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日本歴史紀行

徳川家臣紀行 13 井伊直政



井伊氏発祥の地、初代 共保公誕生の地

静岡県浜松市北区引佐町井伊谷


徳川四天王…
徳川家康に最も信頼され、特に武力を必要される場面において、四天王の存在無くして家康は天下を、幕府を開くことは、出来なかったでしょう。

その四天王の四名。家康の親類筋で、若年の頃
はとにかく頼りとした筆頭の酒井忠次。

家康の運命を変えた桶狭間の戦いで初陣を果たし、以来 57度の合戦に出陣し、かすり傷すら負わなかった最強の家臣 本多平八郎忠勝。

家康にその才を買われて小姓に取り立てられ、知勇兼備を発揮して家康の出世を手助けした榊原康政。


そして四人目の井伊直政。
四天王最年少の直政ですが、あまりに激動の生涯を送った井伊直政について、まず、伝わる彼の始祖から書きます。


 
2017年に放送されたNHK大河ドラマ、【おんな城主 直虎】で主人公の井伊直虎が度々訪れる場所のひとつが井伊氏発祥の地方である共保公誕生の井戸でした。


共保公誕生井戸



ドラマでは、鬱蒼(うっそう)とした森の中にある井戸ですが、現在までに伝わる井伊氏発祥の井戸は、田んぼの中にあります。


西暦の1000年代の平安時代半ば頃、藤原鎌足の12代の子孫、藤原備中守共資(ふじわらの びっちゅうのかみ ともすけ)は、遠江守として遠江、井伊地方(現在の静岡県浜松市北区引佐町井伊谷)に赴任してきました。


1010年 寛弘7年の元旦、共資は、領民の安寧を祈願すべく、土地の古社 渭伊(いい)神社に参拝した帰りに、古井戸に赤ん坊が捨てられているのを発見しました。


男児に恵まれてなかった共資は、赤ん坊を連れ帰り、養子として大切に育てました。


やがて共資は成長した共保に自分の娘を妻とし
与え、さらに姓を土地の郷名に因んで井伊氏として共保に託しました。

井伊氏初代、井伊共保の誕生です。









以来、井伊氏は遠江西部の領主として続き、南北朝時代には、後醍醐天皇の皇子、宗良親王を助けて南朝側として戦いました。


戦国時代には、井伊直政を輩出しますが、その前の井伊氏の系譜に、変わった人生を歩む者が出ます。


2に続きます。







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