかしこの歌は逢ったあとのラーメンが楽しみだと歌う。恋さえも突出したことではなく平坦化していく。現代短歌のフラット化の典型といえる一首であろう。
吉川宏志の作。これも自作ですみません。現在も続いている歴史修正主義を、かなり早い時点で歌にしている。菱川善夫氏から、テーマとしては重要だが、消してしまっていいのか、という批判があったことも忘れがたい。
大滝和子の作。『短歌パラダイス』(1997年)の歌合で、「芽」という題で作られた一首。「釘の芽」という発想のおもしろさ、「神御衣」という比喩の美しさ。歌合という遊戯の中から生まれた宝石のような一首。

平成13(2001)年 小泉内閣成立 ニューヨーク同時多発テロ アフガニスタン空爆

眼鏡屋は夕ぐれのため千枚のレンズをみがく(わたしはここだ)  佐藤弓生「眼鏡屋は夕ぐれのため」(角川短歌賞)
一分の黙禱はまこと一分かよしなきことを深くうたがふ  竹山広『射禱』
たすけて枝毛姉さんたすけて西川毛布のタグたすけて夜中になで回す顔  飯田有子『林檎貫通式』
目覚めたら息まっしろで、これはもう、ほんかくてきよ、ほんかくてき  穂村弘『手紙魔まみ、夏の引っ越し(ウサギ連れ)』
おそらくは今も宇宙を走りゆく二つの光 水ヲ下サイ  岩井謙一『光弾』
午後三時県境に雲影(エコー)あらはれて丹波太郎は今生まれたる  真中朋久『雨裂』
事故ありてニューヨークに原爆炸裂す不機嫌なる日のわが白昼夢  来嶋靖生「カタリカタリ」(短歌研究10月号)
 
佐藤弓生の作。かっこ付きで(わたしはここだ)と、別次元の声が入ってくる文体。東直子の歌などでも指摘したが、平成短歌で生まれてきた文体の一つであろう。上の句は、どこか童話のようで、光のイメージがとても美しい。
竹山広の作。原爆の追悼行事の形骸化を詠んだ歌といえようが、それ以上に、時間の不思議さを感じさせるところがある。竹山の社会に対して「深くうたがふ」姿勢は、現代の社会詠の指針となっていった。
飯田有子の作。「枝毛姉さん」とは誰? 内容の奇妙さ、「たすけて」が繰り返される歌のつくりなど、非常に斬新な一首。穂村弘が高く評価し、大きな話題になった。穂村は「酸欠世界」の中で、歌があえいでいるため、このような文体が生まれていると述べた。そして、小島ゆかりや吉川の歌は、酸欠状態の中で自分だけ酸素ボンベを使っているようなものだと批判されたのでありました。
穂村弘の作。「まみ」という女性に成り代わって作られた歌集の冒頭の一首。「ほんかくてきよ、ほんかくてき」の平仮名表記と結句の字足らずのリズムがとても魅力的で、少女の息づかいのようなものが確かに感じられる。
岩井謙一の作。広島、長崎に落とされた原爆の光が、今も宇宙を突き進んでいるのだ、という発想に驚かされる。科学的にも、それはありうるのだろう。結句は原民喜の詩の引用。
真中朋久の作。気象予報士という立場から、自然を科学的な視点でとらえた歌が新鮮だった。「丹波太郎」は雨雲の名前という。多様な職業の歌人が登場し、さまざまな視線から、社会や自然を詠んだ歌が生まれるようになったのも、平成時代の特徴だろう。真中と岩井の歌集は現代歌人協会賞を同時受賞している。
来嶋康生の作。9月11日にニューヨーク同時多発テロが起き、たまたまその直後にこの歌が発表されたため、予言した歌として少なからず話題になった。歌としてそれほど優れているとは言えないだろうが、詩歌はときどき時間を先取りすることがあるものである(信じたくない人は信じなくてよろしい)。
 
