[CD]リゲティなど

2004年07月27日 09時17分14秒 | Weblog
「Live at Club Mozambique/LONNIE SMITH」
「リゲティ・エディション3 ピアノのための作品集/
エマール (アーティスト), リゲティ (作曲)」
「Prismatic Hearing/David Simons」
「Grapes from the Estate/Oren Ambarchi」
「キャント・メイク・ミー! /ベシュ・オ・ドロム」
「Patrol Girl/Warehouse」

アマゾンから。

ハービーハンコックかっこいい

2004年07月23日 11時58分04秒 | Weblog
前言撤回。
昨日、i tunesに入力しながら聞いていて、
かっこいいなあと思った。
ちょうどブラコンに移行し始める時期で、
その前の2枚もアープシンセの音とかいいし、
3枚目の1曲目は、ベースラインが
DCPRGのhey joe みたいでかっこいい。





なぜ親はロッテファンになったのか?

2004年07月22日 17時04分29秒 | Weblog
この間の週末に実家に帰った際に、
パリーグ消滅問題が話題になり、
そのときに父からなぜロッテファンになったのか聞いてみた。

すると、何とはるか昔、「毎日オリオンズ」というチームが結成され、
そのときに阪神の選手がようけオリオンズに移籍したらしい。

それに引かれてオリオンズのファンになって以来、
ずっと応援しているのだという。

「毎日オリオンズ」の結成を巡って分裂したのが2リーグのきっかけとか、
阪神ファンは主力選手を引き抜いた毎日オリオンズを許していない、とか、
2リーグをめざしたのは正力さんなのだが、巨人軍は反対した、とか、
阪神はパリーグに参加するはずだったのに裏切った、とか、
とにかく色々とありそうなプロ野球戦後史。

合間を見て本でも読んでみようか、、、。

[CD]佐野元春「the Sun」など

2004年07月22日 16時42分21秒 | Weblog
「Man-Child/HERBIE HANCOCK」
「Thrust/HERBIE HANCOCK」
「Sextant/Herbie Hancock」
「THE SUN (初回生産限定盤)/佐野元春」
「Casablanca Moon/Desperate Straights/Slapp Happy」

以上5枚。佐野元春は反CCCDな姿勢にほだされて購入してしまう。
そういう不純な動機でCDを買うのもこれが最後か?

いまさらハービーハンコックはないだろう、という感じだけど、
怪しげな絵のジャケットのはひととおり聞いてみたいと思って買った。
スラップハッピーもi podで聞きたくなって購入。

[CD]ニキ・ジョヴァンニ

2004年07月20日 14時10分42秒 | Weblog
「The Way I Feel/NIKKI GIOVANNI」

いわずと知れたネタもの名作で、ヴァイナルはあるのだが、
i tunes用にCD購入。

i podも新しいのが出たよう。容量は変わらないけど、ボタンの数が減ったり、バッテリーのもちがよくなったりしている。

もっとも細かい使い勝手はいろいろ注文があるんだけど、
たとえば、どっかに1回押すだけでバックライトが点灯するボタンをつけてほしいとか、
曲名だけでなく、長いアーティスト名も再生中に全部見れるようにしてほしいとか、、、。

日栄・商工ファンド弁護団研究会

2004年07月20日 14時04分31秒 | Weblog
先月の熱海・クレサラ実務研究会に続いて、
利限法・貸金業規制法等をめぐっての、
多分実務上の最先端を行く研究会。

今回は現在攻防の最前線となりつつある、
シティズ(もともと九州の貸金業者。現在はアイフル傘下)との
争いをめぐる報告と、
商工ファンド(現・SFCG)によく見られる、
主債務が過払い(業者が顧客に超過利息を返金しなければいけない状態)であろうが、
お構いなしに飛んでくる公正証書を用いた連帯保証人への差押等に、
どう対抗していくのか?という問題意識から発展した、
ろくすっぽ本人の意思確認もせず、
半年前の印鑑証明さえあれば、作成できる公正証書・公証人制度そのものに、
やはり問題があるんではないか?という内容の話し合い。

作成した書面によって、他人の人生を左右しかねない、
しかも既になくなっている借金でも不利益が課せられるという問題意識が、
いったいどのくらいの公証人に共有されているのだろうか?

そして、いつも思うのだがこの研究会は議論のレベルについていくだけで精一杯な面もあるけど、
刺激には充ちている。

城山観光ホテルから見えた海の景色はとてもきれいだったのだが、
貧乏暇なし、日帰りの日程なので夕方鹿児島を後にした。