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こんな奴らのために?

2006年10月05日 10時11分37秒 | Weblog
暗いニュースリンクボブ・ウッドワードの新著『State of Denial』にワシントンが騒然という記事を読む。

戦争指導部の態をなしていないアメリカの政権内部の様子。
「2003年9月の時点で」なされた「イラク国内で反乱軍が台頭しつつあるので追加派兵が必要になる」という提言に対し、「ブッシュは反乱の懸念を無視し、戦争に関するネガティブな評価の一切を禁止」、そして「この政権の閣僚には誰ひとりとして反乱という言葉は使って欲しくない。」と言ったのだとか。

一番驚いたというかどないやねんと思ったのは次のところ。

「ブッシュ大統領はヘンリー・キッシンジャーを信望しており、現在もキッシンジャーはホワイトハウスに招かれブッシュ政権の外交政策を牛耳っている。キッシンジャーはイラク戦争について、ベトナム戦争時代と同じように『反乱軍に勝利する以外に出口戦略なし』と主張し、イラク撤退論を拒絶しさらに米軍の戦力を中東に注力するようブッシュに指示している。」

一旦開始した以上何があってもたじろぐな、ということなんだろうが、しかし、ベトナム-結局どうなったのかというツッコミが当然ありうる訳で。
だが、撤退を余儀なくされるまでにベトナムに対してアメリカがやったことを思うと暗澹となってしまう。



何が起こっていたのか

2006年10月05日 09時44分13秒 | Weblog
マル共連経由でウィキペディアの解放派記事を読んだ。今日現在ですでに修正されてしまっているが、修正前のものを保存させてもらった。
これ読んで、何が起こっていたのかをようやく少しは「理解」できたかもしれない。。。



記事紹介-「格差」ではなく「貧困」の議論を

2006年10月04日 09時32分10秒 | Weblog
10代から30代の生活困窮者からの相談。
彼・彼女たちの貧困は新たなビジネスのターゲットとなっている。
日曜日秋田での生活保護裁判連絡会でも講師をしておられたNPO法人自立生活サポートセンター「もやい」の湯浅さんの記事

 「生活困窮フリーターをとりまく厳しい現実に対抗するには、生きること、生き生きと生きること、つながることによって“タメ”を回復することが必要です。貧困者ビジネスのように生を囲い込むのでも行政のように生を施策に沿わせるのでもなく、多様な生を受けとめられる幅と奥行きのある場と人のつながりを具体的に作っていくことです」(湯浅さん)

 「もやい」もそんな場の一つだ。湯浅さんは最後にこう訴えた。「市場のなかでの『勝つ』『負ける』から降りても、“タメ”が失われたり、孤立化、貧困化することなく、降りても生きていける公共的な空間をあちこちに次々と創り出していきませんか」

これは、本当に共感するし、さまざまな模索を続ける湯浅さんたちの取組みにも学びながら、さあ、自分の足元で何ができているのかとなると、どういうふうにして「この先」へ行けばいいのかいまひとつ見えるようで見えないような現状だ。


バッテリー回収

2006年09月29日 12時35分09秒 | Weblog
一昨日、Powerbook 12の交換バッテリーが届いた。
早速交換したが、前より熱くなる気がする。これは仕方ないだろう。

で、仕事に使っているlenovoのthinkpad T60のバッテリーも交換対象に。
ひと月くらいで交換用が届くという。

辞退届による保護廃止で逆転勝訴

2006年09月28日 14時38分29秒 | Weblog
不必要な辞退届を強要されて生活保護を廃止されたのは違法であるという判決が出た(新聞記事)。

むしろなんで一審がまけたのかって感じだが、すばらしくそして当然の逆転勝訴。
一律に辞退届けによる保護廃止が違法であるとまでいえるかは判らないが、少なくともたんに面倒くさいから、あるいは要保護状態なのに保護を切りたいから辞退届けを書かせる、という運用はこれを機に全国からなくなってほしい。