平成14(2002)年 日韓サッカーワールドカップ 小泉首相、北朝鮮に訪問 拉致被害者帰国

紐育空爆之図の壮快よ、われらかく長くながく待ちゐき  大辻隆弘『デプス』
ビルの瓦礫を前にしおこるUSA、USAの連呼、なんぞ羨(とも)しき  岡井隆『〈テロリズム〉以後の感想/草の雨』
生死(いきしに)のけじめはないよなんとなく猫いて大き満月が出る  岡部桂一郎『一点鐘』
立ち直るために瓦礫を人は掘る 広島でも長崎でもニューヨークでも  三枝昂之『農鳥』
横顔を見せつつ橋をゆきちがう光の中の北山時雨  島田幸典『no news』
「大丈夫」と言つてしまつてから不意に雪より冷えて泣く我がゐる  大口玲子『東北』
 
大辻隆弘の作。ニューヨークのテロを詠んだ歌では最も話題になった一首であろう。「紐育空爆之図」は会田誠の絵画。アメリカへの空爆を、われら(日本人)はずっと待ち続けていたのだ、という反米意識の表明には、激しい批判も向けられた。トランプ政権の現在、なおも問題作であり続けているだろう。
岡井隆の作。岡井も最も強くテロに対して反応した歌人の一人である。「USAの連呼」に素朴なナショナリズムの高揚を見て、それを羨むような、微妙に韜晦するように詠んでいる。当時の日本では、ナショナリズムに対する禁忌意識がまだ強く、アメリカのように素直にナショナリズムを発露できないことへの苛立ちもあったのではないか。
岡部桂一郎の作。岡部も大ベテランの歌人だが、『一点鐘』の出版により、再評価が非常に進んでいった。岡部の歌は飄々としていて、伸びやかなリズムが魅力である。生と死を超越するような言葉に、私も大きな影響を受けた。
三枝昂之の作。悲しみの中でも、何か行動をすることで、人間は生きる意欲を取り戻すことができる。思索的だが、素朴なヒューマニズムに裏打ちされた歌で、普遍性がある。
島田幸典の作。「京都派」(と勝手に呼んでおく)の第一歌集。端正な文体で、風景を描写した作が多く、ニューウェーブ的な作風が増える中で、反時代的な風貌をもつ。現代歌人協会賞を受賞した。
大口玲子の作。自らの鬱病を正面から歌った連作に、すごい迫力があった。東北の風土の厳しさや美しさの中で、徐々に癒していく姿に、私は深い感銘を受けた。

平成15(2003)年 イラク戦争 個人情報保護法成立
 
崩れゆくビルの背後に秋晴れの青無地の空ひろがりてゐき  栗木京子『夏のうしろ』
芹つむを夢にとどめて黙ふかく疾みつつ春の過客なるべし  小中英之『過客』
別に嫌な人ではないが演出の方針なればギラギラと撮る  矢部雅之『友達ニ出会フノハ良イ事』
「水菜買いにきた」
三時間高速をとばしてこのへやに
みずな
かいに。             今橋愛『O脚の脚』
 
栗木京子の作。栗木も9・11テロやイラク戦争を積極的に詠んだ歌人。テレビの映像を、短歌でクリアに表現するという試行がしばしば見られる。この歌では「青無地の空」に冴え冴えとした技巧がある。
小中英之は、現代短歌の流行からは離れた位置で、寡黙に繊細な歌を作り続けた。『過客』は遺歌集である。この世の中で、自分は「過客」なのであり、定まった居場所などないのだ、という孤独感が、晩年の歌にも漂っている。
矢部雅之は、テレビカメラマンで、報道の世界をリアルに描いている。また、アフガニスタンに撮影に行き、写真と短歌を組み合わせた形で歌集を出版。大きな話題となり、現代歌人協会賞を受賞している。
今橋愛のこの歌も、穂村弘が高く評価して、よく引用された歌である。水菜を買うために三時間高速をとばすという恋の激しさを詠んでいるが、あまり歌の意味は重要ではないのかもしれない。とぎれとぎれの文体の幼さや儚さに、従来の短歌とは異質なおもしろさがあり、注目されたのだろう。「水菜」が不思議に印象に残る。
 

第12回 クロストーク短歌のご案内

2019年05月12日 | 日記

12回 クロストーク短歌のご案内

― 「話題作でふりかえる平成短歌」―

 

