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日本歴史紀行

歴史 今日の出来事 紀元前660年2月11日 神武天皇即位の日〜建国記念の日〜


神武天皇 御像
静岡県焼津市焼津 焼津神社


紀元節の決定
明治5年、世界標準でもある太陽暦への導入とともに神武天皇の即位紀元が決められ、明治22年の紀元節に大日本帝国憲法が発布されました。

1940年 昭和15年の2月11日、皇紀2600年にあたる この年は、即位された橿原宮の跡地とされる橿原神宮の社殿の改築、神苑の拡張が成され、神宮の規模は現在に至ります。

2023年の今年は、皇紀 2683年にあたります。



古事記や日本書記によると、我が国 日本は、神世七代の最後に生まれたイザナギとイザナミの二柱の神により生み出され、さらに生まれた三貴神の一柱、天照大神(あまてらすおおみかみ)により三種の神器を賜り、孫の瓊々杵命(ににぎのみこと)が地上の日向国、高千穂の峰に降り立ちました。


その瓊々杵の曾孫が神武天皇【かむやまといわれひこ】で、【かむやまといわれひこ】は、日本という国を治めるには外れに位置し過ぎていることから東の地を目指す旅に出ました。

【かむやまといわれひこ】は、豊後、筑紫、阿岐、吉備と戦いの旅で15年余りをかけ、さらに浪速の津でも抵抗をうけ、紀伊半島を南下して熊野の山中を抜けて大和の国にたどり着きます。

紀元前660年2月11日、(神武天皇即位元年正月1日。)
やがて大和の豪族らを退けた【かむやまといわれひこ】は、現在の奈良県南部の橿原市の畝傍(うねび)の橿原宮で即位し、神武天皇となりました。


日本の国(大和)の都に定めました。

神武天皇から始まる初代天皇から九代の開化天皇まては、欠史九代と呼ばれ、存在自体が疑問視されてますが、初代より現在の今上天皇まで125代の天皇家の祖として語り継がれています。



初代 神武天皇から九代 開化天皇までは、欠史九代とも呼ばれて神格化され、伝説上の天皇とされていますが、全ての天皇に宮跡や御陵が伝わることから、単なる伝説では片付けることが出来ないことも事実です。



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