リベラルくずれの繰り言

時事問題について日ごろ感じているモヤモヤを投稿していこうと思います.

違うはずでは? 「ぼっち」「ハブられ」「居場所がない」――学校に行きながら解決できるケースもあるのではないか

2018-09-02 | 一般
学校に行くのがつらい,こわいという子供が少なくない.そうした子供に寄り添う動きがあって,それはそれで大切なことだが,いろいろな問題を区別せずに「学校に行かなくてもいい」点が強調されすぎているような気がする.

たしかに「いじめ」による自殺が時折ニュースになるのはいたましいことだ.本来はいじめる側に登校停止などの処分を科すべきだが(言うまでもなく,金品の巻き上げとか,所持品を奪ったり壊したりすることは子供とはいえ立派な犯罪であり,その点でも厳正に対処すべきだ),アンケートや聞き取り調査などで事実確認をするには時間もかかる.ひどいいじめに遭っている子に,学校に行かないという選択肢があることを教えてあげるのはいいだろう.

だが朝日新聞2018-8-27では不登校の原因として,いじめのほかに「なんとなく学校の雰囲気になじめない」,「頑張りすぎて燃え尽き症候群」を挙げている.これらは「学校に行かない」までいかなくても対策ができるのではないだろうか.「なじめない」について,最近よく学校に「居場所がない」という子のことを読むような気がする.たとえば一緒に弁当を食べる友人がいないことがつらかったりするようで,一人でいられるのを見られたくない人がトイレで弁当を食べることが「便所めし」と呼ばれてからかわれたりする.話しかけても無視するとか,「死ね」などの暴言を吐くとなれば「いじめ」だが(「ハブる」というようだ),そこまではいかない,こういう「人の輪にはいっていけない」(「ぼっち」)というのはどう対処したらいいのだろう.「学校なんて行かなくていいんだよ」という前に,「一人でお弁当を食べるのは全然みっともないことじゃないよ」と諭してやることはできないのだろうか.大人だって最近は「おひとりさま」が受け入れられるようになっているんだよ,などと話してやっても慰めにはならないだろうか.定番だが,学校に行かないわけではなく,放課後の習い事や趣味のサークルなど,学校以外に居場所を作るというものいいだろう.学校は勉強するところと割り切ってSNSで人付き合いをするというのも今の世代ではアリかもしれない.
もちろん,SNSに関しては,必ずしも不登校と関係なくても,SNSでのいじめや,そこまでいかないまでもいざこざが最近問題になっている.これも中高生だと必要以上に重く受け止めてしまう傾向があるから,「不用意なことは書かない」「他人を傷つけることは書かない」といった被害者にも加害者にもならない基本的なマナーとともに,トラブルを受け流す態度も教えるべきではないだろうか.

とりとめがなくなってしまったが,緊急避難的に「不登校」が必要なケースあることはわかる.また,学校がすべてではないということも強調してもいいだろう.だは学校に行かないことを選択してうまくいった人の少数の成功談をことさらに紹介してあまり「学校に行かなくてもいい」ことを強調する最近の風潮には違和感を覚える.

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