またも逮捕、しかも5人も。

2006年09月28日 12時03分40秒 | Weblog
野宿者(支援)運動に取り組む人たちがまたも逮捕されている。
しかも、5人ほぼ同時に。
稲垣さんは以前不当にも逮捕された件で裁判闘争を闘っている最中、またも逮捕されている。新聞記事によれば「清掃作業を妨害」したから、とのこと。一体どこの清掃で「ビデオに撮る」などという「作業」がありうるのか?
まだ詳細わからない点が多いが、抗議声明が出ているので、以下に転載いたします。


(以下転載歓迎)

抗 議 声 明

 昨日午前6時ごろ、私たちの仲間が4名、大阪府警により令状逮捕され、さら
に午後9時ごろ、1名が逮捕されました。
 釜ヶ崎地域合同労組の稲垣さん、西成公園に住む二人、西成公園よろず相談所
の仲間、釜ヶ崎パトロールの会の仲間一人です。4名についての被疑事実は2件
の「威力業務妨害」と「暴力行為等処罰に関する法律違反」。釜パトの1名につ
いてはまだ詳細はわかっていません。

 私たちは即日、野宿者運動団体、支援団体、共闘してきた労働組合などで集ま
って話し合い、「9・27弾圧救援会」を立ち上げました。救援会では今回の弾
圧を「西成公園などでの強制排除を織り込んだ、計画的な運動つぶし」とみてい
ます。
 私たちは、人間としての尊厳を守り「生き抜く」ための闘いとして貧困と排除
と抗し闘ってきた野宿の仲間たちと、これからも一緒に闘い続けるという決意を
強くしています。そして、あからさまな運動つぶしによってその非人間性をさら
けだした大阪市・大阪府警をけっして許さず、5名の仲間の奪還と運動の前進を
勝ち取りたいと思います。

**********

 稲垣さんは、定期的に大阪市が清掃・消毒に入る汐見橋(大阪市浪速区)周辺
に住む仲間の小屋で、清掃作業の際に不当な嫌がらせがないように監視する行動
に継続的に取り組んでいます。4月27日(木)の同作業の際、市職員(大阪市
建設局)が当人の許可無くビデオ撮影しているのを稲垣さんが抗議したことをも
って、「威力業務妨害」と「暴行」としているものです。報道されたような手首
をつかんだとか胸を小突いたという事実はありません。
 稲垣さんは数年来、西成暑の警察官による釜ヶ崎労働者への暴行を糾弾する取
り組みを続けていました。また、最近では「あいりん職安」を糾弾する取り組み
に活発に取り組み、さらに汐見橋の現場では、市職員が仲間の小屋に「撤去告知
ビラ」をべたべた貼り付ける行為を大阪弁護士会に人権救済の申し立てをして、
弁護士会から市に対する「勧告」を引き出しました。今回はそうした一連の闘争
への報復的弾圧という見方もあります。

 もう1件の被疑事実は、6月12日、西成公園の排除を巡る攻防のなかでのこ
とです。西成公園では、近所の公園で強制的に排除され仲間を受け入れて新規に
小屋を建てています。排除の際、大阪市は代替居住地も示さず、将来展望の見え
ない自立支援センターへの入所を勧めるだけでした。住処を失った仲間に、西成
公園の労働者が「じゃあうちにおいでよ」と声をかけたのでした。このように西
成公園では、排除に抵抗して生き抜くため、仲間の暮らしを仲間で支えようと、
新たな仲間を迎え入れてきました。ですが大阪市はここでも「新規建設は許さな
い」と圧力をかけてきました。この日も「撤去勧告」に来ていた公園事務所職員
(大阪市ゆとりとみどり振興局)に対する抗議行動を行っていました。
 西成公園の3人は、稲垣さんや釜パトメンバーとともに数年来の反排除の取り
組みに参加してきた仲間です。昨年夏、西成公園に強制排除の危機が迫ったとき
も、うつぼ・大阪城公園の行政代執行の時も、私たちは一緒に闘いました。