今回は染野太朗さんをお迎えして、平成の短歌をふりかえります。

毎年、短歌ではよく議論される「話題作」が生まれます。この30年、どんな歌が話題になってきたのでしょうか。

懐かしい歌、もう忘れられている歌、今でも衝撃力のある歌……。

なぜ、そのとき大きな話題になったのかを考えながら、現代短歌はどのように変化してきたかを語り合いたいと思います。

皆様のご参加をお待ちしております。

 

  日 時  61日(土) 午後2時~4時45分 (受付 1時40分~)

 場 所  高津ガーデン 3階ローズの間(tel 06-6768-3911

      〒543-0021 大阪府大阪市天王寺区東高津町7-11

      【地下鉄】谷町線・千日前線「谷町九丁目」駅下車7分

      【近鉄】「上本町」駅下車3分

 会 費  2,000円 (学生1,500円)

 申込方法 メールでお申し込みください。 

      crosstalknokaigmail.com (●を@に変えてください)

      件名「クロストーク短歌の申込」

      本文に①お名前 ②連絡できる電話番号 を記入ください。 

      折り返し、仮受付のメールで振込口座をお知らせします。

      ご入金を確認後本受付となります。

      一度お預かりした会費は、会の中止の場合を除いて返金はできません。

      代理受講は可能ですので、その場合は代理の方のお名前をお知らせください。

      *定員(45)に達しましたら締め切りますのでご了承ください。

 

染野太朗さんのプロフィール

1995年に歌誌「まひる野」入会。「早稲田大学短歌会」に参加する。2012年、第1歌集『あの日の海』で第18回日本歌人クラブ新人賞を受賞。20154月より1年間、NHKテレビ「NHK短歌」選者を担当。2018年、第2歌集『人魚』で第48回福岡市文学賞を受賞。笹井宏之賞の選考委員を務める。

歌集 『あの日の海』(まひる野叢書282篇)本阿弥書店

『人魚』(まひる野叢書340篇)角川文化振興財団


俵万智『牧水の恋』書評

2019年05月03日 | 日記

昨年の「短歌往来」12月号に書いた、俵万智さんの『牧水の恋』の書評です。

分量が短くて、あまり言い尽くせていない感もあるのですが、ご参考になれば幸いです。

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俵万智『牧水の恋』書評

恋する牧水との深い交感

 

 私たちは多くの場合、短歌を歌集という本の形で読む。しかし歌集には、作者の編集の手が加わり、過去が再構成されている。それ以前の雑誌の初出で読むと、別の文脈が見えてくることがある。

 『牧水の恋』は、初出の雑誌で読むことで、歌集『別離』では見えなかった牧水の心の動きを、つややかに描き出すことに成功している。たとえば、

 

  月の夜や君つつましうねてさめず戸の面の木立風真白なり

 

という一首は、歌集で読むと、男女関係ができてからの歌のように読める。しかし初出の時期から考えると、まだ性愛はなく、添い寝していただけらしいのだ。伊藤一彦の説が先行して存在するのだが、俵は一首ずつ丁寧に解釈して、説得力を高めている。

「つまりこの一首は悶々として眠れないという状況あってこその歌なのである」。

 

  をみなとはよく睡るものよ雨しげき虫の鳴く音にゆめひとつ見ず

 

も同じ場面で、女は身体を拒むために寝たふりをしていると俵は想像する。

 「それ、作戦ですから! 巧妙な防衛策ですから!と教えてあげたい。」

 若い牧水に対して、女性の立場からアドバイスするような書き方。この視点がとてもおもしろい。牧水への親しみを持ちつつ、あるときは優しくたしなめる。牧水の現実の恋は悲惨で暗鬱なのだが、俵の軽やかな文体が、それを柔らかく包みこみ、救済していくようである。そして、牧水には見えていなかった女性の心理も、露わになっていく。

 

  おもはるるなさけに馴れて(おご)りたるひとのこころを遠くながむる

 

