リベラルくずれの繰り言

時事問題について日ごろ感じているモヤモヤを投稿していこうと思います.

自民党がほしいのは「質問時間」ではなく「テレビ放送枠」だ

2017-11-03 | 政治
衆院選での大勝を受けて国会審議での野党の質問時間を減らそうとする動きについて10月28日のブログで取り上げたが,我ながらどうにも歯切れが悪かった.だが11月1日の朝日新聞の社説を読んでかなりすっきりした.やはり自民党に質問時間増を言い出す資格はない.
昨年のカジノ法審議では,質問時間が余った自民党議員が般若心経を唱える一幕もあった.ことほどさように与党の質問時間の重要性というのはその程度のものなのだ.
そもそも与党は政府が予算案や法案を国会に提出する前に説明を受け,了承するという手順を踏んでいる.つまり疑問点があれば問い,場合によっては意見を反映してもらう機会もあるのだ.現に今年の「共謀罪」法の審議では,野党の質疑は「成案が得られていない」として拒む一方,与党とは内々に話し合って犯罪対象を絞り込むなどの実質的な修正をした上で法案を閣議決定した.
このように,国会審議での「質問」の本来の意義からすれば,極端な話,与党の質問時間はゼロでもいいことは明らかだ(政府提出の法案・予算案の場合).

だが実はこの話には別の面がある.
自民党だって本当に質問する機会がほしいわけではない.
国会中継で「テレビに映る」時間がほしいのだ.
野党は森友・加計問題で追及の機会をねらっている.安倍首相としては,まじめに答えればぼろが出るばかりだし,かといって木で鼻をくくったような答弁ではねつければ不誠実・傲慢との印象を与える.現に半年前にはそれで支持率が急落した.自民党としては,国会中継が野党のテレビコマーシャルになってしまうのはやりきれないのだろう.般若心教でもなんでも,とにかく野党に追及される場面がテレビに映るのをできるだけ少なくしたいというのが本心に違いない.
だとすると判断は難しい.筋から言えば与党の質問時間はいらないくらいなのだが,「テレビに映って国民にアピールする場」という側面がある以上,「議席に応じた放映枠を寄越せ」という要求は拒みにくい.国会中継のおかげで審議がワイドショー化してしまった負の側面だ.

追記:朝刊によれば,ドイツでは与党が議席の7割をしめていた時期に質問件数が野党が多かったこと,フランスでは法案の審議時間の最低60%を野党会派に割り振る決まりになっていること,イギリスでは野党第一党の党首が6問まで質問できる時間枠があることが紹介されていた.いずれにせよ,「与野党が入れ替わったとしても必要な仕組み」を目指すべきという識者の指摘は的を射ている.

追記2:政府には「政府広報」という名の使い放題(?)の宣伝媒体がある.政府=与党ではないとはいえ,与野党の宣伝媒体の公平性を考えるとき,その点は割り引いてもいいのではないか.

追記3:朝日新聞11月14日によれば,自民党内にも多数決で押し切ったりすると「国民の目には『自民党の数の傲慢』としか映らない」などいろいろ良心的な声もあるらしい.

関連記事:「「往復方式」だったら,野党の質問時間なんていくらでも削れるのではないか?」(11月6日)

関連リンク:「(わたしの紙面批評)質問時間の配分問題 異常な国会審議、今後も監視が必要 中島京子さん」(朝日新聞12月16日)



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