**********

 救援会では、大阪市はこの冬にも強制排除を再び強行してくる可能性があると
見ています。そのための事前弾圧として5名を逮捕したのだと考えています。
 西成公園だけのことではなく、来年IAAF世界陸上が開催されるうえ、08
年には「指定管理者制度」が導入される長居公園、08年に日本で開催されるG
8サミットの開催候補地になっている大阪城公園、総合的な観光化をすすめよう
としている中之島一帯でも、強制排除の可能性があると考えています。
 大阪市はいま、「行政改革」の名のもとに「経済再生」を推し進めています。
野宿者とブルーシートのテント、それを支える運動を「経済再生」のための「阻
害要因」とみなして徹底的に排除しようとする、大阪市の強い決意を感じます。
富める者のための「改革」や「経済」のために、野宿労働者をはじめ貧しい者た
ちが排除される社会状況に、強く抗議します。

 私たちは逮捕された仲間を支え続け、貧困と排除とどこまでも闘い続けます。
 今後ともご注目、ご支援をよろしくお願いします。

 2006年9月28日
9・27弾圧救援会
  連絡先:NPO法人釜ヶ崎医療連絡会議
(TEL/FAX 06-6647-8278 E-Mail:iryouren@air.ocn.ne.jp)

**********

【お願い】
●5名の仲間の同時逮捕、しかも3件別個の被疑事実ということで、救援会では
弁護士費用や訴訟費用が不足しています。たいへん恐縮ですが、みなさまのご支
援におすがりするほかない状況です。どうかよろしくお願いします。
 カンパ振込先
郵便振替口座 00940-5-79726(加入者名:釜ヶ崎医療連絡会議)
通信欄に9・27弾圧救援と書いてください。

●以下の連絡先に抗議の電話・FAXをお願いします。
大阪市経営企画室             06-6208-9720 
大阪市ゆとりとみどり振興局 総務部 庶務課 TEL06-6615-0614 FAX06-6615-0659
大阪市建設局 管理部 路政課        06-6615-6675
大阪市市民局 市民部
広聴相談課      TEL:06-6208-7333 FAX:06-6206-9999
大阪府警察本部              TEL 06(6943)1234(代表)
西成警察署                06-6648-1234

(以上です)

これは参考になる

2006年09月27日 10時13分58秒 | Weblog
POP2*0(ポップにーてんぜろ)のクレーマーの行動パターンに関する悲喜こもごも。の次の箇所を読んで、すごく納得する。

「この業務(注・クレーム処理)を後輩に引き継いで、最初の大きなクレームがあった時も、返事をメールで送ろうとした後輩を静止して、かならず電話するようにと促した。メールの応酬というのは、かならず相手の言葉尻を捕まえた思わぬ論争に発展してしまうことが多い。いつしか、最初のクレーム内容から離れて、『対応が悪い』などと話をすり替えられてしまうのが毎度のオチだ。電話で話をすると、大事に対応してくれたことに誠意は感じてくれるし、なにより人間の声で謝罪を受けることの心理的な効果は大きいのだ。
『電話で対応すれば、必ず問題は解決する』は、私が20年の編集者経験から学んだことである。」

これ、身につまされるような経験があって、覚えておこうと思った。


戦後史検討の必要性について

2006年09月21日 01時18分33秒 | Weblog
ともすると深みと趣味にはまる悪い癖があるのだが、趣味としての楽しさに加えアクチュアルな意義があるとすれば、たとえばそれは次のような文章に接する機会があるからである。