 この歌について俵はこう書く。

「驕りとは、惚れた者の弱みを見越して、ごまかせるだろう、嘘をつきとおせるだろう、なんとかなるだろう、という女の側の甘い考えである。」

 抽象性の高い一首だが、俵による女の側の視線が添うことにより、リアルな恋の姿が浮かび上がってくるのである。

 そして『牧水の恋』の真骨頂は、平賀春郊が書いた牧水の追悼文の中にある「花見船を眺めながら君が山本鼎氏の借著でI海岸に出かけて行つた後姿などは未だに歴然と私の眼に残つてゐる。」という謎めいた一節の解釈であろう。

 ネタバレになるが簡単に書くと、牧水の恋人が子どもが産んだのだが、幼くして亡くなったらしいのである。なぜ牧水は「仮著」だったのか。俵は、喪服で葬儀に向かったのではないか、と推理する。じつに鋭く、ハッとさせられる。

もちろん、証拠はない。しかし、作者と深く交感することで、彼の人生を、読者も同じように体験してしまう瞬間は必ずあるものだ。桜の咲く中、喪服で船出する牧水を、俵は確かに見たのである。作者と読者の幸福な一体感が、ここに鮮やかにあらわれている。俵の直感力によって、牧水の恋を、私たちもまざまざと体感することができる。

(文藝春秋刊 一七〇〇円・税別)


講演「沖縄の短歌 その可能性」

2018年09月02日 | 日記

「現代短歌新聞」7月号に掲載された「沖縄の短歌 その可能性」の講演録を、現代短歌社の許諾をいただいたので、アップします。

テープ起こしでは、現代短歌社の濱松さんに大変お世話になりました。感謝申し上げます。

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講演「沖縄の短歌 その可能性」2018年6月18日  那覇市IT創造館

                             吉川宏志

 

 私のような県外の人間が、「沖縄の短歌」を語る資格があるのか、いつも悩みます。今日も、沖縄戦で激戦地だった、浦添市のハクソー・リッジ(前田高地)に行ってきたのですが、そこから見渡す現在の沖縄の街並みや海からは、戦争当時の悲惨な光景は全くと言っていいほど想像できません。

 それでも、当時の話を聞き、過去の情景を自分の中で再現しながら沖縄を歩きたい、と思っています。文学に触れる際にも、作品が書かれた状況をリアルに想像することが必要になりますが、沖縄の短歌を読むとき、自分はどれだけ想像できるのか、作品の内側に入っていけるのだろうかということを常に問われているように感じます。

 「沖縄の短歌」と言っても幅広いので、今日は、この数年に出た歌集四冊に絞って、話を進めていきたいと思います。

 まずは玉城寛子さんの『島からの祈り』から。


・自らの乳房で赤子の息止めし母は己れを殺されたのだ

 

 「母は己れを殺されたのだ」という直言に、心を揺さぶられる歌です。住民の避難したガマの中でこうした酷いことがしばしば起きたと聞きます。「強制される自由意志」の問題について深く考えさせられます。丸木位里・俊による「沖縄戦の図」(佐喜眞美術館蔵)には「集団自決とは手を下さない虐殺である」という文言が添えられています。「自決」と言いながらも軍による強制があったわけです。今の政府の文書改竄問題だって、官僚が忖度してやったと言いますが、実際には強制的にやらせている。みずから手を汚すことなく、自由意志に見せかけて私たちを強制してくる権力は、現代の日本にも存在しているわけです。私たちも、自分で自分を殺している状況にあるのかもしれない。


・荒あらと蟻潰すごと沖縄(うちなー)へのしかかる国よまこと母国か

 この歌はまさに絶唱で、「まこと母国か」が切実で痛ましく感じます。私たちは「母国」という言葉を疑いなしに使うことがありますが、沖縄や、福島もそうですが、「母国」の名の下に、基地や原発などの負担が押し付けられている。「母国」なんて、所詮は東京中心の概念なのかもしれない。「蟻潰すごと」という不気味な表現からは、基地に反対している人が、手荒く逮捕されている状況も思い出されます。


・島人の辺野古へ辺野古へ馳せゆく日臥せるわが身は鳥にもなりて
・島のわれらを「土人」と蔑す日本人芙蓉うつくしく咲く島に来て

 

