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日本歴史紀行

徳川家臣紀行 7 本多作左衛門重次 誕生地



糟目犬頭神社
愛知県岡崎市宮地町


現在語でいうと、いわゆる家康ラブの譜代家臣〜本多作左衛門重次は、1529年享禄2年、松平清康の家臣、本多正重の子として、岡崎市南部の現在の宮地町 糟目犬頭神社付近で誕生しました。


岡崎三奉行 本多作左衛門重次誕生地碑
糟目犬頭神社




作左衛門重次も、父同様に家康の祖父、清康、父の広忠、そして家康へと仕えました。

家康の独立から間もなく、岡崎三奉行の一人として抜擢され、〜仏、高力。どちへんなし、天野。鬼、作左と称され、三者三様の個性が際立つ奉行により、家康初期の岡崎経営が進められました。


当主からの申し渡し〜領国岡崎の法令を伝える高札を貼り出しますが、一項に守られないために三奉行は策を練ります。
そこで作左衛門重次が任せられよとして、

〜民への高札に、字を読むのが苦手な者のために、平仮名で書き記します。

一、ひとをころすと、ざんしゅとする。
一、(人を殺すと、斬首刑とする。)

一、ひをつけると、ひあぶりとする。
一、(火を付けると、火炙り刑とする。)

一、ろうぜきするもの、したがわないと、さくざがおこる。
一、(狼藉するもの、従わないと、作左が怒る。)



〜したがわないと、(従わないと)さくざがおこる。(作左衛門)が怒る〜と一文を加えると、民も意味が通じたのか、守られる様になりました。(古老談話)


家康に忠義を貫くも、いけないことはキッパリと諫言を申し上げる典型的な譜代家臣の姿でした。

2に続きます。




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