「現憲法9条が軍事力の保持とその行使を全面的に否認していることの中には、「もう絶対に戦争を起こしてはならない」という労働者階級の深く固い誓いと絶対的決意が込められている。9条には、労働者階級が命をかけても守り抜こうという血と汗の結晶がある。この闘いは戦後革命以来、営々と築きあげられ、継承されている。
 日帝のアジア・太平洋戦争での徹底的な惨敗は、国家の完全な崩壊であり、労働者階級による革命以外にもはやどんな解決もなかったのだ。事実、日本労働者階級は戦後革命に決起し、労働組合はすさまじい勢いで結成され、生産管理闘争が革命的に闘われた。1946年4~5月の政治危機(1カ月の政治空白)の過程と、47年2・1ゼネストへと向かう高揚過程の二つの決定的山場を経て、労働者権力の樹立にあと一歩のところまで突き進んだ。
 だがこの労働者権力に依拠せず、米軍を「解放軍」と規定した日本共産党の屈服と裏切りによって2・1ゼネストは挫折し、戦後革命は敗北にいたった。だが他方で、この労働者階級の巨大な高揚と決起に直面した米占領軍と日帝支配階級は、よほど徹底した譲歩をしない限り、革命を抑圧し、延命することはできないところに立たされていた。その所産が現行憲法の第9条であり、天皇制の象徴天皇制への形を変えた延命と、議会制民主主義への統治形態の転換である。
 また戦後革命は敗北したが、同時に戦後革命の高揚は、9条とともに基本的人権の諸条項となって実現されている。25条の生存権、28条の労働三権の保障はそれを代表するものだ。
 戦後革命を圧殺し、かろうじて延命した日帝は、戦後憲法と日米安保と高度成長によってブルジョア的発展の過程をたどった。同時にこの過程で労働者は、戦後労働運動をとおして戦後革命期の獲得物を必死に守り、日帝の改憲策動と必死に闘いぬいた。50年代の闘い、60年、70年の闘いも、改憲と戦争への道を阻む労働者人民の闘いと意志の爆発だ。」

ここまで一国主義的立場を打ち出したのはかつてないことだと思うのだけど、これが現時点で最新の某「政治局アピール」
全体とおして血債潮流っぷりは後景化し、これまで(かたちの上では)位置づいていた差別・排外主義とのたたかいも文字通りアリバイ的にひとこと書き添えられるだけという事態になってる。
それはいいとはいえずよくないのだけど、何せこの戦後の総括はなんてことだろう?
もちろん「共産革命」への恐怖もあったし熱もあっただろう。しかし、従来の見解からしても(日本)「労働者階級の巨大な高揚と決起に直面した米占領軍と日帝支配階級は、よほど徹底した譲歩をしない限り、革命を抑圧し、延命することはできないところに立たされていた」などというのは、おそろしい排外主義というか、歴史を見ていないというか、、、実際には「終戦」後呆然自失としているなかで獄中の政治犯を迎えることもなく、日、一日と情勢を無駄にしていく中で、立ち上がったのは朝鮮人民だったなどというたとえば羽仁五郎の振り返りなんていうのは、「日本労働者階級」をおとしめる自虐史観になってしまうんやろか?

終戦にあたりそもそも問題であったのは「国体」が護持されるかどうか?の一点だ。
そしてマッカーサーは「国体」を護持してやることにより占領統治を行う路線を取り、そのためには昭和天皇の免責が絶対に必要であると(正しくも)よみとった。
世界のまあなんというか人民の、就中日本の侵略と虐殺にさらされた人々の怒りと、それを背景にしあるいはそこに複雑に絡んだ各国及び米国内の戦後統治のヘゲモニー争いの渦の中で、思い切った憲法の制定以外になかったという振り返りこそが必要なのではないだろうか?まして、日本本土の非武装は「沖縄があるから大丈夫だ」というマッカーサーの軍事的判断に担保されたものであり、はじめから沖縄とセットだったのだということ、これはいまの沖縄の問題とほんとうに直結しているのだから絶対に確認しなければならない問題だろう。ま、自分自身、このブログ読んでいただいてもおわかりのとおり、つい最近買った本を読んでそんなことを書いているのだけど。
でも、ともかく昭和天皇免責の交換物であり、沖縄の犠牲の上に成立した憲法体制を「日本労働者階級」の手柄であるかのようにふりかえってしまってる「戦争責任」ある身としては、やはり歴史から学ぶということは必要だと痛感してる次第。