デモクラシー検定―民主主義ってなんだっけ?大月書店このアイテムの詳細を見る |
現代思想 vol.34-14 (34)青土社このアイテムの詳細を見る |
生かされて。PHP研究所このアイテムの詳細を見る |
「デモクラシー検定-民主主義ってなんだっけ?/石埼学」
「現代思想12月号 特集・自立を強いられる社会」
「生かされて。/イマキュレー・イリバギザ スティーブ・アーウィン」
アマゾンから。
目に触れる範囲の論考はすべて読みたい石埼さんの新刊。
「現代思想」も「自立」を取り上げていて必読。
「生かされて。」は「全米ベストセラー!」で発行元はPHPというロクでもない感が漂っているのだけど、知人にすすめられてとりあえず買ってみる。
http://www.mangaoh.co.jp/topic/maria.php
「クリスクロス」12月22日発売。
少しペース早くないか?前作よかっただけにもう少し余韻に浸っていたい感じ。
短編集とかでお茶にごしてほしいけど、リンク先見ると進展しそうだ。
買わなきゃなので一応メモ。
「クリスクロス」12月22日発売。
少しペース早くないか?前作よかっただけにもう少し余韻に浸っていたい感じ。
短編集とかでお茶にごしてほしいけど、リンク先見ると進展しそうだ。
買わなきゃなので一応メモ。
ファンク・オア・ウォークブライズ・オブ・ファンケンシュタインインディペンデントレーベルこのアイテムの詳細を見る |
「ファンク・オア・ウォーク/ザ・ブライズ・オブ・ファンケンシュタイン」 「スウィート・アンド・ファンキー/敦賀明子」 タワレコ通販で購入。 bridesのんは、CD化されているのを全く知らなかった。 以前ライブ見に行ったりさせていただいてた敦賀さんの新作も一緒に購入した。
TBしていただいているとおり、「旗旗」ブログに11月26日の集会報告が出ていて、コメントしようと思ったけどどうもうまくいかないようなので、ここにコメント書く。
(以下コメントしたかった内容) 「旗旗1号」すげえ! ベビーカー改造車も。 ずっと「あてがいぶち」の経験しかなく創意工夫が全くできない、プラカード1枚も作れないという自分の欠陥をこの間自覚しています。それを嘆いてばかりでは仕方ないから少しずつ何とかの手習いで進んでいこうとおもっているのですが途は遠い。。 「次の地方選は普通の意味での『民主選挙』としては最後のものになるかもしれない。」という鋭敏な危機感には、目を覚まさせられるような思いがいたしました。 ところでコメント、TB、リンクありがとうございます。 「責任ある態度」の表明-は本当に求められているのでしょうが、「村山談話」も出せない(「村山談話」ですまないのも「日帝」同様ですが)くらいに「日帝」と同様の構造を組織内にビルトインしてしまっていると感じます(草加さんも書いてらっしゃったとおり)。そして矛盾はどんどん内向きに「解決」する方向に向かい、この間の「党の革命」により恐ろしい、というか気味の悪い「労働者」賛美集団になりつつあるようです。七・七とかは完全にどっかにいってしまいました。中に残っている人の中にかつてとても信頼していた人がおられる(とっくにいなくなってると思っていた)のを最近知り、そのことがまた気を重くさせています。元「日帝」兵士としてはやらなければいけないことがあるように思うのですが、申し訳ないという気になるばかりです。 ところで「マル青同」の名前が出ていましたが、80年代後半に一時盛んに言っていた「主流派学生運動」論というのはマル青同の運動論を剽窃したものでした。「すべての課題に対して(少数派であれば少数派なりに)主流派として責任ある方針を持つ」というそれとしては立派な運動論でしたが、いつのまにか「一人でも主流派精神で頑張る」という根性論に変わってしまいました。
http://www.zenshin.org/f_zenshin/f_back_no06/f2273sm.htm#a5_2
リンク先によると「拡大全国委員会総会」が開催され、「「『党の革命』に敵対して逃亡・分裂策動に走った与田、遠山、西島、平田、倉沢に対する『除名決議』」(除名決議が括弧書きなのは何を意味するのか?)がなされたのだという。機関紙というレベルで読む人が読めば判るけど知らない人にはさっぱりな個人名が出るのって初めてに近いレベルじゃないかと思う。 「『解放闘争の理論的諸問題』が付属文書として提出され、それにそって非常に意義ある提起が行われ」たことの意味、「最も核心的なことは、労働者階級こそがこの社会を動かし、価値を生産している主人公であり、この社会の主人公たる労働者階級の基本的団結組織である労働組合が本当の階級的団結を取り戻し、力をつけ、闘い(県知事選)の本隊に座ること、これ以外に帝国主義の全体重をかけた沖縄に対する攻撃を跳ね返し勝利する道はない」「そもそも現代社会における議会と選挙は、ブルジョア民主主義という虚偽のイデオロギー、虚構を本質とした階級支配の道具である。そのもとでは議会・選挙は階級支配、階級関係を超越した絶対的民主主義の人民の意志決定機関などではまったくない」という沖縄県知事選挙総括が何を意味するのかもそのうちに明らかになるのだろうか? たまたま党内闘争で「党そのものを内部から、しかも中枢から解体するという最大の歴史的危機を、労働者党員の決死の実力決起によってうち破り、新たな地平を切り開いた」ようなことがあったからといって、「『階級の敗北は党の敗北であり、党の敗北は階級の敗北である』と明白に言い切ることができるようになった」と言い切ってしまうというのはどうなのだろうと思う。 