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日本歴史紀行

徳川家臣紀行 12 高木主水清秀



高木主水清秀 墓所
愛知県岡崎市大和町妙源寺


徳川十六神将にも数えられる高木清秀は、家康の伯父、水野信元に仕え、信元が尾張 織田氏に鞍替えしたことから、家康とは度々戦いました。

桶狭間の戦い後、家康が今川氏からの独立に動き出したことで家康の松平氏と織田氏が敵対勢力から同盟国となったことで、協力し合う隣国となり、家康が三河一向一揆の鎮圧に苦心すると信元の命で援軍として助けました。

1575年 天正三年に主君の信元が甲斐武田氏への兵糧米の転売を織田信長に疑われて殺されると信長旗下の佐久間信盛に配属させられ、信長が本能寺の変で還らぬ人となると、甲斐、信濃を手中に収めるべく動く家康の元へ赴き、主従関係を結びました。

生涯45ヶ所の戦傷を負いながらもその度に復帰して戦に臨みました。

小田原征伐後に家督を三男、正次に譲り隠居しますが、10年後に上杉討伐のために下野、小山へ着陣した徳川の陣に75歳の高齢ながら姿を現し、家康を驚かせました。

この下野、小山の陣で家康は豊臣恩顧の諸将を前に評定を開き、西上して西軍と戦うことになります。











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