新型コロナウイルスの感染拡大のために自粛や休業が続いているが、政府は一般的な経済支援はするものの、「普段の売り上げとリンクした『補償』」はしないとの立場だ。たとえば遊興施設などに休業要請を求める神奈川県は、都と同様に休業に応じた施設への協力金を検討するというが、その財源として見込んでいるのは緊急経済対策による地方自治体への総額1兆円の臨時交付金。これについて、西村経済再生相から「普段の売り上げとリンクした『補償』ではなく、一律の『支援』であればいい」と確認できたといい(asahi.com)、国会でも確認されている(朝日新聞2020-4-14)。
世間では補償を求める声が強い(朝日社説2020-4-12など)。いつも安倍政権を批判している私としては、「休業要請と休業補償をセットにしないのは無責任だ」と政府を非難するのは簡単で、そうした考えを一概に否定するつもりはないが、やはり現実的ではないと思っている。
道義的にこの問題を段階を追って考えてみよう。
1.コロナ感染を恐れて人々が人が集まるところを避けるようになり飲食店などの売り上げが下がる。これはもちろん補償の対象外。(もちろん、影響が大規模になれば政府として経済支援を検討するのは当然。以下同様。)
2.政府や自治体が「人が集まるところへの出入りを避けましょう」と呼びかけて、売り上げが下がる。これも、呼びかけ自体は感染拡大を抑えるために妥当なもので、この程度で「補償」という話にはならないだろう。
3.特定の業種を名指しして訪問自粛を要請。一時期、ライブハウスやキャバクラなどでクラスターが発生することが相次いでいた。そのような根拠に基づく名指しであれば、当事者には申し訳ないが、やはり補償するのは難しい。
4.客の側への自粛要請ではなく、店のほうに休業が要請されるのは一歩踏み込んでいる。このくらいになると補償要求も説得力がある。だが私はやはり、補償がなければ休業できないという業者は営業を続ければいいと思っている。つまり、政府や自治体が休業補償をする必要はないが、その代わり休業要請も強制はしない、という考えだ。
新型コロナウイルス対策としての日本のやり方は、緊急事態宣言が発令されても欧米に比べてゆるく、欧米メディアからは「罰則も強制力もない」など批判する声もあるという。だがそういう天声人語2020-4-14でも「たしかに日本の制度はソフトだが、それは強みでもある。行動の自由を守りつつ感染を防ぐ。一人ひとりの判断と振る舞いがものを言う仕組みだ」と評価もしている。私も正常性バイアスのわなにはまっているのかもしれないが、「強制しない代わりに補償はせず、一般的な経済支援のみ」という政府の方針を支持したい。
世間では補償を求める声が強い(朝日社説2020-4-12など)。いつも安倍政権を批判している私としては、「休業要請と休業補償をセットにしないのは無責任だ」と政府を非難するのは簡単で、そうした考えを一概に否定するつもりはないが、やはり現実的ではないと思っている。
道義的にこの問題を段階を追って考えてみよう。
1.コロナ感染を恐れて人々が人が集まるところを避けるようになり飲食店などの売り上げが下がる。これはもちろん補償の対象外。(もちろん、影響が大規模になれば政府として経済支援を検討するのは当然。以下同様。)
2.政府や自治体が「人が集まるところへの出入りを避けましょう」と呼びかけて、売り上げが下がる。これも、呼びかけ自体は感染拡大を抑えるために妥当なもので、この程度で「補償」という話にはならないだろう。
3.特定の業種を名指しして訪問自粛を要請。一時期、ライブハウスやキャバクラなどでクラスターが発生することが相次いでいた。そのような根拠に基づく名指しであれば、当事者には申し訳ないが、やはり補償するのは難しい。
4.客の側への自粛要請ではなく、店のほうに休業が要請されるのは一歩踏み込んでいる。このくらいになると補償要求も説得力がある。だが私はやはり、補償がなければ休業できないという業者は営業を続ければいいと思っている。つまり、政府や自治体が休業補償をする必要はないが、その代わり休業要請も強制はしない、という考えだ。
新型コロナウイルス対策としての日本のやり方は、緊急事態宣言が発令されても欧米に比べてゆるく、欧米メディアからは「罰則も強制力もない」など批判する声もあるという。だがそういう天声人語2020-4-14でも「たしかに日本の制度はソフトだが、それは強みでもある。行動の自由を守りつつ感染を防ぐ。一人ひとりの判断と振る舞いがものを言う仕組みだ」と評価もしている。私も正常性バイアスのわなにはまっているのかもしれないが、「強制しない代わりに補償はせず、一般的な経済支援のみ」という政府の方針を支持したい。