前段は然り。これを機に「階級」が負けてるように見えても「党」と「三里塚勢力」が負けを認めてないから大丈夫という日本軍みたいなことは言わなくなるのだろう。でも後段は?主体的なたたかいはそれ自体としては階級的検証を受けたとはいえないだろう。それを受けたものと言い切ってしまうところに問題を感じないのだろうか? 「転向」とはなんであったのかということについて、「非転向」とはなんであったのかということにからめてかつての日本共産党についての総括は、たとえば石堂清倫さん、中野重治さん、栗原幸夫さんとかがいろいろ書いてて、そのことが「業界」内で必ずしも実りあるものになってないと思われるけど、ともかくこのたびおこったのは何せ「党の革命」なのだからこぼれ落ちたのは「党」に対する「反革命」だ。それはそのとおりだ。で、その地点(復元ポイント)はいつからなのか?「階級自身のマルクス主義党建設に向け、決定的な前進が始まった」ことが「決定的」なんだったら、それはすなわち党創立の根本を問う、ということなのだろうか? 自分自身は「転向分子」であることは論を俟たない。これは二重の意味でそうなのだ。かつての日帝兵士なら「皇民化教育」だし「治安維持法」だし仕方なかったかもだけど、自分は自ら飛び込んで許されざることをしでかした。それが自ら選んだことならば、そういう選択をしでかすという要素が自分のなかに存在するということであり、再びそういう選択をする可能性を絶えず潜ませている存在であり、もうすでにそういう選択をしているかも、という存在なのである。二重というのはしかも日帝兵士としても中途半端という意味で、それに徹することのできた人間の方がまだ使い道があるかもしれないという。。。 ともかくここまで内向きになったことが非常に気になってて、いっそのこと思い切り「パラチェン」してくれた方が、この過程で傷つきながら「転向」の痛みを抱いてこぼれ落ちる人が少なくてすむのではと思う最近。 (ほぼ何のことかわかんない文章になってしまった、、、)
「アナキズム第8号 特集・DIY-いま/ここ/自分たちで」 「カネと暴力の系譜学/萱野稔人」 「人権と国家-世界の本質をめぐる考察/スラヴォイ・ジジェク」 「建築紛争-行政・私法の崩壊現場/五十嵐敬喜・小川明雄」 「シリーズ日本近現代史(1)幕末・維新/井上勝生」 ジュンク堂で購入。
「利用しやすく自立しやすい 生活保護自立支援プログラムの活用(1)策定と援助/布川日佐史・編著」 「蒼ざめた馬/ロープシン」 bk1で購入。 その後に出された三位一体に関する政府・与党合意と「生活保護行政を適正に運営するための手引き」、全国知事会・市長会の「新たなセーフティネット」、要保護者向けリバースモゲージの導入など、もはやその存在すら忘れられている(保護費削減に関する部分のみ「つまみ食い」(岩田正美)される)のではないかと思われる「生活保護制度の在り方に関する専門委員会」報告。 この本で紹介されているような(縛りはあるから限界もあるけど)「とにかく、パートでもいいから働くように」という目先にとらわれた就労支援」ではなく「5年後、10年後」を考えた「できるだけ高い水準での就労(自立)をめざす」という一部の現場での取り組みは、その存続が非常に危ぶまれているといえる。 布川さんも次のように指摘している。 「就労支援プログラムがワークテストとしての性格を持たざるをえないことは、1章に述べましたが、生活保護法4条による稼働能力活用要件の縛りがあるためです。稼働能力活用要件の現行の解釈とそれにもとづく運用は、保護の入り口を狭め、稼働能力のある人が生活保護を受けるのを難しくしています。それだけでなく、保護受給中の要件としても自立支援の性格を歪めているのです」「2006年3月に厚労省が出した『手引』によって、こうした傾向がいっそう強まっています」「早めの援助は早めの就労につながります。せっかく職業紹介のプロである職安との連携で体系的システムをつくり出してきたのですから、また、自治体が独自に就労意欲喚起の多様な経験をつくってきたのですから、厚労省は稼働能力活用要件の見直しを明言し、『就労指導から就労支援へ』の転換を国として後押しすべきです」(227ページ) ところが実際には5年の有期保護を提言しているのだから「5年先、10年先」という就労支援はありえないということになってしまいかねないのである。 「制裁をするとしても、それが自立支援に逆行してはなりません。自立支援のための手段という位置づけのはずです。ホームレス状態に追いやることや餓死者を出すことが、自立支援の名のもとで行われてはなりません」(228ページ) 逆風の中で現場としてできることをどのように見出すのか、評価はさまざまだと思うし、役所でなくNGOサイドの一員としては全てを肯定するつもりはないけど、いい芽はなんとか守って欲しいと願うばかり。 ちなみに、自分の地元ではこの自立支援プログラムによる就労支援は事実上何ら行われていない。識字もできない人に職安に行け、という「ケースワーク」がまかりとおっているのはここにも書いたことがあるとおり。 |