 作者はご病気で、辺野古へ赴くことができませんが、それでも鳥になって行きたいと詠う。県外から派遣された機動隊の「土人」発言に対して、こんなに美しい島に来ても、醜い差別意識を丸出しにするのか、とむしろ悲しんでいるようです。汚されたくない、という願いが、ここにはあるのではないか。現在、権力に逆らうものを「反日」と呼び、排除する風潮が目に付きます。「母国」という言葉によって、排斥される存在も生まれてくるわけですね。それは忘れてはならないでしょう。「土人」発言もかなり問題になりましたが、マスコミでは既に忘れられた感があります。しかし、こうして歌にすることで、当時の感情は、ささやかだけれども残る。歌で記憶を残していく大切さを思うのです。


・ヘリパッドの強化を狙う返還をわれらは見抜く悲しきまでに

 

 数年前の、嘉手納以南の施設の返還に関する合意のニュースでしょう。県外に住んでいると、簡単に「良かったね」と思ってしまうわけですが、現地では決して単純には喜べない。何を狙っているのか、別の目的があるのではないかと疑い、「悲しきまでに」政府や米軍の意図を見抜いてしまうのです。短歌ではよく、「悲しい」とは詠わずに省略しろと言われますね。でも、省略という方法は、お互いに共通認識があり、分かり合えている安心感があって初めて成立するものなのです。しかし、沖縄と沖縄以外では、共通認識が成立していないことも多い。だから、省略せずにむしろ強く訴えなければならない場合が多いのではないか。それは「言い過ぎ」になる場合もあるでしょう。しかし、言い切ることが、かけがえのない価値を生み出すこともあるかもしれません。
 国吉茂子さんの『あやめもわかぬ』から。


・「犯罪現場(クライムシーン)」米軍も認めたヘリ墜落、普天間基地そのものが罪
・米軍基地があるゆゑ安全といふ神話神風信じたやうに信ぜよ

 強い表現が印象的な作品です。一首目、強烈な言い切りですが、実際その通りですよね。また、米軍基地があるから日本は安全なのだ、とか、原発があるから電気が賄えているのだ、という論調はよく耳にしますが、そうした先入観や思い込みは結局、「神風」を信じた戦中の日本と変わらないわけです。最近の朝鮮半島の情勢を見ても、基地の必要性は大きく変化しており、政府の言うことを安易に信じないこと、思考停止しないことはすごく大切ですね。


・琉歌は詠めずヤマト語にて歌作る沖縄語(ウチナーグチ)遠く措きて来たれば
・落鷹(ウティダカ)の鋭き声の刺さりつつわが裡の秋深まるばかり

 

 時折、沖縄には琉歌があるのだから琉歌を作れば良いじゃないか、と簡単に言う人がいます。しかし、「ヤマト語」が自己の根拠の言葉になっていて、「沖縄語」のほうにむしろ距離がある。そんな状況に対する痛みや迷いがあるわけです。一方、「落鷹(ウティダカ)」という沖縄語が効果的に用いられ、深みを与えている歌もあります。沖縄語とどう向き合うのか。これも重要な問題ですね。
 新城貞夫さんの『Café de Colmarで』の歌を見てみましょう。


・いま死者の花盛る季、寄ってたかって嬲って声明を出す文化人
・いちにんのアメリカ兵も殺しえずやはりあなたは弱かった 父よ

 

 とてもシニカルな歌集で、一首目では軽薄なマスコミや文化人に対する批判が込められています。二首目は軍歌「父よあなたは強かった」のパロディですが、米軍に対して何もできない歯痒さや無力感が、屈折した形で表現されています。


・常なりき右翼より危機は知らされてしばらくのちに吠えたてる莫迦
・反抗の一かけらもなき男くる琉球魂とポロシャツに書き

 

 例えば北朝鮮の問題でも、右翼の煽りに乗ってしまって、言葉や態度が攻撃的になっていくようなことがあるんですね。それを「常なりき」と詠うことで、「また同じことが繰り返されるのか」という絶望感をにじませている。次の歌は、土産物屋でよく見かける文字入りのプリントシャツへの皮肉でしょう。新城さんの歌には、反抗できない自分自身への嫌悪感や忸怩たる思いが、ねじれた形で表現されていて、読者にも毒が回ってきます。
 次は佐藤モニカさんの『夏の領域』から。結婚後に沖縄に移住した若い作者です。

・痛みを分かち合ひたし合へず合へざれば錫色の月浮かぶ沖縄

 

 この歌は、今の私の感覚にとても近いです。沖縄出身ではなく、痛みを分かち合える立場にもいない。痛みが分からない自分に何ができるのか、という問いは、私の中にもあって、共感するのです。せめて同じ月を見上げていたい、という願いでしょうか。


・酔ひ深き夫がそこのみ繰り返す沖縄を返せ沖縄を返せ
・子を抱き逃げまどふ夢覚めし後瞼にふかく戦火刻まる

 

 この「夫」は、普段は「沖縄を返せ」とは口にしない人なのでしょう。でも酔っぱらうと、内部に鬱屈したものが噴出する。痛ましいですね。妻はそれを眺めているしかない。その次は、自分が幼い子供を持つことで、戦火の中で子供を抱いていた若い母親たちに思いを巡らせている歌です。自分自身は平和な時代に生まれたけれど、あの時代を自分ならどう生きただろうかと想像し、当時の母親たちとつながろうとしている。この歌には、どのようにして痛みを分かち合うのかという問いに対するひとつの答えが示されているように思います。
 南相馬在住だった遠藤たか子さんの「基地ゲート福島のゲート相似たりけふつくづくと車に見れば」(『水際』)という歌も思い出されます。福島でも沖縄でも、人間を抑圧するものは同じような姿を見せるのですね。本質的な構造を捉えることで、さまざまな人たちが問題を共有していく道はあるのではないか。

 

・次々と仲間に鞄持たされて途方に暮るる生徒 沖縄

 

 都道府県という四十七人の学級があったとして、「沖縄」が一人苛められていると、比喩的に詠っている。沖縄問題をすごく分かりやすく視覚化しており、多くの人の心に入っていきやすいのではないでしょうか。
 最近、「天荒」という沖縄の句誌を拝見して、とてもおもしろかったんです。野ざらし延男さんの句です。

 

・あけもどろ棺形に切られる豆腐
・原子炉の頭をたたく蝿たたき

 

 切られた豆腐を棺に喩えて、イメージがとても斬新です。原子炉の句にも驚き、笑いました。
 平敷武蕉さんの句

 

・弾痕がくねる城壁の世界遺産
・頭蓋陥没の部分日食新北風(ミーニシ)吹く

 

 一句目、「くねる」がとても怖いですね。二句目も「頭蓋陥没」の比喩に、強烈なインパクトがあります。俳句のほうが破壊力があるんですよ。もし「原子炉の頭をたたく蝿たたき」を上の句として短歌を詠んだら、その後で、何らかの思いを書かなければならない。短歌は、自分の心情が色濃く出てしまい、吹っ切れることができないんです。その点、俳句の方が、イメージだけで勝負できる強さがありますね。
 短歌はやはり、「迷う詩型」なのだと思います。先ほどの「痛みを分かち合ひたし合へず合へざれば」のように、短歌には迷いやためらいがどうしても出てしまう。それが短歌の面白さでもあり、難しさでもあるわけです。基地に反対でも、親しい人がそこで働いていて、はっきりと口にできないケースもあるでしょう。そうした葛藤をどのように引き受けて歌にしていくのか、言いにくいものを如何にして表現として高めていくかが、短歌においては大事になるのではないでしょうか。
 一口に「沖縄の短歌」と言っても、実際には多様な作品があり、一括りに語ることはできません。そして、読者の側の知識不足のために十分に読めていない惧れもあるのではないでしょうか。沖縄の短歌は「類型的」と批判されることがあるのだそうです。もしかしたら、それは読者の問題で、微妙なニュアンスを汲みとることができず、同じように見てしまっている側面もあるのではないでしょうか。沖縄の一つ一つの歌に誠実に、丁寧に対すること。それが読者の側に求められているように思われます。